トビリシ・アゼルバイジャンビザ



コーカサス旅行記

~ロマンチックに恋をして~

朝10時には雨が降っていた。雨が降り、動くことが億劫ではあったが、アゼルバイジャンビザの申請のために動かなければならなかった。

僕は4ラリを払いタクシーでアゼルバイジャン大使館に向かった。グルジアのタクシーの運転手は皆、教会の前を通ると十字を切る。東方正教会独特の、そして文明が発達すればするほど失われる宗教への献身がまだこの国では残っているのを目の当たりにし、僕はある意味ヨーロッパでも中東でも見ることができないようなエキゾチックさを感じた。

大使館は意外と近くにあり、10分もかからないうちにたどり着いた。アゼルバイジャンビザのアプリケーションフォームは事前にプリントアウトしなければならないと情報ノートに書いてあったが、僕はロマンチック病にかかりもはやプリントアウトができるネットカフェを見つけることすらできなかった。

雨の中10分ほど大使館の前で待っていると護衛はアゴをしゃくり、中に入っていいぞというような仕草をした。このこの失礼な態度に対して僕はいらだつ事すらもなく、ただ「ようやく雨を凌げる」と思いながら中に入った。だが、入り口は鉄格子のようになっており中に入ることはできなかった。それでも屋根はあったので雨を凌げたことだけはラッキーだった。

パスポートを渡してビザがほしいというと、受付らしき男性は「アプリケーションフォームとパスポートのコピーとパスポートの原本を持ってまた来い」と言った。僕は「アプリケーションフォームは持っていないからほしい。」と淡々と言い、最後に「プリーズ」と言った。

すると彼は無表情でアプリケーションフォームをくれた。僕は外の屋根の下でアプリケーションフォームを埋め、提出をした。「受け取りはあさってでいいのか?」とたずねると「あさってにチェックをしに来い」という返事が返ってきた。

いずれにしてもやるべきことはすべてやった。これでアゼルバイジャンビザを受け取ればアルメニアにいける。だが、もはやアルメニアに行きたいという熱意はそこまではなかった。ロマンチックホステルという意味不明なホステルのワインと夕食は完全に僕から規則正しい生活と、旅に対しての無駄な情熱を奪っていた。

例により夕食を食べに僕はまたロマンチックへ向かった。グルジアに来たときから一緒の若者はアゼルバイジャンから帰ってきていた。僕は彼と一緒に話をしながらアゼルバイジャンの物価の高さや、首都バクーの発展具合などを聞いていた。

そのまま真夜中になりいつものようにタクシーでスリープインに帰った。ここは完全に眠るだけの宿と化していた。僕にとって「自分の宿」というのはどちらかといえばロマンチックホステルだった。毎日毎日ロマンチックに向かい夕食を食べワインを飲んで眠るだけの宿(スリープイン)に帰る。もうだんだんとグルジアに入国してから何日が経過したかもわからなくなってきていた。

次の日はロマンチックで一緒の日本人と一緒にハマムに行った。ハマムと言う所謂トルコ式のお風呂はなぜかグルジアにもあった。トルコでは値段が高くてとても入ろうとは思えなかったが、物価の安いグルジアでは入ることができそうだった。旧市街から少しだけ南に向かうとイランのモスクのような建物があった。それがハマムだと旅行人に書いてあったが、中には鍵がかかっていて中にいたグルジア人は「クローズ」と言った。

場所を聞くと近くにハマムがあった。中に入り3ラリを支払った。3ラリ、180円でお風呂に入ることができるというのは旅の中はおろか日本でもゲストハウス暮らしででずっとシャワーの生活を送ってきていた自分にとって疲れをとる絶好のチャンスであった。

3ラリを払って中に入るとグルジア人の老人ばかりだった。僕は老人に混じりながら体を洗い湯船に浸かった。すると一人のグルジア人が話しかけてきた。どうやら垢すりとマッサージのようだった。両方やると20ラリと高額ではあるが、疲れを取ってリラックスをするのだったらそのくらいのお金は別にいいと思えた。

