アイルランド旅行記





~観光に飽きたとき~

ベルファストからダブリンへはそんなに遠くなかった。眠っていたらすぐに着き、バスターミナルでコーク行きのバスを待った。ポーランド行きの飛行機が出ているコークにいく前に、ダブリンにもよろうとも思ったが、ベルファストでの日々を大切にしたくて僕は結局コークに1日だけ滞在することを決めてそのほかはベルファストにすべて費やした。

本来はクリスマス直前にポーランド入りする予定だった。ポーランドには古い友達がいて、彼女は僕をクリスマスパーティーに招いてくれた。だが、クリスマス直前は航空券が高くなり、僕は結局クリスマス10日ほど前のチケットを取らなければならなかった。去年もカンクン~メキシコシティ間で同じような状態になり結局バスを乗ったことを思い出した。

ダブリンのバスターミナルで1時間ほど待ち、コーク行きのバスに乗った。アイルランド島は小さく、北のベルファストから南のコークまでそんなに時間はかからないと思っていたが、意外と時間はかかり、昼間に乗ったにも関わらず、いつのまにかあたりは暗くなり始めてきていた。

途中トイレに行こうとしたらバスに置いていかれるというハプニングもありながら、結局夜にコークに到着した。事前にとっておいた宿でゆっくりと休もうと思った。宿は今まで泊まった宿と比べて若干割高だった分、心地よかった。

にもかかわらず、ロンドンの治験の銀行振り込みでトラブルがあり、時差のある中銀行に連絡したりなどで結局眠ったのは夜遅くなってしまった。いつもいつも、何かしらのトラブルに巻き込まれているがトラブル自体が当たり前のものになってしまっていてそんなに驚いたりへこんだりもしなくなっていた。パソコンを眺める時間はこの1年で急激に増えた。観光というカテゴリから人と会うというカテゴリに変化したこの旅では当たり前といえば当たり前なのかもしれない、と自分を正当化した。

観光は旅人の義務であるという言葉を僕は忘れかけていた。もう、ヨーロッパの旅を始めてから、僕はほとんどの街で観光というものをしていなかった。一人で外に出るのは観光というよりは散歩に近い。それよりも人との交流ががほとんどだった。また、それがダラダラと言葉を覚えることに繋がってきていたし、観光しない長期旅行をそんなに悪いものだとは思っていなかった。

アイルランドに来てから、この言葉の通り僕は久しぶりに観光をしようと思った。本気で一人で歩き回って知識と共に観光と呼べる行為をしたのはヨーロッパではローマだけだった。ロンドンでは治験と個人的なことに追われ歩き回りながらも知識など皆無でただふらふらしていただけだった。メテオラやジュネーブは一日だけのことだった。ニースやナポリやベルファストは外に出たりはしたが、現地人と飲んだり家にいることも多かった。

僕はヨーロッパに入ってからもうすぐ3ヶ月が経とうとしているのに、数えるほどしか街を見ていなかった。滞在型バックパッカー。それでも沈没はしていない。日本人宿で沈没している人達を僕は激しく軽蔑していた。だが、僕のやっていることは、日本人宿で日本人だけと絡んでいるバックパッカーが、外国人の家で外国人だけと絡んでいるということに変わっただけで他はすべて同じだった。僕は外国人の家で沈没しているだけだった。さらにそれは旅を始めたときからあまり様子は変わっていなかった。そう考えると僕はいつもいつも思う「何をやっているのだろう?」という自分自身への疑問は正しいものだったと確信した。

久しぶりにアイルランドを観光しようと意気込んで外に出ると雨が降っていた。だが、幸いにも小雨だったために街を歩いた。コークはベルファストよりはちょっとましだとはおもったが、ほとんど寒さはベルファストとかわらなかった。途中かねてからやろうと思っていたパソコンのメモリの増設をして、とりあえず街をあるいたが段々と強くなる雨とこの尋常ではない寒さは歩くという単純な行為のやる気を思いっきり削いだ。

僕は結局マクドナルドでコーヒーを飲みながらゆったりとパソコンで日記を書いていた。

ただ観光するだけなら絶対に1年もいらない。半年もあれば世界一周出来るだろう。これは自分の中で間違いのない事実だった。だが、それ以上のもの、うまく表現できない何かを楽しむのならそれはむしろ1年では絶対に足りない、2年でも足りないかもしれない。観光などどんなに大きな街でも2,3日あれば終わる。人によって見るペースが違っていてもそんなに大差はない。観光に飽きたとき、そこから人は何をするか?それがむしろ長期旅行の醍醐味になるのかもしれないと思い始めた。

