アルメニア人との交流



コーカサス旅行記

~滞在・生活~

リダの家で日本人バックパッカーと一緒にいたのと前後して僕はアルメニア人ともかかわりを持つことも多かった。

宿にいるこうのすけくんはアルメニアに友達がたくさんいた。彼は現地に住む日本人を紹介してくれ、その日本人が仲のいいアルメニア人グループがいるということで、僕は彼らに便乗しアルメニア人女性5人グループと知り合うことになった。

エレバンの中心街にあるオペラハウスは待ち合わせには最適の場所だった。誰でも知っていて、そして座る場所もある。僕は彼らと一緒にエレバンのウィークエンドマーケットを一通り覗いた後に、この5人組とこのオペラハウスの裏側のベンチのあたりで待ち合わせをした。

Hanaという5人組の女の子グループは日本の歌を歌う歌手であると彼らは教えてくれた。アルメニアと言う、正直あまりよく知らなかった国でも、日本のサブカルチャー好きはいた。いまや世界中のすべての国に入り込んでいるのではないかと思えるほど、行く国行く国において日本のアニメ・マンガはもちろん、Jpopなども一定の人気を博しているようだった。

僕らがオペラハウスにいたときすでに彼女らはいた。彼女らはあまり英語ができないということもあり、そしてそれ以上にシャイであったため、僕はあまり話すことはできなかった。他の日本人二人はそれなりにアルメニア語やロシア語で会話をしていたが、この二つの言語ができない僕には、なかなか入り込む隙はなかった。

アルメニアと言う旧ソヴィエト連邦の構成国は当然のようにロシア語を話す人が多い。基本的にアルメニア人はアルメニア語を話すが、ほぼすべてのアルメニア人は、22年前まで同じ国であったロシアの言葉、ロシア語を理解している。また、国と国の関係においてもアルメニアは、グルジアと違って、親ロシアであることも影響しているようだった。アゼルバイジャンとトルコというイスラムの敵国に囲まれているこのキリスト教国にとってソヴィエトというかつての超大国の中心ロシアは彼らにとって、日本にとってのアメリカと同じように、頼らなければならない存在になっているように思えた。

彼女らは散歩をしようと言っているとこうのすけくんは訳してくれた。散歩。観光するわけでもなく、バーに行くわけでもなく、クラブに行くわけでもなく、カフェに入るわけでもなく、散歩。この散歩と言う言葉が似合うほど彼女らは純粋だった。言い換えれば子供だった。18歳~22歳くらいの大人と子供の間くらいの年齢である彼女らは、どこからどうみても18歳、17歳、もしかしたら15歳といわれてもいいほど、子供だった。その仕草やむやみやたらに恥ずかしがるところ、トルコにもこのような少女のように純粋で、そして子供のような24歳をみたことを思い出した。

日本が好きで日本語の歌を歌っているグループであるということを考えれば当たり前のことだが、彼女らの中には日本語を理解できる人もいた。それどころかかなり上手に日本語を操るものもいた。だが、彼女らの子供っぽさについていけず僕は途中何もせずにただ黙って一緒に歩いていた。

最後になり夕食を食べるためにレストランに入った。ここでようやく僕はほんの少しだけ話をした。思ったとおり日本語はうまかった。彼女らのうちの一人はそんなに話すことはできないみたいだが、僕の言っている日本語を理解して英語で返してきた。僕はリゾットを食べて紅茶を飲みながら30分ほど話をした。

こんな純粋で子供のような20歳以上の女性がいるということは、トルコで経験した以外では、初めてだった。南米にもいたが、種類が違っていた。おそらくアルメニアという伝統的で保守的な国で両親に大切に育てられて、そして結婚して結婚相手に大切にされて子供を生んで、幸せな一生を歩んでいくのだろうか、、、などと考えながら彼女らと別れてリダの家に帰った。



リダの家についてから、ルーティングを考えた。

僕はエレバンに着いたときからずっとルーティングで悩んでいた。アゼルバイジャンでイランビザを取るルート。取れる保証も根拠もまったくないルート。アゼルバイジャンからはトルクメニスタンに船が出ている。だが、それこそ取れるという確証はまったくない。最悪イランビザ、トルクメニスタンビザが取れない場合、カザフスタンに行く船はある。ただ、そのためにはウズベキスタンビザをアゼルバイジャンで取らなければならない。イランやトルクメニスタンに比べればとりやすいとは思うが、それでもどのくらい日数がかかるかはまったくわからない。

アゼルバイジャンは近年の石油開発で急激に発達した国であり物価がアルメニアやグルジアに比べて異様に高いという話は有名だった。それがアゼルバイジャンに長く滞在できず、試しにビザを取りにいくということもできない一つの、大きな要因だった。

飛ぶか?アルマトイに飛べば楽になる。でも飛びたくない・・・自分の中で訳のわからない意地のようなものがあった。なぜか、最後くらいは陸にこだわりたいと思っていた。

何時間も考えた。後から考えればどっちでもいいだろうと思うことは確信していた。それにもかかわらず、自分で何を迷っているのかがわからなくなるほどに考えた。

・・・結局僕は跳ぶことにした。アゼルバイジャンの首都からイスタンブール経由アルマトイ行き。なぜかイスタンブールを経由する。一度西に逆戻りして来た道を通って東へ進む。これまで何日も何週間もかけてきた道を飛行機と言う文明の利器を使って一瞬で戻り、そしてまた来た道を一瞬で進む。旅におけるロマンもなにもあったものではないと思いながらも、僕は駅のWIFIを使ってクレジットカードの番号を入力して180ユーロのチケットを取った。

もう、バックパッカー的な冒険はもういいだろう。お金もそんなに変わらないのなら、そして時間もないのなら、もういいだろう。

それに、僕は今までの旅のスタイルを崩すことはできなかった。基本的に一つの都市に滞在する期間が長い。それは移動に費用がかかるという側面、ただ単に面倒くさがりであるという自分の性格ももちろんあるが、それ以上に、僕はその国、その街を感じるためにはある程度同じ場所に滞在して「生活」することが大切なのだと思うようになったからだった。

それは、思い返してみれば、この旅においても、前回の旅においても、ずっと同じようにやってきたことだった。あまりあそこがいい、あそこが面白い、という情報に飛びつかずに、ただ自分の気に入った場所に滞在してのんびりする。そして現地人の友達を作りそこで生活する。それこそが僕にとって一つの旅のスタイルだった。それを変えることはできなかったし、変える必要性もなかった。

そう考えると、こんなルーティングに悩むより、ビザが取れなくてあれこれ考えるより、結局は僕はアルメニアという国のエレバンと言う首都で、「今までと同じように」一つ一つゆっくりと「生活をする」というほうが、たとえそれがバックパッカー的でなくても、自分にはあっていると思うようになった。

最後の最後まで一つ一つじっくりと感じようと決めた。もう、いずれにしても残り少ない。終止符を打つ時は、帰国日は、迫ってきている。

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