**旅行記





~本来あるべきクリスマスの姿~

ポーランドはカトリックの国であり伝統的にクリスマスを大切にするというのはワルシャワにいたときに実感した。僕はこの小さな村のポーランド人の家庭でその伝統的なクリスマスイブを迎えることになった。

クリスマスイブ当日、家族は伝統的な食事を作っていた。僕は何も出来ることがなく邪魔をしないように他の部屋でソーニャと話をしたりネットをしたりしていた。

午後4時ごろ、日も落ちてきた頃に食事は始まった。ポーランドの伝統的な行事で、家族全員が平べったいお菓子を持ってそれぞれ面と向かいメリークリスマスと言いながら相手のお菓子を折って食べる。

そして椅子に座りポーランドの伝統料理を食べる。餃子の入ったようなスープを飲み魚を食べる。ポーランドの一般家庭は、カトリックの影響でクリスマスには肉を食べない。このスープはロシアのボルシチに似てると思っていたらソーニャは「ボルシチもピロシキもロシアじゃなくてポーランドが発祥ですよ!」と教えてくれた。僕はどちらもロシア発祥だと思っていたので恥ずかしくなって笑った。

食事を終えて家族でゆっくりとしたあとは、日付が24日から25日に変わる瞬間に教会でセレモニーがあるということで家族で教会に向かった。ポーランドの村にある古い教会。雪が空に舞っている中の教会は今まで見たことがないほど幻想的で冬の東欧でしか見ることが出来ない昔ながらのヨーロッパの光景だった。光景を見れただけでも冬にヨーロッパにきてよかったと思った。

25日になった瞬間に人々は聖歌のようなものを歌いだし、ビショップは説教を始めた。何を言っているかは全く分からなかったがその荘厳な雰囲気は充分に伝わってきた。

僕は本来クリスマスとはこういうものなのだということを肌で感じた。クリスマスとは家族が集まり幸せを願い、イエスキリストに願い、歌う。日本のように恋人同士のためにあるわけではない、ただ人々が神に祈るために、家族で過ごすために、幸せで温かくなるために、クリスマスは存在している。本来あるべきクリスマスの姿をこのポーランドという伝統的なヨーロッパの小さい村で見ることが出来たのは僕にとってこの上ない幸せであった。

ポーランドの教会

クリスマスも終わり僕はソーニャと一緒にキエルツェの街を歩いたり、幼馴染の家に遊びに行ったりした。キエルツェの街は人がいなかった。ソーニャと僕は寒くて人のいない街をペチャクチャとおしゃべりしながら歩いた。彼女はこの街をガイドのように解説してくれ、教会でポーランドのカトリックについて色々と教えてくれた。彼女は頭がいいので僕はどんどんと日本語でポーランドのことを聞いたり日本のことを話したりした。ただ、おしゃべりしながら歩くだけで楽しかった。

友達の家や親戚の家でもこの遠く離れた東洋の島国の怪しい男を温かく迎えてくれた。暖炉のある日本では見たことがないような中世ヨーロッパのような家で、僕は全くわからないポーランド語が飛び交う中でソーニャに通訳をしてもらいながら、時には全く話が出来ずにこの東ヨーロッパの雰囲気を思う存分感じ取っていた。

いつもいつも最後の日はやってくる。楽しければ楽しいほど時間が経つのも早い。僕は毎日夜には温度の低さと気圧によって出る持病の喘息に悩まされながらも、この小さな村の温かい家族との日々を楽しんた。

僕は最後の夜、ソーニャとどうでもいいこと、くだらないことを何時間も話した。彼女と話すことは本気で楽しかった。泣きそうになるのをこらえた。次の日朝早いけれどそんなことはどうでもよかった。ただ、ただ、話したかった。この楽しい瞬間をかみ締めたかった。

僕はお母さんとソーニャにプレゼントとして手紙を書いた。ひらがなとカタカナと漢字の当て字で名前を書き、メッセージを書いた。これが僕に出来る唯一にして最高のお礼の形だった。

気がついたら午前2時になっていた。

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出発の日の朝、持病の喘息で朝5時に起きた。眠ったのか眠っていないのかも分からなかった。不思議と眠くはなかった。お母さんが用意してくれたコーヒーを飲み、僕はソーニャと弟と一緒にクラクフまで行くことになった。ソーニャはクラクフで一泊してからトルンに向かうようだった。

朝日が昇る気配すらない真っ暗な雰囲気の中お母さんとお父さんはキエルツェの駅まで車で送ってくれた。ホームから列車に乗り、僕はお父さんと固い握手をし、お母さんとハグをした。クリスマスというポーランド人にとって大切な、家族と過ごすべき時間に、一人の怪しい日本人を何の疑問もなく受け入れて、そして笑顔で迎えてくれたこの家族との別れは僕にとって寂しく、また嬉しいものだった。

列車が出発しお父さんとお母さんの姿が見えなくなった。僕はそのまま意識を失うように眠った。気がついたらクラクフに着いていた。3時間ほど経過したようだったが眠っていたせいか、そんなに時間が経ったようには感じられなかった。

ソーニャと弟と一緒にトラムに乗り、空港に向かった。彼らは途中の駅で降りるため、僕はトラムの中で彼女達と別れた。弟と固い握手をしてソーニャとハグをした。このときは僕はそんなに悲しくはなかった。僕は淡々と空港へ向かいドイツに向かった。

あまりにも温かく素敵な時間を過ごしたとき、その時間がずっと続かないことに悲しい感情が生まれる。その感情は友達同士の楽しさよりも、どこか温かくて落ち着く雰囲気を終えたときに生まれる。

だが、僕はすでに一期一会という言葉を決意していた。一回一回別れを悲しんでいる場合ではない。それは感情をなくすという意味ではなくむしろそれに感謝の感情があふれるからこそ、笑おうと決めた。

僕はポーランドという国で、外気温とは真反対の、極寒という言葉とは真反対の、温かくて、楽しくて、気分がほころんで、落ち着いて、素敵な日々を過ごした。それはワルシャワでも小さな村でも全く同じだった。感謝してもしきれない。この旅を続けて、何回この思いを持ったのか。僕はこの家族へどうやって感謝の気持ちを伝えられるのか。

こういうことを所謂幸せと呼ぶ。

この幸せな気持ちを誰かと共有するために、僕がこの旅をしたことを証明するために、僕は一つの重大な決断をした。

残り少ない2012年をゆっくりと過ごし、それを終えたら、、、とにかく動こうと決めた。

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