トビリシ、カザフスタンビザ、ロマンチックホステル。。。



コーカサス旅行記

~ロマンチックな沈没宿~

ロマンチックホステルからホステルジョージアに帰った。いっそのことロマンチックホステルに泊まれば楽なのだが、このホステルの空気とベッドの敷き詰め方に耐えられそうもないという理由があった。

トビリシには地下鉄があり、ホステルジョージアの最寄り駅であるステーションスクエアからロマンチックホステルの最寄り駅であるテクニカルユニバーシティーまでは簡単にいけるにもかかわらず、僕はなぜか歩いてホステルジョージアに帰った。

前日飲みすぎたせいかホステルジョージアにもどっても外を歩き回るということはしたくなかった。むしろ自分の体力的に出来そうもなかった。僕はホステルジョージアでネットをしながらダラダラとしていた。

すると何人かの日本人旅行者がやってきた。中国や東南アジアから来ている所謂西回りできている長期旅行者だった。複数の日本人旅行者としっかりと話したのはトラブゾンが初めてであり、僕は初めて会う日本人旅行者との会話自体のやりかたを少しだけわからなくなっていた。

前日のフリーワインの影響で僕はあまり日本人旅行者と話をしたいとすら思えなくなり始めた。だが、自分でも理由がわからないままに、僕はダラダラダラダラと日本人旅行者と話をし始めた。

どういう旅行をしているのかと言う長期旅行者のテンプレートのような話から、日本のくだらない話まで一通り話をすると、彼らもフリーディナーのためにロマンチックホステルに行きたいと言う話になり、タクシーに乗った。4人で乗ったため、タクシーは一人1ラリで済んだ。

ロマンチックホステルに着きまたもフリーワインにやられた。この宿には大きなワインボトルがおいてあり、いつでも飲める。ソフィアはディナーを大なべを用意し、毎日毎日旅行者にディナーを作ってくれる。10ラリでここまでサービスがいい宿を僕は今までに見たことがなかった。

また、グルジアは煙草も安かった。トルコでは日本円換算で一箱300円以上した煙草も、グルジアに来ると80円程度になっていた。本当に安い煙草は50円くらいで買える。これまでずっと煙草が高いヨーロッパにいたせいか、煙草が安いとなるとどんどんと吸ってしまっている。

フリーワインと安いタバコにやられた僕はもはやホステルジョージアに変える意味を失い始めてきていた。はじめはホステルジョージアのこぢんまりした雰囲気は好ましくなってきたが、フリーワインには勝てなかった。また、静かだと思われたホステルジョージアは大きい通りに面しているせいか、常に車の通りが激しく、あまり良く眠れないということもあった。

僕は次の日にはホステルジョージアからロマンチックホステルに移動した。



3日間は流れるように過ぎて行き、いつの間にか月曜日になった。すでに毎日毎日フリーワインと安いタバコにやられている中で、朝起きるのすらおっくうになってしまっていた。

だが、カザフスタンビザだけはとらなければならない。カザフスタンビザは5営業日かかる。しかも申請は月水金しかやっていない。ここでビザを申請しなければ、土日を入れれば、最低でも4日以上ビザの発給が遅れることになる。

重い体を起こしてグーグルマップで調べた住所を写真で取りタクシーに乗った。タクシーはマルシュルートカやバスに比べて割高ではあるものの、カザフスタンビザだけは落とすわけには行かないと思い、タクシーを使った。タクシーの運転手に住所の写真を見せて「カザフスタン、カザフスタン」と言う。グルジア語やロシア語が「カザフスタン」という単語なのかはわからないが、僕はカザフスタンという単語を連発した。すると運転手は合点がいったようで僕をいとも簡単にカザフスタン大使館に連れて行ってくれた。

カザフスタン大使館で呼び鈴を押し、護衛に中に入るように言われた。大使館の担当者は30代に見えるヨーロッパ風の顔立ちをした女性だった。アプリケーションフォームに記入をしてパスポートと一緒に提出をし、金曜日発給を確認したあと、僕は英語で「あなたはカザフスタン人か」と聞いた。彼女は「いいえ、私はグルジア人よ。カザフスタン人はあなたのような顔をしているわ」と言った。カザフスタンは旧ソヴィエトであるがやはりモンゴロイドの国なのだと思うと好奇心が沸いた。僕は近い将来、まったく未知の世界である中央アジアに行くのだと、当たり前のことを思った。

「グルジア人はあなたの顔のように美人が多い」と僕が無表情で言うと、彼女は愛想笑いをしてなぜかカザフスタンのポストカードをくれた。僕はそんなにほしくはなかったが、愛想笑いでありがとうといい、カザフスタン大使館を後にした。

もはややることはなかった。少しだけトビリシの旧市街のグルジア正教の教会を見てまわり、東欧特有の東方正教会の熱心なキリスト教徒に興味を引かれなくもなかったが、それ以上にロマンチックホステルのフリーワインと日本人との会話に惹かれ始めていた。これは毒でもあり薬でもあった。昔のように心から話すことは少なくなったものの、なぜか会話はとまらなかった。とめることが出来なかった。

ロマンチックホステルは沈没欧米人やイラン人による負のオーラが漂っていて泊まっている人々は常に朝までワインを飲み昼は眠ると言う生活をしている人たちが多かった。そのためか、自分が眠る夜中2時か3時くらいでも静けさは一切なかった。僕は必要以上に神経質になっているからか、単純に自分の生活リズムがくずれているからか、このうるささで夜眠れず、さらに昼眠ってしまうという生活リズムの崩れをとめることは出来なかった。

トラブゾンから体調はそんなによくなかった。それなのに僕は休むと言うことをしなかった。不毛な議論はどこまでも続いていった。

ワインはいくらでもある。途切れることは一切ない、体調が悪い。なのにワインは止まらない。咳はとまらない。なのに煙草はとまらない。

不眠、煙草、ワイン、この3つに完全にやられながらも僕はそれを止めることはできなかった。「たまにはこんな日々があってもいいだろう」という言い訳を自分に言い聞かせながらワインワインと続く、楽しくてロマンチックな宿で僕は完全にわけがわからなくなっていた。

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