ポーランド/ワルシャワカウチサーフィン





~一期一会~

ポーランドの異常ともいえる寒さのせいなのか、僕は急激に体調が悪くなり寝込んだ。アンナは学校に行っていたためそんなに心配をかけることもなく、僕は外に出ずにただひたすらに寝込んだ。この寒さと雪の中、絶対に外には出たくなかった。

毎日毎日朝8時半ごろに朝日が昇り、午後3時半には日が沈み始める。その日照時間の短さは僕の気分を暗くさせるのには充分だった。この尋常ではない寒さに体がついていっていないことに加えて気分的な問題も多かった。

僕は寝込みながらも色々と考えた。寝込んだりネットをしたり、、家族と話す余裕がないときもあった。時間によってちょっとよくなったり悪化したりと不安定な症状は続いた。

寝込んでいたとき、僕は人生における次の展開を考えなければならないと思い始めた。永遠に長期旅行が出来るわけではない。もし出来たとしても絶対にしたくない。この限られた時間の中で楽しむことも大事だが、それと同じように、楽しさを未来に繋げることをしていかなければならない。この長期旅行を通じて日本に一度帰った後どう生きていくのかは大きな不安でもあり、それと同じくらい大きな楽しみでもあった。

僕は気分が滅入ったり、気分が爽快になったりと体調によって気分が左右される中、部屋の中で一人考え込んだ。

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幸いにも1日寝込み、1日は家族とゆっくり過ごし、また体調を壊し1日寝込み、、、と3日間外に出ずに過ごした事で体調は元に戻った。その後、僕は今までやってきたように家族に日本食をつくったり、家族と一緒に日本の映画を見たりした。日本語を6年間勉強していることからもわかるように、アンナは日本に興味を持っていた。僕は日本のことを話し、また、知っている限りポーランドのことを話し、そして色々な事を、敢えて日本語で、聞いたりした。

アンナとアニータと一緒に出かけた。アニータはいつもハイテンションでかわいらしい大学生だった。僕らはスターリンからのプレゼントと悪名高い文化科学宮殿の展望台に登ったが、あまりにも寒いため中で紅茶を飲むことになった。ワルシャワが一望できる最高の景色だが、この異常な寒さには勝てなかった。

ワルシャワの文化科学宮殿

アンナはバイトのため途中でいなくなり僕はアニータと一緒に英語で会話をしながらワルシャワの旧市街を歩いた。この第二次世界大戦でドイツにすべてを破壊されたワルシャワの旧市街は、「レンガのヒビに至るまで」完璧に復元されているという話を何かで読んだことがあった。数日前に来たときは天気も悪くあまりいい景色ではなかったがこの日は、寒さを除けば、景色は素晴らしかった。僕らは寒さのためにあまり歩くことをせず、日本食レストランでゆっくりとしていた。

日本食レストランを出た午後4時で完全に真っ暗になり、クリスマスのイルミネーションが輝いていた。

彼女は家の用事があり僕もアンナの家に戻ることにした。一緒にバス停に向かい、アニータとハグをして別れた。笑顔で別れ「またいつかポーランドで!」と笑いながら言いあった。そのバス停の目の前には中世ポーランドのお城があり、雪が降り、イルミネーションが輝き、中世ヨーロッパのおとぎばなしにでてくる舞台のようだった。

ワルシャワ旧市街

ワルシャワ旧市街

寒くて温かい日々はいつの間にか終わろうとしていた。僕は古い友人に会うために、クリスマス前にキエルツェに行かなければならなかった。

家でお父さんとお母さんと別れの挨拶をしたとき、僕は改めてこの家族の温かさが身にしみて、少しだけ泣きそうになった。家族の温かさには弱い。「来てくれてありがとう」という言葉に僕はいつも感動を覚える。僕は何もせずにただお世話になっているだけなのに感謝されているというこの事実、それを還元できる日はくるのだろうか?少なくとも僕は旅行がどれだけ続いても、どれだけ旅に慣れても、絶対に忘れたくない感覚であった。

僕はこういう日本語を勉強している数々の外国人のために自分自身が出来ることを模索していた。それは1年ほど前からなんとなく胸に秘めていて、そして僕はエジプトから始まるある女性との諍いを境に自由になったことで、これを実行に移すことは、少なくとも理論上は、可能になっていた。

この家族を見て、アンナを見て、今までの数々の日本好きな外国人を思い出して、日本語を勉強している外国人を思い出して、僕は自分がこの旅で得たことを形にする将来を思い描いていた。

だが、まだ迷いもあった。考えなければいけないこと、実行に移すために調べなければいけないこと、やらなければいけないことが山のようにあった。だが、本当は行動に移せばすべてスムーズに行くこともわかっていた、その決断だけが問題だった。自分の優柔不断な部分が前面に出ていた。決断をしなければならない。もうすぐ終わる2012年を迎えて、次の年を迎えて、それに向かって動いてくことを決めた。

だが、僕は将来と同時に「今」を楽しみたくもあった。今を楽しみ、そしてゆっくりでもいいから地道に、そして確実に、自分の思い描いていることを前に進め、将来の自分に送り届けようと思っていた。

今考えれば、当時考えていた世界一周旅行、つまり今やっていることも空想でしかなかった、出来るかどうかも分からなかったあの時に、数々の努力と、そして運のよさと、周りの手助けによって、僕はその空想を形にした。そしてそれは当時思い描いていたものを越えて、いい意味で予想を裏切る素晴らしい物になった。また僕は動いていかなければならない。辛くて楽しくて刺激的な日々に向かって、また僕は次の夢を追っていく。

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アンナと妹は僕を駅まで見送りに着てくれた。僕と入れ違いで別の妹がワルシャワに来るため、同時に彼女を迎えることにもなるらしかった。僕はキエルツェでクリスマスを迎えるが彼女らは家族でクリスマスを迎える。家族で迎える本物のクリスマスはうらやましくもあった。

一期一会という言葉を思い出した。この出会いが最後になるかもしれないから今ある出会いに最善のもてなしをしようというようなこの言葉の意味が今になってよくわかった。僕は出会いと別れを繰り返している。別れは悲しいが、その別れは出会いがなければ絶対にありえないもの、その出会いにもっと感謝しようと思った。

今はフェイスブックやスカイプがあり、世界中どこにいても人と繋がることが出来る。だが、その便利さのせで人と出会いの価値が下がっている感じもする。ネットでのつながりがいいとか悪いとかいう矮小的な問題ではなく、たとえネットであってもリアルな出会いであっても、出会いの価値を下げないようにすべきだということがなんとなく分かってきた。そのためには自分自身がもっとしっかりとしていかなければならない。出会いと別れを繰り返すことを悲しいといっている場合ではない。出会えたことを感謝して、そしてもっと人のことを考えようと決めた。

駅に向かうトラムの中でそんなことを考えているうちに駅に着いた。

僕は彼女らと握手をし、感謝の気持ちを伝えてハグをした。ポーランドはラテンの国ではないのであまりハグやベシートをしないようだったが、どうにかこの感謝の気持ちを伝えたかったため僕は敢えてハグをした。

僕はそのまま列車に乗り込みキエルツェに向かった。

ソーニャ。約2年前にスカイプで話したとおり、ものすごく遅くなりましたけど、ようやく、あなたに会いに行きます。

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