ゴリのスターリン像とトビリシ



コーカサス旅行記

~ロマンチックとの別れ~

もうロマンチックに行くつもりはなかった。2ラリを払えば夕食を食べることが出来る。夕食を食べにいちいち行く必要はない思い始めていた。

グルジアにきてから一気に物価は安くなった。宿代は600円であり、夕食が出る。お昼が大体200円前後。ヨーロッパやトルコと比べればそんなにお金を使っていないはずなのに計算してみるとなぜか一日の生活費はそんなには安くなっていなかった。

なぜなのかよくよく考えると原因は前に行ったハマムの20ラリ、そして毎日毎日通うロマンチックホステルから自分の宿に帰るタクシー代だった。毎日毎日夜中に帰る為マルシュートカやバスはなかった。道端でタクシーを見つけ宿のあるルスタベーリに帰るというのは日課になっていた。

もう行かないと決めた次の日、煙草を忘れてきたことを思い出した。煙草だけ取りに行ってご飯を食べて帰ってこようと思い、もう一度マルシュートカに乗り、ロマンチックホステルに向かった。

ようへいくんとかよさんはカズベキというロシア国境の山に出かけていなかったが、新しい日本人が来ていた。一人は30代の女性で一人はロシア語を勉強している大学生だった。いつもの若者もいる。彼とは何日一緒にいるのだろう?彼とはホステルジョージアで出会い、ロマンチックホステルに移動してからもずっと、毎日夜になると一緒にのみ、彼の熱い熱い語りを聞き、笑う日々を過ごしてきている。

この日も結局同じように飲み明かす結果になった。だが、いつもと違うと感じたのは、ロシア語を勉強している大学生、こうのすけ君がアルメニアに行くと言ったときだった。

ようやく重い腰を上げるときが来た。僕は彼に「一緒にアルメニアに行きましょう」と言い、彼が行く日のチケットを取ろうと思った。一人でアルメニアに行くよりもロシア語を話せる人、しかもアルメニアの首都、エレバンの日本人が集まる宿・リダの家の道を知っている。これに便乗しない手はなかった。



次の日、僕はこうのすけ君と一緒にゴリに行った。ゴリはあの悪名高きスターリンの生地であり世界で唯一スターリンの銅像が残っていると旅行人に書いてあった。

ソヴィエト的なものを見れるチャンスがあると思い、僕は思い腰を上げ、前日夜中の3時ごろまでロマンチックホステルで飲んでいて自分の宿に帰ってからも欧米人のいびきに悩まされて結局朝7時ごろまで眠れなかったにもかかわらず、朝11時におきた。

眠いのか眠くないのかよくわからないまま、僕はマルシュルートカにのりロマンチックホステルに向かった。毎日マルシュルートカに乗ってロマンチックに通う日々を繰り返しているせいか、徐々にマルシュルートカに対しての慣れが出てきた。

ロマンチックからテクニカルユニバーシティー駅にいき、ステーションスクエアーからディドゥベへ向かう。このルートはムツヘタに行くときと同じだった。彼はロシア語が話せるため、僕は彼にすべてを任せてゴリ行きの乗り合いタクシーに5ラリで乗ることが出来た。

眠っていると彼は「ここがゴリみたいですよ」といった。旅行人には1時間半と書いてあったが1時間ほどで到着した感じがした。

早速スターリンの像を探したが、前日かめさんが言っていたように、すでに大きいスターリン像は撤去されているようで、どこを探しても見当たらなかった。スターリン博物館の前にある小さいスターリン像の写真を取り、この所謂ソビエトを象徴する人物からソヴィエト的なものを見出そうとしたが、そんなに感慨は湧かなかった。むしろトビリシのあの無機質な社会主義的アパートのほうがソヴィエト的なものを見出すことが出来るように思えた。

僕は10ラリという高さに負け、スターリン博物館に入ることすらしなかった。入り口のスターリンポストカードや、スターリンワイン、スターリンTシャツを見て、入り口の椅子に座りながらスターリンの肖像画を見るだけで満足した。博物館にあるトイレへ行く道は中世ヨーロッパの雰囲気を出していてなおかつぼろぼろだった。むしろここから旧ソヴィエト的な雰囲気を感じ取ることが出来た。

ゴリは特に何もなく僕は彼と一緒に教会でちょっと話をする意外は何もしなかった。街はヨーロッパともロシアとも旧ソヴィエトともアジアともいえない不思議な感じで、それ以前に街と呼べるほど大きいものでもなかった。歩いていても商店街が何件か見えるだけでちょっと奥に行くと何もなくなる。何もないわけでもない、だが何もない。この雰囲気はアルバニアに似ていた。やはり同じ社会主義、独特の似たような雰囲気があるのかもしれない。



数時間で僕らはゴリに飽きてまた1時間ほどかけてトビリシに戻った。ロマンチックに戻り僕は彼とエレバンに向かうため列車のチケットを買いに行ったが、途中でパスポートを忘れたことに気がついた。グルジアではパスポートがなければチケットを買うことも宿に泊まることも出来ない。こういう身分証明の面倒くささは旧ソヴィエト特有なものなのかなと考えながら結局チケットを買わずにロマンチックに戻った。

だが、その次の日に僕はチケットを早々に買い、ようやくトビリシ脱出の機会をつかんだ。こんなにいる予定もなかったトビリシ、特に街の雰囲気がいいわけでもなく、特に見るものがあるわけでもなく、ただただ宿でワインと煙草におぼれていたロマンチックな3週間はようやく終わろうとしていた。

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