北アイルランド/ベルファストでのカウチサーフィン





~度胸~

あくる日、僕はヨハネスの家に移動した。宿からシティーホールの前まで歩きダンカンガーデンという場所のあたりまで出ているバスに乗った。バスを降りてしばらく歩くと彼は現われ、僕を家まで連れて行ってくれた。

家は広かった。東京だったら一月20万円以上はするようなゆったりしたスペースと4つの部屋があるアパートの一つの部屋を遣わしてもらえることになった。なぜかWIFIが使えずヨハネスはLANケーブルを買ってきてセッティングしてくれた。僕が初めてのカウチサーファーらしくベッドのマットも一緒に買いに行った。

他のギリシャ人二人とも挨拶をし、僕はリビングでまったりしていた。ヨハネスは欧米人とは思えないほど、まるで日本人のように礼儀正しく、僕に気を遣ってくれた。僕が床に座っていると座布団を持ってきてくれ、アジアのお茶を淹れてくれた。「何かいるものはあるか?」と常にたずね、ゲストとして温かく迎えに来てくれた。フィリピン系ドイツ人の彼は顔もアジア系で僕は親近感が沸いた。

僕はこの旅の中で何十人というアメリカ・ヨーロッパの人間と話をし、家に泊めてもらうことで、彼らに対して自分に出来る小さいことを少しずつ分かり始めてきていた。まずは洗物をする。自分に出きる、ある意味での仕事だった。

そして日本人である自分は日本のことを教えてあげることができる。面白そうな日本のテレビ番組や本など、英語字幕がついているものは出来るだけYoutubeを教えて一緒に見る。日本食を作る。

ヨハネスは本気で日本が好きで、日本のアニメなども見ていた。僕はたいしてアニメに興味はないが彼と一緒にネットで見て、彼の日本に対する質問に一つ一つ答えた。簡単な日本語の挨拶も教えたりした。

・・段々とここでの生活は充実してきた。ヨハネスは有休をとっているため常に空いていた。僕らはクラブに行き何もせずに帰ってきたり、さくらという日本食レストランで刺身を食べながら日本酒を飲んだりした。「レストランには寿司トレインがあるぞ」と彼が言ったときは僕は回る寿司のことを言っているということが理解できなかった。

また、僕は彼には全力を出して日本食を作った。チリやイタリアでも日本食を作ってきて僕は段々とこの旅のなかで料理を作ることに慣れ始めてきた。幸いにもベルファストにはアジアンマーケットがあり、僕は彼と一緒にしょうが焼きの材料を買いにいった。とりあえずしょうがと醤油があればなんとかなると思い、この2つを買った。思えばいままですべてしょうが焼きを作っている。作りなれたことはもちろん、自分が食べたいという一心だった。

だが、今回はレパートリーを増やした。彼はしょうが焼きをはじめとする日本食が気に入ったらしくアジアンマーケットで醤油は当たり前として、バーモンドカレーや納豆やポン酢や海苔を買ってきていた。僕はそれを本気で嬉しく思い、おにぎりをつくり、ポン酢を使うよう鍋を作ったり、納豆かけご飯を作ったり、カレーを作ったりした。バーモンドカレーの美味しさは本物だった。ついこの間までマクドナルドでチーズバーガー一個しか食べていなかった貧乏旅行者はカウチサーフィンのおかげでお腹一杯にバーモンドカレーを食べるようになった。

いつの間にか毎日が日本食となっていた。僕はヨハネスが嬉しそうに日本食を食べると同時に自分が日本食を食べれるのがたまらなかった。

彼は日本食を食べると「オーサム!」といつも言っていた。



僕は英語の勉強を手伝ってもらうため、カウチサーフィンをフル活用していた。その中で数人と連絡がつき、マグダレーナと知り合うことができた。僕がシティホールのクリスマスマーケットの前で待っていると、彼女は笑顔でやってきた。

彼女はポーランドからベルファストに来てヨハネスと同じように友達と家をシェアしているようだった。僕は彼女と一緒にアイリッシュバーに行き、ビールを飲もうとしたがバーの中は音楽がうるさく声が聞こえなかったため、雨の降りしきる中外に出て、屋根の下で二人で乾杯をした。彼女はシェアしている友達が恋人になり嬉しそうにその話をした。僕はその話を聞いてふざけたことを言ったりして初対面にもかかわらず仲良くなった。

その後彼女とは何回か会うようになった。彼女はポーランド人なので英語のネイティブではなく、英語の会話の練習になったかどうかは微妙だったが、もちろんそんなことはどうでもよかった。外国人と英語で酒を飲みながら笑って話すということが、他の人にとってなんでもないただのやりとりが、僕にとっては10年来叶えたかった夢でありそれだけでよかった。

・・・別の日に僕はまたシティセンターのクリスマスマーケットの前でシャノンを待っていた。クリスマスムード全開のベルファストの街並みは本物のイルミネーションに彩られ、ロマンチックさが全開だった。

