旅小説





~文学少女~

僕は普段起きることがないような朝早い時間に目が覚めた。あの人と会うことに緊張していた。あの人と会うという事実は僕にとって不思議な感覚だった。

イスマイリアで朝食を食べ、なんとなく宿の中をうろうろと歩いたり、座ったり、ベッドで寝転んだり、と僕は常に落ち着きのない様子だった。彼女と会えるということは僕にとって喜びであると同時に緊張だった。

僕は空港へ彼女を迎えに行こうと考えた。それは彼女が慣れない一人旅で不安になっているところを安心させたいという想いもあったが、それ以上に、彼女と会うのを待ちきれないという想いのほうが強かった。だが、彼女の一人旅を邪魔したくないという想いも同じようにあった。

数十分考えて、結局迎えに行くことにした。一人旅の邪魔になるのは申し訳なかったが、おそらくあまり海外に慣れていない彼女の不安を安心に変えるほうがいいかなと思った。それ以上に自分が「会いたい」という想いを我慢することができなかった。空港で会うという約束はしていない。ただ、午後2時にキングトゥトというホテルで待ち合わせをしているだけだった。だが、時間は十分にあった。もし空港で会えなくても午後2時にそのホテルに行くことは十分可能だった。

僕はタフリール広場の横のバスターミナルから空港行き153番のバスに乗った。

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彼女とは三軒茶屋のゲストハウスで知り合った。僕が旅に出るためにお金をためている時だった。僕は4月に知り合って9月の終わりにゲストハウスを出たので、旅に出る前の約半年間一緒にいたことになる。

僕と彼女は知り合ってすぐに仲良くなった。文学をそれほど知らない僕は、文学の研究者である彼女に人間として惹かれた。お互いの感覚は似ていて、お互いが夢を追っていて、お互いがお互いを信頼しあうのに時間はかからなかった。 彼女の頭の良さ、 冷静な判断力、自分にはない芯の強さ、僕は好きという感情よりも彼女に興味があった。

僕らは、お互いに応援して行こうと世田谷公園の桜を見ながら約束した。

「いつかいろんな経験をした後で語り会ったら楽しいだろうね」というようなことを本気で語っていた。僕は同士として、お互いの人生の戦友として、最高の人間と知り合えたと思った。

それから、Yと話す機会は多くなった。夜中に二人でゲストハウスのリビングでコーヒーを飲みながら語り合った。僕らは語り合うと止まらなかった。文学者である彼女と、教育者である彼女と、僕は彼女のさまざまな面の不思議さが僕はたまらなく好きだった。

だが、それは決して恋愛と呼べるものではなかった。僕は彼女と付き合いたいと思ったことは一度もなかった。それは彼女も同じだった。僕は三軒茶屋のキャロットタワーの屋上で彼女に「Yのことは好きだけど、でも旅にでたいから付き合いたくない」と意味不明な告白をした。彼女は笑っていた。

僕は彼女を好きだった。だが、僕は彼女よりも旅が好きだった。もう一度世界を見ることを夢見ていた。そのために辛い思いをしてお金をためていた。それは誰にも邪魔できなかった。どんなに好きな人がいても、どんなに大切な人がいても、僕は自分のやりたいこと、自分の夢を最優先させた。

それは彼女は理解してくれていた、そして彼女は自分の道を行き、僕に対してそういう感情は一切持っていなかった。だが、お互いが夢を叶えた後に再開したらどんな気分になるのだろうというようなことを何時間も語っていた。

その後も、僕らは不思議と、異常なまでにどんどんどんどんと仲良くなっていった。彼女は僕を信頼し、僕は彼女を信頼した。そしてお互いにコーヒーを片手にリビングで、或いは屋上で、話をしあうごとに、そしてそれが気づいたらいつの間にか朝日が昇るごとに、僕らの信頼関係は深まった。

周りから見れば難しすぎて意味不明な議論を何時間も何時間も続けた。いつも気づいたときには朝日が昇る。僕は彼女と話をするごとに自分自身の考え方が広くなり、そして人として成長できた。

それから1年が経過しようとしている。今から1年前、僕らは屋上で話をした。彼女は泣いていた。彼女の私情でずっと泣いていた。僕は何も言わずに、初めて言葉を交わすことなく彼女と一緒にいた。彼女を見守っているだけでいいと思えた。いつのまにかこの日も朝日は昇った。その朝日は東京とは思えないほどの奇跡的な色だった。二人の絆はまた深まった。だが、どんなに信頼関係は深まっても、お互いの恋愛感情は発展しなかった。

この日から約1ヵ月後に、僕は三茶のゲストハウスを出た。たった半年の間にどれだけの時間を一緒にすごしたのだろうか?どれだけ一緒に笑ったのだろうか?

