~ヨーロッパの起源~
人類は川の近くに文明を作った。ナイル川のエジプト文明、インダス川のインダス文明、ティグリスユーフラテス川のメソポタミア文明、黄河の黄河文明。ヨーロッパも例外ではなかった。フランスにはセーヌ川、ドイツにはライン川、旧ユーゴスラビア圏にはドナウ川が流れている。
ここローマにはテヴェレ川が流れている。ローマはテヴェレ川と7つの丘から始まったと何かの本で読んだことがある。
僕は寒くて危険な野宿を終えて宿に戻った。宿はトラステヴェレというローマ中心部から見たテヴェレ川の向こう側にあった。トラステヴェレは観光客が全くいなくてイタリアの古都の雰囲気を出していた。
宿で一休みした後、僕は宿を出て中心部に3分ほど歩き、テヴェレ川に着いた。僕はそのままガリバルディ橋を渡り、テヴェレ川沿いに北に向かって歩いた。テヴェレ川にはローマ中心部に架かるいくつもの橋があり、その橋が川に反射する光景が綺麗だった。
10分ほど歩くとサンタジェロ城が見えた。サンタジェロ城もまた川に反射していた。
僕はサンタジェロ城の中に入り、テラスからローマの全景を見ていた。
サンタジェロ城から西へ歩くとサンピエトロ大聖堂が見える。ここは世界で一番小さい国ヴァチカン市国の領土になる。元首はローマ法王であり、ローマ教皇領として存在している列記とした独立国である。
僕は広場の左側にあるゲートから荷物検査を終えて多くの観光客と同じように中へ入り写真を撮り、このサンピエトロ大聖堂の中に入った。
一度来ている分、そんなに中の美術には感動しなかった。僕はもともと絵画や彫刻にはあまり興味が無くどちらかといえばヨーロッパ建築のほうに興味があった。だが、そんな僕でも、ミケランジェロのピエタには感動した。
僕は美術館にお金を払う余裕は無かった。サンピエトロ大聖堂はクーポラ以外は無料だが、ローマでは一つの美術館に入るのに基本的に5ユーロから15ユーロほどかかる。しかもその数は10を超える。自分の予算の問題もあるが、それ以上にあまり美術自体には興味がなかった。むしろ興味はあるがお金を払うほどのものではなかったというほうが正しいかもしれない。それよりもローマの風景のほうが興味があった。
だが、僕はヴァチカン宮殿の15ユーロだけはお金を払った。そして思ったとおり、その15ユーロに見合うだけのものをヴァチカン宮殿のミケランジェロの最後の審判とラファエロのアテネの学童は見せてくれた。
その他にもこのヴァチカン宮殿には数々の絵画や彫刻があり、全然美術に詳しくない僕ですらその美術品に魅了された。
だが、僕にとって絵画や彫刻はそこまで見たいものではなかった。確かにヴァチカン宮殿やサンピエトロ大聖堂には魅了されたが、僕にとってローマではそれ以上に見たいものがあった。
それは主に二つに分けられた。一つはローマ帝国の遺跡であり、もう一つはミラノ勅令によるキリスト教公認後長きに渡り発展した、ローマ教皇領としてのキリスト教建築であった。
いわゆるヨーロッパはここから始まっている。それはローマ帝国という意味でもそうだし、ヨーロッパの精神的支柱であるキリスト教においてもそうであった。
僕は数日間にわたってヨーロッパの起源であるローマ帝国の遺跡、ローマにある7つの丘。そして世界で一番多いのではないかと思われるほど至る所にある教会を体力の許す限り見て周った。それはコロッセオやフォロロマーノ・パラティーノの丘などの有名どころから、明らかに誰も行かないようなマルタ騎士団の館まで文字通りすべてを見て周った。
地球の歩き方のイタリア版は地図がかなり精巧に出来ていた。僕はこの地図を頼りに歩き回った。それは歩き方に書いてある「主な見所」を見るのではなく、地図上にある7つの丘+ジャニコロの丘とピンチョの丘、計9つの丘すべてを見て、地図上にある100個以上あるすべての教会を見ようと試みた。中には見れなかったところもあるかもしれないが、それでも見所ではなく、すべてを見ようとずっと歩いていた。
見ていると胸がときめきすぎて吐きそうになった。ずっとこれを見たくて、こういうものを見たくて僕は頑張ってきた。その感慨を超えて、僕にはもはや綺麗過ぎて、自分が見たいものが目の前にありすぎて、気持ち悪くなるほどにローマを歩き回り、何かに取り付かれたように写真を撮っていた。
ローマにはどこを歩いていても教会がある。それは中南米と違い、どこか歴史があり、豪華ではない。権力を誇示するための教会ではなくただ、宗教的なものとして教会がある。また、ローマは観光客のいない裏通りも石畳が情緒を感じさせ、歴史の重みを分からせてくれる。
僕のローマでの生活は悲惨なものになっていた。スーパーマーケットでピーナッツクリームを買い、パンを買う。これがメインの食事になっていた。野宿の後は宿に戻ったが、夜中中うるさく、シャワーのお湯がなくなったりと、ヨーロッパにあるまじき宿で、あまり体を休めることも出来なかった。
だが、僕は必ずどんなにお金を使わない生活をしていても、旅の中でその国の嗜好品だけは必ず食べたり飲んだりしていた。それはイタリアも例外ではなかった。僕は毎日のように2~3ユーロのピザを食べ、カフェラテを飲んだ。食事は貧乏くさくてもその国に来た感覚だけは味わいたかった。
ローマは大きい。バスや地下鉄を使えば効率的に周れるがあえてそれはせず、自分の足で歩き回った。空腹と疲れはあったが、僕は今までの自分の人生で一番と思えるほど幸せだった。何がなくても関係なく、その瞬間は病的ともいえるほどに幸せだった。
エルサレム・イスタンブールそしてローマ。僕はこの3つのローマ帝国の軌跡をついにすべてみることが出来た。中でもやはりローマが一番だった。僕は完全にローマに魅せられた。
僕は6年前と同じようにトレヴィの泉にコインを投げた。
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