〜電話営業〜新しく始めたバイトは「光ファイバーを家庭に売る」ということだった。 まったく知らない家庭に電話をかけて「インターネット料金が安くなるから光ファイバーに変えませんか?」と言う案内をする。意味が分からない。 いきなりかけて信用できるわけないじゃんって思ったがこれが仕事だ。少なくともあのパチ屋よりはマシな仕事だ。 初めの3日間の研修はさすがちゃんとした企業という感じで丁寧に研修してくれて良かった。バイトなのに社員のように扱ってくれ、バイトが働きやすい環境を整えてくれている。今度こそやれるなと思った。「初めの3ヶ月は新人は受注とれないから安心して」とも言われ安心していた。 そしてここでは旅人というのはいなかったものの、自分と似たような境遇の仲間が沢山いた。音楽をやっている人、役者をやっている人、なんとなく正社員になりたくない人、、こういう人たちと話をすると安心する。自分が一人ではないと思い自信を持って旅の準備を進めることが出来る。 研修が終わり電話をかけることになった。
・・・「そうだよな。当たり前だよな。俺だったらそうする。」
とりあえず元気いっぱいにやってみることにした。声の大きさととりあえず何でもいいからペチャクチャ話をすることだけは誰にも負けない。 「こんにちは!お世話になりますぅ!!!!」 ・・・・こんにちはじゃねーよ。っていうかお前だれだよ。
「こんにちは!お世話になりますぅ!!!今回インターネット料金が値下がりすると言うことでお電話差し上げたのですけどぉ!!!!」
こうして初日に一件の受注を取った。周りは拍手喝采。SVやマネージャーに名前を覚えてもらい、期待のホープとお世辞を言われるようになった。うれしかった。パチ屋とは正反対である。これぞ自分にあっている仕事。これだったら続けられそうだ。 一週間もする頃には電話をかけること自体に慣れてきた。段々と相手に何を言われても気にしない精神力がついてきた。そして徐々に受注が取れるようになってきた。
ただ、プレッシャーはすごかった。営業会社の特性か、気合入れが激しい。大きい声を出すのは嫌いではないが、そして自分が直接怒られているわけではないが、会社全体の売り上げが悪いようだ。自分がどんなに頑張っても会社の売り上げが悪いのは変えようがない。 気づいたときには部署で上位に食い込むくらいに成績を上げれるようになっていた。偉い人との会食にも呼ばれた。一般の人から見て極貧生活を送っているせいかお金も溜まってきた。ずっともっていなかった保険証を持つようになった。 きてる。いい感じにきてる。 このままオーストラリアにいけるんじゃないか?でも、このままオーストラリアに行ってもいいのか?全然自分のやりたいことが明確ではなかった。働けば働くほどプライベートと仕事の区別がつかなくなり、自分が実際問題何をしたいのかが分からなくなってきていた。ワーホリに行きたいのか?そもそもオーストラリアで稼げるのか?韓国はどうする? ・・・・迷いながら仕事をしていたある日、一枚の紙を配られた。「一ヵ月後に全員一回解雇します」という内容だった。 皮肉にも、わずか2ヶ月で解雇になっても笑ってしまうくらいの余裕をこの会社で身につけてしまった。 TOP NEXT. |