僕はマッサージと垢すりをやってもらった後、脱衣所に戻ってお金を払おうとしたとき、自分のお金が10ラリしかないことに気がついた。垢すりをやってくれた親父はグルジア語で何を言っている。僕はその言葉を一字一句理解できないにもかかわらず、なんとなくこの人が言っていることはわかった。

僕はむしろ最初から10ラリしかないことを知っていた。一緒にいた日本人に借りようと思って大して気にもしていなかった。

結局一緒にいた日本人にお金を払ってもらい帰りのATMでクレジットカードを使ってお金をおろした。出てきたお金をそのままにしてレシート取ってしばらくみているとなぜかお金は引っ込んでいった。20ラリほどの小額ではあったが僕は焦りながらタクシーに乗ってその銀行の本店に向かって事情を話した。

担当の女性は英語がそんなにできるわけではなかったが、こちらの事情はわかってくれた。「2週間以内にクレジットカードにお金は返す。もし帰ってこなかったらここにメールをしてください」とたどたどしい英語で言った。もはや返ってこなくてもいいとは思ってあきらめていた分、たとえ返ってこなかったとしても、やれるだけのことはやったという満足感だけが残り「眠るだけの宿」に帰った。

一緒にいた日本人は日本に帰るということなので見送りに行こうと思ったときに雨が降り出した。雨が降ってはしょうがないとロマンチックに行くのをあきらめ宿から電話をした。すると聞きなれた声がした。ようへいくんとかよさんだ。彼らはチャリでトラブゾンからトビリシについていた。逆に言えばチャリでトラブゾンからトビリシに移動するだけの時間、僕はロマンチックにいたのだ。

「今から行くわ」とだけいって電話を切った。雨は降っていたが結局タクシーを使ってホリデーインに向かった。ホリデーインはロマンチックホステルの近くにある一番いい目印であり、どんなに英語がわからないタクシードライバーもホリデーインだけは知っていた。

ホリデーインでタクシーを降りてドリゼストリートをまっすぐ行く、途中で小さくて緑色の教会が見え、もうちょっといくとpopuliというスーパーが見える。このスーパーの目の前にビルがありその地下にはもはや安心と呼べるほどの薄暗く、ガヤガヤうるさい宿が待っていた。

僕はこのチャリダーカップルとの再開を喜び、再びフリーワインとフリーディナーを食べた。そしてそのまま、いつものように夜中まで、むしろ日が昇るまで話し込んだ。この宿は地下にあるためか、外が明るいか、暗いか、まったくわからなかった。24時間薄暗かった。

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アゼルバイジャンビザは無事に受領できた。おそらくアルメニアビザを持っているともっと時間がかかるのかもしれないなどと思いながら、ロマンチックに向かった。

いよいよアルメニアに出発できると思ったとき、一つ大切なことを忘れていた。ヨーロッパで得た現金の一部は安全のためにトラベラーズチェックに変えていた。これから行くイラン及び中央アジアの国々ではトラベラーズチェックの両替は難しそうだったが、グルジアでは1%の手数料で現金に換えることができると情報ノートに書かれてあった。

僕はトビリシ中央駅の近くのバンクオブジョージアで0.7%の手数料で持っていた1000ユーロのうちの半分を現金に両替した。盗難にあったときのことを考えてすべて両替するのはやめた。

銀行では多少待たされたが、それなりにスムーズに両替ができた。銀行員のあまりの態度の悪さにに多少クレームをつけたりもしたが、結局は現金を手に入れられればそれでよかった。

これで、ようやくグルジアでの仕事は終わった。僕はロマンチックに戻りまたいつものメンバーと一緒にワインを楽しんだ。世界的に有名だといわれているグルジア産ワイン、しかも自家製、このワインの味は格別だった。

前日みんなでムツヘタに小旅行にでたせいか、一段と話は進んでいた。僕らは何がなんだかわけのわからない、何の実りもない話を続けた。

もうロマンチックへは来ない。このままスリープインで1日か2日ほど滞在して生活リズムを取り戻してアルメニアに向かおうと思っていた。

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