~セバン湖~
セバンという街はエレバンから1時間半程度で行ける湖で有名な場所だと情報ノートに書いてあった。僕はエチミアジンも一緒に行った日本人と一緒にセバン湖湖を見に行くことにした。
セバン行きのバスが出ている北バスターミナルに行くため、中央駅からマルシュルートカに乗った。夏が近づきどんどんと気温はあがっていた。マルシュルートカには当然エアコンなどはなく、窓も一箇所しかあかない。だが運よくその窓の近くに席が取れたため、それなりに涼しく移動はできた。標高1000メートルほどのエレバンの中で、カスカードより北の地域はさらに高度があがっているのも影響しているようだった。
30分ほどかけて北バスターミナルにたどり着き、北ターミナルからセヴァン行きのバスを探した。セバン行きのバスは頻繁に出ているようで、二人でセバンセバンと言っていると、すぐにバスは見つかった。
バスに乗り込むと偶然イタリア人カップルと知り合った。彼女のほうは日本にボランティアをしに来たことがあり、日本語がびっくりするくらいベラベラだった。二人のはこのカップルと小一時間ばかり話し、気がついたらセヴァンについていた。
僕らはこのイタリア人カップルと一緒に行動することにした。彼らはタクシーをつかまえて一緒に乗り込んだ。またも楽しくおしゃべりをしているうちにあっというまに湖にたどり着いた。
湖がよく見えるレストランでケバブを食べてチェックをしようとしたとき、異様に値段が高くなっていることに気がついた。レシートをよく見ると頼んでもいないパンに500ドラム、ケチャップに700ドラムの値段が上乗せされていた。イタリア人カップルはあからさまに怒った表情を見せてレストランに抗議をした。当然僕も払う気はまったくなく、4人分のケバブの値段を自分たちで計算してその分のお金だけをテーブルの上においてそのまま店を出た。
若干嫌な気分になりながらも、湖がよく見える丘の上にある修道院に上るとそんな嫌な気分は次第になくなっていった。のどかで、穏やかで人懐っこいアルメニア人は田舎のほうが多いのかもしれない。そしてそれは世界共通なのかもしれない。いずれにしても僕は湖を見ながら、全然知らないアルメニア人を見ながら子供のようにはしゃいでいた。
丘の上の修道院は荘厳だった。東ヨーロッパにおける東方正教会では西ヨーロッパにおけるカトリック教会よりもさらに人々は敬虔で、そして熱心に祈りをささげていた。アルメニアは世界で一番最初にキリスト教を国教化した国であることを思い出した。
イタリア人カップルと別れ、僕らはセバンからノラディスという村に向かおうとしたが、すでにバスはなくヒッチハイクを試みた。だが、まったく車はつかまらなかった、むしろ方向すらわからなくなり人に道を聞いても誰も英語ができず、気がついたら午後5時だった。このままノラディスにいけばエレバンに帰れなくなる恐れがあったため、そのままエレバンに帰ろうとした。
だが、エレバン行きのバスもすでになかった。笑いながらさてどうするかと作戦を練り、結局ヒッチハイクをするしかないということになったが、またも全然車は止まらなかった。そのまま知らず知らずのうちに流れるように現地人とタクシーをシェアすることになり、結局1000ドラムでエレバンに帰ることができた。
帰ってきていつものように自炊をした。リダの家での自炊は楽しかった。買ってきた肉を焼いてみたけれど食べれないほど硬く食事ができなかったり、それを翌日ポトフにしたら美味しくなったり、鶏肉を一匹分買ってきて鍋のお湯で熱して解凍したり、、リダの家には電子レンジも冷蔵庫もないけれど、一切不便さは感じなかった。むしろそれすらも楽しさを助長させた。
僕は日本人旅行者と一緒にサラミやチーズをつまみにアルメニア産赤ワインを飲み、夜遅くまで話し込んだ。
アルメニア生活は確実に楽しくなっていった。
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