そんななかシャノンはベンという友達と一緒にやってきた。僕らはすぐに意気投合し、飲みに行き話し込んだ。彼らは幼馴染でマルタからベルファストに来てバイトをしながら生活をしているようだった。彼らは恋人同士ではないのにもかかわらず仲がよさそうだった。また、マルタという国をよく知らない僕は二人の話が楽しくてしょうがなかった。

会話も一段落した後、僕らはヨハネスと一緒に中華料理を食べに行き、そして家でビールやワインを飲んだ。僕がちょっとだけ部屋に言って戻ってくると、どうやら彼らはジョイントを吸っていてかなり決まっているようだった。シャノンはあまり意識がない様子で僕とベシートをして帰って行った。

また、出会いはカウチサーフィン経由だけではなくなっていた。

日本食レストランさくらに行った時に店員は僕が日本人だと分かると日本語が話せるマレーシア人を紹介してくれた。アントニオとはもらったアドレスを下にフェイスブックを使って連絡を取り、アイルランド人の友達と共にシティセンターのメインロードで待ち合わせをしてKAVE-Cafeで話し込んだ。彼は日本留学経験があり日本語もかなり流暢に話せた。僕とヨハネスと彼ら二人は、日本を褒めちぎり、日本に行きたい日本に行きたいと口々に言った。僕は「日本はそんなにいいところじゃないよ」と言いたかったが当然のようにそんなことは言わずにハーバルティーを飲んでいた。

この北アイルランドという異国は僕にとって生活感まるだしの、ある意味現実的な場所となり始めていた。僕は段々と自分が旅行をしているのか海外で生活を繰り返しているのかの区別がつかなくなってきていた。異国であっても結局人間は皆同じだと思わせるには十分の出会いだった。



この数日間で僕は時間のあるときにはダラダラと英語の勉強をしていた。またダラダラと全然英語の勉強と関係ない思いっきり日本語のテレビ番組を見たりしていた。そして、数え切れないほどの人と知り合いになり、そして一緒に飲んだ。当たり前だが、そのやりとりは英語だった。僕は、これがやりたかった。多分大学受験の勉強をしていたときから僕の英語の能力はそんなに変わっていない。むしろあの当時の方が難しい単語を知っているしテストは出来た。だが、あの当時から何度も挫折して、英語の勉強が面倒になったのは結局は人と話していなかったからだった。英語そのものが目的になってその中身を楽しもうとしなかったからつまらなくなった。そして欧米人ともうまく話が出来なかった。それは英語の技術的な能力の問題ではなく、自分の性格の問題だった。

だが、確実にペーパー上の英語の能力は10年前と変わっていないにもかかわらず、僕は英語で「やりとりする」ことがこの旅を通じてうまくなった。どうやら僕はラテンアメリカでのスペイン語でやりとりするという経験を経たおかげで、いつのまにか英語でも「やりとりする」ことにたいする恐怖感がなくなっていたようだった。

それは分からないときに堂々と分からないといい、相手がとりあえず何を言おうとしているのかを技術的にではなくハートで分かろうとすること、そして自分の思っていることをボディランゲージでも子供みたいな簡単な文法・単語でもいいから伝えようとするハートを持つこと。そして何よりも英語ということに一喜一憂せずに適当になることだった。別に間違えていようがボディランゲージだろうがかまわない。疲れて話したくなくなったら話さなければいい。グローバルな言葉として世界中で話されているこの言葉はただのヨーロッパの一言語でしかない。

10年前から僕の英語の能力は変わっていない。もともと能力に問題はなかった。ただそれを使うことにびびっていて、格好つけて完璧な英語を追い求めたことで、僕は一番大事なやりとりが出来なくなった。

だが、英語に対して無理をしない、英語にびびらない、分からなくても堂々としていればいい、という度胸がついたとき、僕には一切のストレスがなくなった。

なんでこんな簡単な簡単なことに気がつかなかったのだろう?でも、一生気がつかないよりは全然マシだった。

・・・ヨハネスの有休は終わり、僕は彼の家をでることになった。この6日間の濃い日々のなかでいろんなことが分かった。英語の勉強というつまらないものよりも、僕は最高の経験を手に入れることが出来た。

ヨハネスは特有のどもった口調でたどたどしい日本語で「ありがとう」と言った。僕らは数日後にパーティーに行く約束をし、家を出た。

僕は宿代がただになったにもかかわらず、飲み代に日本食レストランに日本食の材料に、、、と恐らく普通に宿に泊まるよりもお金を使っていた。だが、それは全く問題にはならなかった。むしろお金を使えることすら幸せになった。

今回もカウチサーフィンは外れなかった。彼のホスピタリティーは本物だった。

僕はバックパックを担ぎ、寒い中歩き出した。

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