外国に来て観光をして、最初は見るものすべてが新しくて、楽しくてしょうがなかった旅行、(短期旅行はそこで終わる)それが段々と外国というものに飽きて、やることがなくなって暇で暇でどうしようもないときに人は何をするのか?お金もなく日本という母国にもいない、日本語も通じない異国の地でやることもなくなって、そして物事すべて飽きたときに本当に自分が好きなことが分かるということが分かった。

人によってはボーっとするだろう、だらしなく眠りまくる人もいるかもしれない。日本人宿で日本語の小説ばかり読んでいる人もいるだろうし、観光を無理やり続ける人もいると思う。もう嫌になって帰る人もいる。

だが、僕はそのどれとも違っていた。僕は、このダラダラとした長期旅行の中で観光に飽きたとき、自分が何をやったかをよくわかっていた。そしてそれが食欲・性欲・睡眠欲に匹敵する自分の欲だということが分かった。これが自分にとって本気で好きなことなのだと分かったとき、少しだけ道が開けた。

僕は普通のバックパッカーとは違っていたということがよくわかった。むしろバックパッカーはこうならなければならないという変な強迫観念がこの旅でいつのまにか消えた。それは僕は今誰にもあわせる必要がないし大切な人がいないからだった。失うものが何もないとき、人はこの上なく自信を持って駄目なことをやれるということを知った。

僕はバックパッカーのようにそんなに旅の情報を集めようともしないし、面倒くさがりだし、そこまで自然がすきでもないし、アジアやアフリカが好きなわけでもない。むしろヨーロッパが好きで好きでたまらなく、アメリカ大陸はヨーロッパ史の延長という見方をしていた。そしてヨーロッパ諸言語が好きで、人と話すことが好きで、外国人が好きで。日本人よりも外国人が好きで。何よりもパソコンが好きで。アクティブなことが嫌いだった。

かっこつけずに自分に素直になると結局ただの駄目な男になるという結論に至った。僕は最高に面倒くさがりだった。これだけ好きな数々のことが面倒くさいという理由でおざなりになるという自分の性格が分かったとき、この旅で大きく自分が変わったのだと確信を持った。それも悪いほうに。

だが、スティーブジョブズの言う、一生かけて好きなことを見つけなさいという言葉通り、僕は好きなことを見つけた。3大欲求以外に好きなことを見つけたとき、少しだけ道を開いた。だが、悩みは尽きてはいなかった。

そして、コネクティングドット、彼の言うこの言葉。僕は時々この旅が思いっきり失敗だったと思うことがある。理想を掲げすぎて理想どおりにいかず、ユートピアは存在せず、そして何よりも自分の意志の弱さと情報の発展により、インターネットの使い方を間違えている。

僕はヨーロッパで夢を叶えた。それは間違いのない事実だった。だが、もっと上手くかなえることは絶対にできた。何もかもが下手すぎる。色々なことが下手でたくさんのことを失敗している自分に対して、もはや嫌にすらならなかった。それは上手くやればやるほど自分ではなくなるからであった。僕はこうやって面倒くさがりで、不器用で、失敗しているからこそ中南米で・ヨーロッパで多くの外国人は僕を好きになってくれた。そしてこんな性格だからこそ僕は必死に外国人と絡もうと思った。それが結果上手くいき僕はかけがえのないものを手に入れた。

色々な思いが交錯するこの旅を後になってやっててよかったと思える日がくると信じている。失敗だったことを笑える日は必ず来るだろう。

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こんなことを考えている内に、いつの間にか夕方になっていた。16時半くらいであたりが暗くなるのはベルファストと同じだった。この暗さと寒さと雨は僕の気持ちを沈めるのには充分だった。もはや外に出ることは意味がないと察知して僕は宿に戻った。

宿に帰ると、ふと眠くなった。キッチンに行き、店で買ってきたラーメンを調理してネットをいじりながら時間が来るのを待つ。空港でネットが使えなかった場合、暇になるのがいやだった。

フェイスブックでだれかと話をしていたらいつの間にか夜9時ごろになった。宿からバスターミナルに行き、そこから空港行きのバスに乗った。暗くて寒い中雨は降り続いていた。もう何もかもが嫌になってきた。環境に左右されやすい自分の性格が嫌になると同時に、それすらも客観的に見ながらどこか冷めている自分がいた。

空港の中は温かかった。僕は誰もいないカフェの中で毛布をかけ眠った。だが、最近の自分の生活リズムのせいか、あまりよく眠ることは出来なかった。むしろ、眠ろうとすらしなかった。神経質な自分は旅に向かないなと思いながら、この神経質な自分にも慣れ、いつのまにか色々なことに諦めを覚えるようになった。

結局朝5時におきてそのままチェックイン、7時半出発のライアンエアーの機体に乗り込むと僕は予想通り、びっくりするくらい深い眠りについた。

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