イギリス・ロンドンでの治験





~献血~

僕は指定された日にちにロンドンからちょっと離れたクロイドンという所にある病院に向かっていた。

ロンドンには前日についたばかりで、地理が把握できていなかった。なおかつ、ロンドンは大都会で、東京のように複雑にバスや地下鉄が路線網を張り巡らしていた、僕は病院にいくには、どこでどう乗り換えていくのか?バスがいいのか地下鉄がいいのか?全く持って分からず、とりあえずバスと地下鉄と列車を乗り継ぎながら、試行錯誤して向かった。結局病院まで行くのに1000円くらいかかった。この交通費は出ない。

僕はここで治験の事前検診を受けることになっていた。イタリアで送ったコレステロール値が先方が求める数値だったため事前検診の招待が来ていた。ここで事前検診を受けて合格すれば治験可能。数十万円手にすることが出来る。たとえ出来ないとしても交通費は全額負担してくれ、一日10ポンドまでは滞在費も補助してくれる。なおかつ、献血をするだけで40ポンドの謝礼金までもらえるということで、これに行かない手はなかった。

病院に入ったところでパスポートを忘れたことに気がついた。もう一度病院に行かなければならないとなるともはやこの交通費だけで献血の謝礼金を超えるレベルになってきていた。僕は本気でイギリスの交通費の高さに嫌気が差してきていた。

担当の日本人にパスポートを忘れたことを告げ、なんとかパスポートなしで献血できることになった、ここで献血をして、もう一度コレステロール値を図り、その数値が先方の求めるものならば、治験は可能となる。

奥の検査室に連れて行かれ採血をした。イギリス人に問診をされ、身長と体重を図り、注射を打たれて血を抜かれる。決して気分のいいものではなかったが、謝礼金40ポンドもらえて、なおかつ数十万円もらえるチャンスがあると考えると、全く持って苦しいものではなかった。

だが、一つだけ懸念があった。おそらく日本人の担当者はトータルのコレステロール値と悪玉コレステロールを勘違いしているようだった。この勘違いでイギリスまでただでこれたと思えばラッキーはラッキーだが、おそらくこの献血の検査結果でドクターがしっかりと判断をして、僕は落とされてしまう可能性が高かった。落とされてしまうとその後3日分までしか滞在費は補助されない。

いずれにしてもあっさりと検査は終わった。担当は検査結果をまたメールしますとだけいい、僕は病院を後にした。ロンドンに戻るまでにまた1000円ほどかかった。献血の謝礼金の意味があまりなくなってきていた。

滞在費の補助は10ポンドしか出ないため僕は10ポンド以下の宿に泊まらなければならなかった。だが、ホステルブッカーズ上では常に値段は変動していて次の日には同じ宿なのに値段が上がったりということがあるため常に宿を移動せざるを得なかった。とりあえずシェパーズブッシュからホルボーンの宿にあるラッセルスクウェアホステルという宿に移動をした。その、宿から宿への移動もまた費用がかかる。僕は自分が何をしているのか分からなくなってきていた。



この間僕はイスラエルであった日本人と再開し、地下鉄に乗りながらロンドンを観光した。ロンドンは常に天気が悪かった。地下鉄は900円ほどだせば1日乗り放題になるようだった。いずれにしても破格の値段であることは間違いない。

バッキンガム宮殿は思った以上にたいしたことがなかった。別に大きくもない、すごくもない。何よりも天気が悪くて気分的にもよくなかった。その後もビッグベンやウェストミンスター宮殿、セントポール大寺院などを見て周ったが、それなりにロンドンの名所ではあるものの、僕の心を動かすものではなかった。それでもロックの聖地ロンドンでのライブはそれなりに面白かった。どちらかというとポップな感じの音楽だったが、どこかビートルズを感じさせるようなアンニュイなロックを感じた。

僕はイギリスに関しては観光よりもこの天気の悪い大都会そのものを歩く方が楽しかった。ヨーロッパ一の大都会であり、ロックの発祥、街行く人も時々パンクロック風な格好をしている。ロンドンだ。フランスでもイタリアでもない、イギリスの首都ロンドン。間違いなく僕はロンドンにいる。

