カザフスタン旅行記



中央アジア旅行記

~歓待~

ウズベキスタンビザを受け取るまでの1週間僕はアルマトイに滞在せざるを得なかった。

その間、カーリエは僕を客として迎え入れてくれた。

彼女の実家には2日間しかいれなかったが、彼女の隣の家のロシア人の家の一部屋を借りることができた。ここは家主がロシアに出かけていてウズベキスタン人が留守を頼まれているようだった。ウズベキスタン人とは一切言葉が通じなかったが、笑顔だけでなんとかなった。

弟のアルマスは石油会社で働いているエリートだった。お父さんも大学教授でありこの家は相当の金持ちのように見えた。ラマダン中のため彼は昼間はほとんど寝ていたが、夜になると僕をいろいろなところへ連れて行ってくれ、あるときは彼の婚約者と一緒にアルマトイにできた地下鉄の駅を案内してくれ、あるときは彼の友人と一緒にチャイや食事をおごってくれた。

政府関連の石油会社で働いている人間はどこか社会主義的官僚のようにも見えた。彼は完全にエリートだった。アルマスやカーリエと話しているとこの国はソヴィエト崩壊後、大統領が変わっておらず選挙もない、所謂独裁国家であると知った。そう考えると街もどこか人工的で、綺麗過ぎるとも思えた。碁盤の目に整理されていて緑が多い、地下鉄もカザフスタンの歴史や大統領をたたえるような描写が見られる。「大統領公園」などというのもある。

だが、石油が潤沢に取れるこの国においてはむしろ独裁国家であることはそんなに問題ではないように見えた。特に貧乏な人があふれているわけでもない、人々が自由がないというわけでもない、仮に自由がないとしても、自分がしっかりと生活できているのならば問題はない。

カザフスタンの人々は独裁国家であるにしても皆しっかりと生きていて、ある程度お金持ちで、幸せそうだった。

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カーリエは僕の生活を面倒見てくれた上に、さらにフェイスブックで「今家に日本人が来ているから日本好きは連絡ください」というような書き込みをフェイスブックでしてくれた。

その結果僕はアルマトイの日本好きと出会うこととなった。

一人はマリカという大学生であり、一人はガウハルという24歳の女の子であった。彼女らはそれぞれ友達ではなく、僕もカーリエに言われるがままに別々にあったが、どちらも日本語が完璧に話せた。どうやらアルマトイには日本センターというものがあり、そこで日本語を勉強できるらしかった。

僕は旅行中に日本語教師の資格を取ったと彼女らに言うと、どちらも「すごいすごい」というような反応を見せた。僕はマリカと一緒にウイグル地方の名物料理ラグマンを食べた。ラグマンは完全に中華料理の味がした。中国文化圏、もう少しで中国にたどり着く。中国の東隣の小さい島国は、僕は生まれ育った国である。

ガウハルとその友達は僕をキョクトベという見晴らしのいい丘に連れて行ってくれたがあいにくこの日は雨であった。結局そのままセンターに戻り、「かぶと」という日本食レストランでつけめんと餃子を食べた。ビールを飲み酔っ払いオーナーとも話した。ガウハルは今度日本に留学にくるということで、それを本当に楽しみにしていた。

カーリエもアルマスも、マリカもガウハルも、皆話を聞いている限り、お金持ちの部類に入る人間だと思われた。日本という国に興味を持つにはある程度の経済的余裕があるように見えた。経済的余裕のない人たちは日々生きるのに必死で、むしろ英語を必要とする。それは世界共通のことのように思えた。

さらに僕はスヴェータとアンドレイというロシア人ともひょんなことから知り合った。僕は彼らの家に招かれ、中国風の料理とはまったく違う、魚の塩漬けとジャガイモとちょっとすっぱい黒パン、所謂ウォッカが似合いそうな典型的なロシア料理をご馳走になった。

彼らはカザフスタン国籍のロシア人、この国は帝政ロシア・ソヴィエトの時代にロシア人が大量に移住した所謂植民地であった。ソヴィエト連邦が崩壊し独立した今、この国にはモンゴロイド系のカザフスタン人とロシア人が何の問題もなく共存し、カザフスタン人はカザフ語とロシア語を両方話す。モンゴロイドがロシア語を話すという光景は僕にとってシュールにしか見えなかったが、それは僕がただ無知なだけであった。ソヴィエト連邦も、現在のロシア連邦も元々は東側を征服したヨーロッパの一国家であり、その意味ではロシアはいまだに大国であった。旧ソヴィエト連邦をまわればまわるほど、ロシア連邦という国がいかに強大な国家であるかがわかる。

僕はこの国に来るまでカザフスタンと言う国がどういう国なのかまったく知らなかった。旧ソヴィエト連邦のレギストラーツィアが厳しく警察が賄賂を要求してくる国、という印象しかなかった。

にもかかわらず、こんな未知の国カザフスタンにすら、多くの日本好きがいて、日本のコンテンツが浸透していて、日本語を話せる人たちがいるという事実に僕は驚愕した。日本は経済的な意味で国際的プレゼンスが低下しているかと思っていたが、コンテンツと言う意味ではむしろバブル期よりも国際的になっている。この事実に驚きは隠せなかった。

世界は広い。まだまだ知らない国がたくさんあるのだと、自分の無知とそれを知る楽しさを覚えた。やはりどれだけ旅をしても僕は世界に対して飽きることはなかった。

・・・僕はこの未知の国カザフスタンで、驚くほどの歓待を受けた。それは僕が日本人であるということも影響しているように思えた。

僕は自分の将来を考え始めていた。旅は終わりに近づいている。

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