トビリシでアゼルバイジャンのビザ



コーカサス旅行記

~ビザ取り合戦の始まり~

バスは朝方に到着した。

僕はバスの中のグルジア人のうるささと、いつもの神経質さとでうまく眠ることは出来なかった。引き続き、体調も優れないがそのこと自体に慣れてきてはいた。

まず両替をしなければならない。ヨーロッパと違い、ここからは国が変われば通過も変わる。トルコではリラでグルジアではラリ、リラからラリへという冗談みたいな両替だが、僕はすでにリラを使いきっていたため持っていたユーロの現金をターミナルで両替した。公定レートとそんなに大差はなかった。

眠気と疲れが襲ってくる中、宿を目指した。日本人に有名なホステルジョージアという宿は列車の駅から5分のところにあるとホステル.comというサイトに書いてあった。僕はとりあえず駅を目指すミニバスを探した。誰一人として英語を話す人はいなかったため、僕はロシア語の「スタンツィア」という単語を連発したが、「スタンツィアはここだ」という返事しかかえってこなかった。どうやらこのバスターミナルは「駅」と呼ばれているようだった。

グルジア人は冷たく感じられた。その冷たさはトルコから来たからさらに際立った。英語が通じる通じないではなく、よそ者に対して手を差し伸べるという感覚は、先進国と同じようにほとんどみられなかった。

疲れは限界に来て、結局タクシーを使った。タクシーの中から見えるグルジア正教会を見ながら僕は再びヨーロッパに舞い戻った感覚に陥った。



ホステルジョージアに着くと、自分と同じくらいの年代のグルジア人女性が出迎えてくれた。ソフィアは僕にコーヒーはいるか?と尋ね、丁寧に対応してくれた。僕はようやく温かいグルジア人とであった、と思いながら狭いロビーの椅子に座りながらコーヒーを飲んだ。

グルジアに来てやらなければならないのは各国ビザの取得である。イランビザが取れないとなると、アゼルバイジャンのバクーからカスピ海経由で中央アジアに渡るしか陸路での方法はなかった。グルジアの首都、トビリシにはカザフスタン大使館とアゼルバイジャン大使館があり、まずはこの二つの国のビザを取る必要があった。

ソフィアに手伝ってもらい、カザフスタン大使館に電話をすると、月曜日の申請、金曜日の受け取りということだった。カザフスタンビザ取得後に、アゼルバイジャンビザの申請と言うことになると、トビリシでの長丁場は覚悟しなければならなかった。

この日は金曜日だった。月曜日までやることはないかと思われたが、アゼルバイジャンビザのことを思い出した。

アゼルバイジャンビザは通常トビリシでは取得できないが、日本大使館のレコメンデーションレターがあれば無料で取得できるという話をどこかで聞いてきた。

また、ペルーで再発行したときにもらった5年用の真新しいパスポートは査証欄がいつのまにかスタンプとビザでいっぱいになりかけていた。このままだとビザを貼る場所がなくなるため、日本大使館で増補する必要があった。

日本大使館に電話をかけ確認をとると、日本人の初老の男性は、「午後3時からあいてますので好きな時間に来てください」と言った。

日本大使館の住所を控えてタクシーに乗った。宿にあった旅行人には市内は3~5ラリと書いてあり、タクシーは意外にも交渉するまでもなく5ラリで日本大使館まで連れて行ってくれた。入り口にいたグルジア人の護衛に「アゼルバイジャンビザのレターをもらいにきた」と告げ、中に入った。体の大きなボディーガードいった感じの護衛は持ち物をすべてロッカーに入れろと英語で言った。

パスポートを持って領事部に行くと、またグルジア人が出てきた。僕は入り口と同じようにレコメンデーションレターがほしい、パスポートの増補がしたい、と英語で告げ、アプリケーションフォームを書き、提出し、座ってしばらくの間座って待っていた。

15分ほどでグルジア人の係員は戻り、レコメンデーションレターを僕に渡した。だが、パスポートの増補は出来ずアゼルバイジャンの日本大使館でするように言われ、在バクー日本大使館の住所をもらった。

なぜパスポートの増補ができないのかの理由もわからず、僕はとりあえず宿に戻った。

ようやくグルジア最初の任務を終えた。ビザ取り合戦、長い長いグルジア滞在は始まったばかりだった。

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