「Yは恋人でもなければ嫁でもない、ただの友達である。」と僕はそのときに日記に書いた。それは事実であり、僕はそのことを大して悲しく思っていなかった。ただ、僕は目の前に見える日本以外の国々しか見えていなかった。だが、三茶を出る日に彼女が僕にあるプレゼントをくれたとき、僕は泣いた。それは寂しいからでも悲しいからでもなかった。前回の旅から日本に帰ってきて約2年が経過して、僕は初めて嬉しくて泣いた。

同時に、これは厳然たる「別れ」であった。僕の三軒茶屋での生活は終わった。僕は彼女にもう甘えることなく、思い出に甘えることなく、自分の力だけで、旅をするのだと誓った。

僕は彼女と人として出会えたことに感謝した。こんなご時勢に、東京の街を歩いて、たくさんの人とすれ違う中で、こんなにも言葉を大切にし、ひたむきな人間と知り合えたことに、運命に感謝した。未来がどうなるかではなく、出会えたという事実に、語り合ったという事実に、感情をシェアしてきたという事実に、お互いが励ましあって支えあってきたという事実に、僕は感謝した。もう二度と会えなくても、僕のことを忘れてしまってもよかった。未来に何が起こっても、この三軒茶屋での事実は変わらないということだけは確信を持っていた。

だが、旅に出てからも僕とこの文学少女の関係は壊れることなく、むしろ深まっていった。

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僕が旅を続けて4ヶ月ほど経過したある日、エルサルバドルのある街でふとフェイスブックを見ると、一通のメッセージが届いていた。

「私はあなたに決めました。あなたを愛しています」という内容だった。彼女は酔っ払っていた。

旅を続けていた僕は、彼女のことを少しだけ忘れていた。

驚いた。突然、これは冗談なのだろうか?だが、僕は彼女がこういうことで冗談を言う人ではないことを知っていた。

これは・・・・本気だ。

僕はどうすればいいかわからなくなったが、すぐにメールを返した。「今夜は月が綺麗だね」・・この意味は彼女ならわかってくれると信じながらこのメッセージを返した。すると彼女は「最高の返事です」と返してくれた。僕の意思が伝わったことが嬉しくてしょうがなかった。

僕は首都サンサルバドルに戻り、宿で彼女とスカイプをした。旅を始めて4ヶ月目にして僕ははじめて彼女の肉声を聞いた。だが、会話はいつものとおりだった。本当に僕を愛しているのかと疑問になるほど、三茶にいたときと会話の内容も声のトーンも一緒だった。それは僕も一緒だった。僕は焦りを隠すわけでもなく、むしろ焦らずに4ヶ月前と何も変わらないままに話をした。彼女が僕を別に愛していようが愛していまいがあまり関係なかった。

「恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。 」・・夏目漱石の小説の一部を思い出した。

僕にとってはどっちも嬉しいものだった。恋は嬉しい。恋をしないのも嬉しい。それは僕には旅というものがあるからだった。

僕はフェイスブックの交際ステータスを恋人に変えようと彼女に申請をした。そして申請をした瞬間に一人で顔を真っ赤にするほど恥ずかしくなった。彼女が僕を愛しているとしても僕と恋人になりたいとは思っていないかもしれない。もし恋人になりたくないと言われたら。。僕は一人でただ勘違いをしていただけだと思われる。顔から火がでそうなほど恥ずかしくなり、僕は彼女にそれとなくメールした。

数日間、僕はネット環境がなく、3,4日後にニカラグアのレオンでフェイスブックを開いた。そこには意外な言葉が長々と綴られていた。

「あなたのことが好き。でも、あなたとはまだ付き合いたくない。」
「私の今まで男運は最悪。いつも不幸な形で別れて、別れた後、私を憎んでる。もしあなたがそうなったら耐えられない。だからこそ賭けをしたい。それは時間をかけてお互いを見ていきたいということ。それまで私は一人でいると、一人ではなく独り。・・・」

僕は彼女の言っていることを理解した。むしろ彼女の妥協を許さない姿勢を尊敬し、自分を好いてくれたことに感謝した。自分が彼氏であるとか、つきあいたいとか、そういうことはどうでもよかった。ただ、彼女にこれ以上傷ついてほしくなかった。だからこそ、むしろ独りでいてほしかった。強くなってほしかった。信念を貫いてほしかった。

「すべての人から好かれるのは無理です。でも、同じようにすべての人から嫌われるのも無理です。これからの人生出もあなたを好きな勢力も嫌いな勢力も出てきます。それにいちいち負けないように。もっと強くなってください。」 口当たりのよくないこと。誰しもが言われたくないこと。彼女のプライドを傷つけてしまうかもしれないと思いながら、僕はこう言った。

心の底から僕は彼女の幸せだけを願った。他人に対してこういう風に思ったのは生まれて初めてだった。これは偽善ではなかった。

また、僕は彼女のことを考えながら自分の事も同じように考えていた。僕は旅中に彼女の恋人になるのは嫌だった。恋人がいることで、自分の旅に集中できなくなるのが嫌だった。それだけは絶対に避けなければならないことだった。

