ベルファスト旅行記





~インターナショナルな日々との別れ~

気がついたらベルファストを出る日が近づいていた。僕は20日ほどの日々があまりに流れるように、あまりに一瞬で過ぎていったのを感じた。もう出なければならない。

僕はここを出ることをそんなに寂しくは思わなかった。もう、1年以上も出会いと別れを繰り返し正常な感覚を失っているからなのか、フェイスブックやスカイプでいつでも連絡がとれる世の中だからなのか、それとも段々と子供のような泣き出したくなる切なさを年齢と共になくしていっているからなのかはわからなかった。

最後の夜、シャノンの家にいた僕は、マグダレーナに別れの挨拶をしにいった。彼女は風邪を引いていたため家まで来て欲しいといった。僕はフェイスブックで送ってもらった住所をグーグルマップで調べ、彼女の家に向かった。彼女は仕事終わりで疲れていたが僕らは家の暖炉に温まりながら紅茶を飲んで話をした。彼女は風邪を引いているにもかかわらず楽しく楽しく話をした。僕は早々に帰るはずだったが、いつのまにか遅くなってしまっていた。

クリスマスツリーが飾ってあり、クリスマスが近づいてきている。彼女の話を聞いているとヨーロッパにおいてのクリスマスは日本のものとは全く違う、心の底から、温かく祝う、伝統的なイベントなのだということがよくわかった。僕はこの異国感が好きだった。

ベルファストは本格的に冬が到来し、尋常ではないほどに寒くなっていた。外を歩ける状態ではない。マグダレーナの家から帰るとき、道に迷いながら歩いていた。そのときの寒さと、家の雰囲気と街灯のない暗い街並みはまるで西洋のお化け屋敷のようだった。僕はその怖さにすらロマンを覚えた。

北アイルランドという日本から遠く離れた、よく知られていない連合王国の一部は繊細なヨーロッパであり、中世ヨーロッパのおとぎばなしにでてくる舞台そのものであった。その中で20日以上も生活をし、世界各国の人々と英国の言葉で話しをするということは、僕にとって夢であった。僕はイタリア・フランスに引き続き、この連合王国、通称イギリスでも新たな夢を叶えた。それは幸せ以外の何物でもなかった。

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家に帰りシャノンとベンとネットをいじりながらダラダラとし、シャノンが作ってくれたピーマンのトマトライス詰めとマッシュルームのフライを食べながらビールを飲んだ。この家に限らずベルファストのほとんどの家や宿はなぜかこれだけ寒いにもかかわらず暖房をつけようとしなかったため、家の中も尋常ではないくらいに寒かったが、この家ではその寒さは別に嫌にならなかった。

翌日になり仕事に行くベンと別れの握手をし、シャノンはヨーロッパバスステーションに向かうバス停まで見送りに着てくれた。彼女とベシートをし、彼女は「コークに着いたら連絡して」と笑顔でいって去っていった。

残念ながらヨハネスは仕事のため最後に会うことは出来なかった。だが、アントニオは僕にクリスマスプレゼントのチョコレートを渡すために、わざわざヨーロッパバスステーションまで見送りに着てくれた。テストがあるためにすぐに帰ってしまったが、最後にわざわざ来てくれたというそのことだけで嬉しかった。

結局僕はこの北アイルランドのベルファストという街で一人の現地人とも絡むことはなかった。ドイツ人・ギリシャ人・ポーランド人・マルタ人・マレーシア人・・・なぜかこんなマニアックな国に着ておいて、僕はインターナショナルな形で友達がたくさん出来た。英語の勉強をしにここに来たにもかかわらず、英語の勉強になったかは全く分からないが、英語を話そうとするハートと英語が分からなくてもいいという開き直りを手に入れた。そして何よりも大切な、これからも一生英語をダラダラ勉強しようとする気持ち、また、その習慣を手に入れた。

コーク行きのダイレクトバスはなく、僕はまずアイルランドの首都、ダブリンに向かうことになった。北アイルランドとの別れ、ベルファストという街との別れだった。

だが、中南米の別れと比べると何故か悲しくならなかった。ヨーロッパは全体的に中南米と比べるとインパクトも弱い。みんな大人でありしっかりとしている。そして人と人との関係においてあっさりとしている。だが、インパクトが弱いから悪いというわけではないということをヨーロッパに数ヶ月いる事で知った。このヨーロッパの落ち着いた優雅さは僕にとって素敵なものであるということは変わりなかった。ヨーロッパにはヨーロッパのよさがある。中南米には中南米のよさがある。ただ一ついえるのはそれは明らかに違うということだけだった。

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