旅小説北アイルランド





~ファックな宿での語り合い~

ヨハネスの家を出て、僕は初日に泊まった宿に戻った。ここは前にもましてひどい状態で、宿の中は工事中で、働いている人たちはやる気がなかった。だが、宿泊客が少ないというメリットは大きく、また他の宿を探すのが面倒であったのでこの宿に泊まることにした。カウチサーフィンで他のホストを見つけることも検討したが、ちょっと人と絡むことにめんどくささを感じていたため、とりあえずこの宿でゆっくりしようと考えていた。

ベルファスト初日はこの宿に6ポンドで泊まれたにもかかわらず、ここで働いている欧米人の女は10ポンドだと言ってきた。この1週間で値段があがることなど絶対にありえない。そしてその態度にも腹が立ち、僕は「だったら今からネットで予約するからWifiのパスワードをよこせ」といった。ネットで予約すれば7ポンドになる。その場でネットにつなぎネットで予約しようとするとその欧米人の女は「6ポンドでいい」と言ってきた。何故急に値段が変わるのかも意味不明でその態度もありえないものだったため、僕はあからさまに不快感を見せた。

ダラダラと毎日英語を勉強していたからか、この1週間毎日英語を話していたからかは分からないが、こんなときには自然に「シット」や「ファック」という汚い言葉は出るようになった。だが、英語が自然に出てくる喜びよりも、こんな英語を使わなければいけないほどクオリティーの低い宿がこのヨーロッパの、しかも北アイルランドとはいえ、連合王国に存在しているという事実のほうが問題だった。

宿で一段落して、前に一度だけ会ったことがあるアントニオと再開するために近くのクイーンズユニバーシティーまで行ったが、結局会えなかったため、僕はそのまま宿に戻りゆっくりしていた。紅茶を取りにキッチンに行ったとき、一人の欧米人が「ゆきという日本人が着ているぞ、今リビングにいるから話したらどうだ?」と言ってきた。北アイルランドというマニアックな国のベルファストというマニアックな街に日本人がいるということ自体にびっくりした。

ヨーロッパに来てからほとんど日本人と話をしていなかったため、英語の修行をしようとしているにも関わらず、僕は少しだけ日本人と話をしてみようという気になった。

「こんにちは」僕は久しぶりにこの挨拶をした。彼女も「こんにちは」と言い、僕らは話をし始めた。トルコに入ってから日本人と会話をしたことが数回しかないため、僕は日本語を話すという感覚を少しだけ忘れていた。

ゆきは子供っぽかった。顔を見ただけで若いというのはすぐに分かった。

ゆきはアイルランドを中心にヨーロッパの国を旅行していた。また彼女は高校に行っていないが、20歳にしてすでにニュージーランドでワーキングホリデーを終えて、英語もペラペラだった。英語を修行している自分にとって彼女のペラペラ感はうらやましかった。

僕は若い日本人と話すことで三軒茶屋にいたころを少しだけ思い出した。関係がおかしくなる前のYやS殿をはじめとする若い日本人女性に囲まれていたあの頃以来、僕は約1年2ヶ月ぶりに日本人の若い女の子と二人で話した。それは外国人と話すのとはまた違う楽しさがあった。

僕はこの旅を始めてから日本人とはそんなに絡んでこなかった。この1年の間に本気で語り合った人間は数人しかいない。それ以外は基本的に波風を立てないように絡める部分は絡んで、あとは一人で自分のやりたいことをやっていた。それは現地人との交流の準備であり、語学の勉強であり、ただのダラダラとしたネットサーフィンであった。ゆきとも普通に話してあとは一人で英語の勉強をしようと思っていた。

長期旅行者でもなければ世代も10年くらい違う。バックパッカーの意味不明な負の感覚を彼女が知っているはずもなく、さわやかなニュージーランドのホームステイやワーホリの感覚を僕が知っているはずもない。共通の話題もそんなにはなかった。

僕は彼女にカウチサーフィンの使い方を教えてあげ、地球の歩き方のイタリア編をあげた。そして彼女がこれから行くイタリアのことなどの話をしていた。彼女は欧米人の女の子同士の関係にちょっと疲れたらしく二人でその女の子やこのファックな宿の文句を言ったりして笑いあっていた。

三茶にいた頃のように、また今まで出会ってきた数人の話せる旅人との出会いのように、語りあうという感じではなかったが、僕は久しぶりの日本人の若い女の子との会話を楽しんでいた。

僕はあえて会話を切り上げなかった。それはただ若い女の子と話すことが楽しいというわけではなく、また日本語を話したいからというわけでもなく、ただ単純に彼女に何か感じるところがあったからだった。

会話が一段落した後、僕らは夕食を作ることにした。僕らは日本食がどうしても食べたくなり、しょうが焼きを作ることにした。前にヨハネスと一緒に行ったアジアンマーケットに行き、酒と醤油としょうがとレタスと米とたまねぎを買い、宿の近くの近くのテスコというスーパーで豚肉を買った。緯度が北欧並みに高いベルファストは段々と冬になってきていて夜は尋常ではないくらいに寒くなってきていた。僕らはこの寒さの文句をぶつぶつ言いながら歩いて宿に戻った。

彼女と僕は汚くて設備も整っていない台所でしょうが焼きを作り始めた。彼女のアイポッドでしょうが焼きの作り方を検索し、鍋で米を炊き、肉やしょうがやたまねぎを切り、タレをつくり、いためた。しょうが焼きのいい匂いは日本を思い出させた。ヨハネスの家で作ったしょうがやきよりも出来はよさそうだった。ちゃんとレシピ通りに作ると美味しい物ができるのだなと今まで外国人に適当に日本食を作ったことを少しだけ反省した。

箸などがあるはずもなく、僕らはフォークでしょうが焼きとご飯を食べた。しょうが焼き定食は最高に美味しく僕らは無我夢中でうまいうまいといいながら食べ続けた。

しょうが焼きを食べ終わり、ロゼワインを買ってきて二人で飲んだ。宿の中は何故かストーブがつかず、異常に寒い。そして10時にリビングは閉まり、行くところもなくなる。幸いにも自分の部屋に他の宿泊客がいなかったため、僕らは部屋でロゼワインを飲みながら話を続けた。そしてそれは段々とお互いの考え方やプライベートな部分にまで発展していった。

「何でフェイスブックやめたの?」僕のこの会話からすべては始まった。

「彼氏と別れたからです。」
「なんで別れたの?」


・・・・・そこから僕らはロゼワインを片手に語りに語った。彼女がアイルランドに来た理由、アイルランド人の元彼、何故別れたのか?などなど、会話の内容は広がっていった。

そのまま僕らはイギリスについてアイルランドについて英語について、恋愛について、自分たちの育った環境について、これからについて、話に話した。僕は彼女にYとの関係と関係が壊れてしまったことも何時間も話した。

・・気がついたら朝だった。朝6時にもかかわらず、緯度が高いためベルファストは真っ暗だった。

彼女は僕よりもだいぶ年下で時々子供っぽいところもあったが、僕はその子供っぽさを嫌いではなかった。それは、彼女は20歳という若さでありながら今までの家庭環境及び境遇の影響でかなりしっかりしていて、甘えた大学生の旅行者とは違う雰囲気を出していたからだった。

僕は彼女を好きになり、10歳くらい年下にもかかわらず友達になりたいと本気で思った。こんなに年の離れた、表面上ではない日本人の友達が出来たのは初めてだった。

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