長期旅行における意義は観光ではないとキューバとペルーであったチャリダーは言い切った。僕はその意見に完全完璧に同意した。観光だけではない「何か」があるのが長期旅行であり、その何かは人それぞれに違う。僕は自分の生活と旅行がミックスされた意味不明なことを人生の大事な時期にやっている。それは楽しいことだけではなかった。

楽しむことをメインとする短期旅行とは明らかに違う。僕は何かよくわからない自分自身の変化と、広い視野を手に入れようとしている。それはこの1年間の中で確実に手に入れたことだった。

僕らはスカイプでこんな会話をし始めた。

「[2012/11/07 17:**:**] *****
「この旅で気がついたけど、世界がどんどん狭くなっててどこに住んでてもあんまり変わらなくて、国が違っても結局人ってみんな一緒で。なんか全部同じだなって思った。」

[2012/11/07 17:56:07] ****:
それはわかるなぁ。てか、あわよくば俺最近アルゼンチンで働きたいわ笑

中略

「[2012/11/07 18:**:**] *****
さっきの話とかぶるけど、インターネットがある以上、どこにいても変わらない。だから俺にとって「帰る」というよりは生まれた国に「行く」感覚になってきている。その後たまたま条件があってて日本に住むということはありえるが国に対する帰属意識がこのたびで決定的に薄れた。そして右翼が嫌いになった。

「[2012/11/07 18:**:**] *****:
あれ?会った時は結構な右よりの発言してなかった笑?

「[2012/11/07 18:**:**] *****:
帰属意識が薄れたのはどこのコミュニティでもやってけるっていう自信の裏返しだね。

「[2012/11/07 18:**:**] *****
やっぱり自分は帰るっていう感覚のが強いからうらやましいな。

「[2012/11/07 18:**:**] *****:
それはこの一年で、外国人と話す中で、どんどんと変わっていった。むしろ日本社会でやるのがが一番自信がないwwww。帰るところがないというのもきついけどな。最近、日本に帰国しました!みたいな書き込みをフェイスブックでよく見かけるけれど、「俺こんな風に喜ばないんだろうな~」って思う。ちょっと日本帰国を本気で喜べるバッパーがうらやましい。

「[2012/11/07 18:**:**] *****:
確かに日本社会怖いな笑結構なバッパーはちゃんと日本を念頭に置いて旅してるしね。その感覚もしっかり維持してたりする。が、千差万別笑俺は無理じゃ笑

「[2012/11/07 18:**:**] *****:
やべー日本帰ってきてしまったって感じだろーね。

中略

[2012/11/07 18:54:48] ****:
色々と考えは変わるね。モノの見方も変わるし。良いか悪いか別で。*********日本だけが「現実」なわけじゃないですか?でも、**くんはどこでも「現実」になり得る可能性を知った、知ってしまったわけで、その差はでかいね。

・・・僕はこの1年間で日本に帰り日本で暮らすだけが人生ではないということを知った。世界中どこでも「生活」ができるという、多くの日本人が気がついていないことに気がついた。僕は今、日本社会がどうとか、自分が社会に適応できるかとか、そういう矮小的なことは一切考えなくなり、世界の中での自分というものに気がつき始めていた。世界は思ったよりも狭くて世界は思ったよりも小さくて、世界は思ったよりも近いということを確信していた。

また、僕は大きなことはできないという自分の力量も把握し始めていた。僕は誰かのために大それた何かをやるわけではなく、ただ日々精一杯生きること。そしてその中でほんの少しでもいいから人のことを考えることが重要で、それこそが「いい人」だという一つの結論が出始めていた。

・・・数日後、病院からメールが届いた。

「お世話になっております。
今回の血液検査の結果ですが、残念ながら基準を下回っておりました。
12月の治験の準備ができましたらすぐにお知らせいたします。
よろしくお願いいたします。」

極めて事務的で、極めてあっさりとしていた。僕のもくろみは一瞬で崩れた。

そろそろ、帰国の時期を決めなければならない。これが一時的になるのか完全帰国になるのかもわからない。だが、僕は確実に一度帰国したかった。それは一つは家族であり、一つは友達であり、一つは、、、、、

彼女は元気だろうか?

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