それは彼女も同じように考えていた。彼女は「私のことよりも旅に集中してほしいと」言った。僕は彼女の願いどおりに自分の欲望、自分のやりたいことを忠実に守るため、このメールの後も彼女に対してそこまで連絡を取らない日々を送った。

ただ、彼女の賭けにのろうと思った。この文学少女の言う通り、二人で賭けて、時間をかけて、実らせたいと思うようになった。

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僕は中南米でホームステイをするなかで、女性から告白されることが多かった。僕がもてているわけではなく、ラテンアメリカの女性は常に積極的で、そして悪く言えば、全員ではないが、熱しやすく冷めやすい性質があるように思えた。

僕は彼女ら全員に感謝したが、Yのために付き合うという行為をしなかった。恋人にはなりたくなかった。Yのことを想うと同時に、自分自身の旅を途中で終えるということをしたくなかった。

だが、彼女は心配した。僕は、彼女のことを考えて中南米のホームステイをやめようとは思っていなかった。

むしろ、それは心配というよりも気遣いだった。事実、彼女は僕が旅に出てから、そこまで頻繁に連絡をしなかった。普通、ジェラシーを抱かざるを得ない場面で僕を気遣うその姿勢は人間として尊敬に値するものであり、僕は感謝と尊敬の念を彼女に持った。

そんな話をしていくなかで、僕らは三軒茶屋にいたころよりもさらに深い信頼関係を持つようになった。そして、僕がブエノスアイレスにいた時に、僕らはエジプトで合流しようということになった。

彼女はフェイスブックで僕にチケットの日程のメールを送り、その日程に合わせて僕はブラジルのサルバドールからドイツ経由エジプト行きのチケットを買った。全く予定になかったエジプト。それにより出費はかさんだが、僕は彼女と会えるということが楽しみで楽しみで、出費のことはそんなに考えていなかった。

僕はサルバドールを目指した。ブエノスアイレスから逆周りで、チリ・ペルー・エクアドル・コロンビア・ベネズエラを通ってサルバドールを目指した。だが、途中、ペルーの北部トゥンベスで強盗に遭い、すべてを奪われた。

「 30hun hodo maeni goutouni aimsita.
majide kaado mo kanemo pasupootomo zenbu torareta.
ima keisatuni hogo shitemoratterukara daijyoubu.
korekara dousuruka ha mada wakaran. toriisogi」

僕は強盗に遭った直後の警察署の中で、フェイスブックのウォールに書くよりも先に、彼女にメッセージを送った。僕のメッセージを見た彼女は心配になりすぎて、断れない仕事上の飲み会に行った後、倒れた。

後日、リマに戻った僕は、心の底から申し訳なく思い、彼女に「申し訳ありませんでした」と言った。彼女は珍しく整った日本語を使わず、「ほんとだよ。ばーか」と言った。そこに愛情を感じた。

「エジプトを目指す。まだあきらめていない」 と僕は言った。僕はすでにチケットを持っているからという金銭的な理由ではなく、どんな状態になっても8月にエジプトに行くのだと決めた。何が何でも、どんな手を使ってでも彼女に会いたいと思うようになっていった。泣き出しそうなくらい辛かったが彼女に泣き言は言わなかった。ただ、クレジットカードとパソコンを持ってきてもらうことだけはお願いした。彼女のプレッシャーになることはわかっていたが、それでも僕は心からお願いした。

それは恋心でも寂しさを紛らわせるというような気持ちでもなかった。僕は、ただ、ありがとうと言いたかった。日本にいた時に僕を成長させてくれ、感情を分けあっ てくれて、旅にでた後も多くを語らず、支えてくれて、ありがとうと、無機質な通信機器を通じてではなく、目を見て、肉声で言いたかった。

そして会いたい理由はもう一つあった。
僕はこの人と旅仲間として語り合い、一緒に旅行がしたかった。日本にいた時に誰よりも信頼していた人と、何よりも好きな海外旅行というフィールドで会いたい。それは楽しみの一つですらあった。

僕は必死になって最後まで中南米を楽しんだ。それは彼女の願いでもあった。それと同時に自分の持てるすべての力を発揮して、強盗に奪われたすべてのものを復旧させ、そしてコロンビアでブラジルビザを取り、なんとかドイツまでたどり着くことができた。

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タフリール広場から空港に行く道は込んでいた。僕は空港で会えないかもしれないという不安を持ち、焦った。結局普通20,30分で着くところ1時間半ほどかかって空港に着いた。

空港からさらにターミナルを探した。早く彼女に会いたい気持ちと、間に合わないかもしれないという不安で僕は焦りながら、彼女が来るターミナルに空港内をまわっているバスにのり、走った。

空港の職員に聞くと彼女の乗ってきている飛行機はまだ到着していないようだった。僕はどきどきしながら彼女を待った。

さらに30分ほど待った。すると、10ヶ月ほど前に日本で見たことのある、けれどもちょっとだけ髪の毛が短くなった、東南アジア風の格好をした、一人の背の小さくてかわいらしい女性が不安そうにゲートから出てきた。

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