ギリシャのメテオラ





~天空に聳え立つ修道院~

朝6時半にも関わらず、あたりは暗かった。夜行バスはギリシャのテッサロニキに無事到着した。

僕はメテオラという場所に行きたかった。以前に偶然、ネットでメテオラの修道院を見たときにギリシャに来たときは必ずここに行こうと決めていた。また、エルサレムで会った旅行者からも、メテオラはいいところだと聞いていた。

僕はイスタンブールに長くいすぎたため、あまりギリシャで過ごす時間はなかった。テッサロニキからローマへのチケットはすでに持ってる。テッサロニキにも見所はあるのだろうが、たとえテッサロニキを見て周れなくてもメテオラに行こうと決めた。

暗い夜道を歩いた。人があまりいない。どこか寂れているヨーロッパの都市、僕はギリシャに来たのは初めてだったが、6年半前に来たことがあるマケドニアのスコピエやセルビアのベオグラードに雰囲気は似ていた。また、道を聞いてもあまり英語を理解してくれなかった。

僕は何とかターミナル駅にたどり着き、メテオラの起点となる街、カランバカ行きのチケットを買った。片道25ユーロ。往復50ユーロ。この金額は僕にとって相当痛いものであったが、メテオラに行くと決めた以上は買うしかなかった。

数時間カフェで日記を書いているといつの間にか出発の時間になった。僕は列車に乗り込み、眠ったり、イタリアの地球の歩き方を読んだりしていた。テッサロニキの暗さが嘘のように、列車内の人は親切で、そして純粋で明るかった。

窓から見える景色は田舎そのものだった。列車に揺られながら車窓を眺めると、僕の心は癒された。これまでカイロ・エルサレム・イスタンブールという歴史的に相当重い場所で、エネルギーを使いながら歩き回ってきた。それは僕の心を十分に満たし、ときめかすと同時に疲れさせもした。だからこそこの何もない田舎町の風景は僕の心を癒した。

ギリシャの田舎

4時間ほどでカランバカに到着した。カランバカは暑かった。僕は暑いのを我慢しながら円のレートがよい銀行を探したがどこにもなかった。どこに行ってもコミッションを取られたため結局円を両替するのはやめた。

荷物を駅に預けメテオラに向かおうとしたが、もうすでにバスはなく、タクシーで行くしかない状態になった。僕はいつものようにタクシーを使わずに歩いてメテオラに向かった。その辺の人に聞くとメテオラまで5キロほどということだったので何とかなると思った。

人に道を聞きながらメテオラに向かった。メテオラまでの道のりは途中までは道路の一本道なので迷うことはなかったが、段々と舗装された道路はなくなり、険しい丘を登らなければならなかった。頭にインディージョーンズのテーマ曲が流れ、はぁはぁいいながら、1時間ほどかけて登った。徐々に景色は絶景へと変わって行き、下から見上げていた奇岩に近づいている感覚がでてきて、疲れもあいまってテンションが無駄にあがっていった。

メテオラ

メテオラ

険しい陸を登りきると、石畳に出た。その上にはドラクエⅣに出てくるような感じの天空に聳え立つ修道院があった。中に入ろうとさらに上に上ると、黒い修道服を着た男はクローズと言った。どうやら午後4時までしかこの修道院は開いていないようだった。僕はここまで来てクローズであることに、また、自分の間抜けさにいらだちながら「自分の時計はあと5分あるから入れてくれ」とまくし立てるようにお願いした。だが、無駄だった。

次の日に来ようと思い、仕方なく帰ろうとすると、どうやら天空に聳え立つ修道院は一つだけではないようだった。もう一つの修道院は5時まで開いていると道を歩いている老人が教えてくれ、僕はもう一つの修道院に向かった。

ようやく落ち着くことができ、風景を眺めた。奇岩の上に修道院が聳えていた。そこにはドラクエやFFの世界がリアルに存在していた。あまりにも素晴らしい風景を見て、僕は同じような写真を何枚も撮った。

メテオラの修道院

メテオラの修道院

メテオラの修道院

中には古代・中世キリスト教の壁画があった。外の景色と中の壁画はどちらも素晴らしく僕は30分しかなかった時間を存分に使って撮影禁止されていない箇所の写真を撮り、静かに見て周った。

メテオラの修道院

ガイドブックもなく、ただすごいという噂を聞いただけで来たので、ここが何なのかは全く分からなかった。だが、この壁画とこの景色は今まで見てきた風景の中で一番よかった。いつもいつも一番は塗り替えられるがそれでいいと思った。

–-

大きな崖に行き、僕は自分の写真を撮りたくなった。偶然にも若いヨーロッパ人が歩いていて声をかけて写真を撮ってもらった。お礼をいい少しだけ話していると彼はジョフランという名前で、スペイン人であることが分かった。

僕はしばらく使ってなくて忘れていたスペイン語を思い出しながら彼と話しをした。面と向かってスペイン人と話をしたのは初めてだった。彼はスペインに仕事がなくギリシャで仕事を探し、その途中でメテオラに来ているようだった。

僕らは途中ヒッチハイクをして、カランバカに戻ってきた僕は野宿をするつもだと彼に言うと彼は「俺の部屋に来いよ」と言った。彼は何故かツインの部屋をシングルの料金で借りていた。その部屋は25ユーロでシェアして12.5ユーロずつにしようと思った。だが、彼は「10ユーロでいいよ」と言い、僕は結局10ユーロで部屋をシェアし、ヨーロッパ野宿計画初日から野宿は出来なかった。

次の日に、僕は午後5時半発の帰りの列車のチケットを買い、彼と一緒にメテオラの修道院に登った。彼の話によると全部で5つ修道院はあるようだった。前日の二つの修道院を見ているので残り3つになるが、数はどうでもよかった。時間がなく、見れるところだけ見ようとしか思っていなかった。僕らは寝坊してバスはもう行ってしまっていたため、前日と同じような丘をよじ登り、はぁはぁいいながら疲れ果てて上に登った。そこには前日とは違うが、より素晴らしい奇岩と、赤く映えるヨーロッパの町並みと、そして天空に聳え立つ修道院があった。僕の頭はドラクエⅣの洞窟の音楽と修道院の音楽で一杯になった。

メテオラの修道院

メテオラの修道院

いつの間にかジョフランとはぐれてしまい、僕は帰りの電車に間に合わなくなるのが怖かったため、一人で丘を降りた。来た道ではなく車が通れるような道路を一人散歩感覚で歩いていた。2時間ほどで街に着き僕は仲良くなったおばちゃんがいるケバブ屋でケバブを食べ、広場のWIFIが通る場所でネットにつなぎ、彼に「ごめん!またスペインで会おう!」とメールを送った。

カランバカの街の人は皆純粋で優しく、言い意味でのヨーロッパの田舎だった。ギリシャの経済危機と騒がれている世の中で、特に彼らは何にも気にしていないようだった。どこの国でも都市部と田舎では人の性質が違うのだろうとも思った。

駅に行くとジョフランがいた。彼は僕が帰るのを知っていたので駅に見送りに着てくれていた。僕は彼とハグをしてそのまま列車に乗り込みテッサロニキへ帰った。夜10時ごろ、4時間ほどでテッサロニキに着き、僕は四苦八苦しながらも人に道を聞いてなんとか空港に到着した。

朝、空港で眠っている時に警察に起こされたが、場所を変えながらまた眠った。やはり空港泊は厳しそうだったが、なんとか宿代を浮かすことが出来た。眠ったのか眠れていないのかもやもやの状態で僕はライアンエアーの厳しい荷物チェックをクリアし、イタリアへ向かった。

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