ドイツ治験/デュッセルドルフ





~5リットルの水~

僕は事前検診を終え、治験の投薬が始まるまで6日間ほど空いていた。

僕は特にやることがない病院の中で、リラックスしながらもメリハリの効いた生活を心がけていた。日本人との共用部屋で朝、みんな起きるため、僕はいつもよりも早く起きるようになった。

朝ごはんを食べて自由時間、昼ごはんを食べて自由時間、夕ご飯を食べて自由時間、就寝、、、、、とまるでニートのお手本のような生活は続いた。

だが、去年のようにダラダラしたくないという思いは強く持っていた。僕はかねてからやりたかったヨーロッパ史を勉強し始めた。日本を出るとき世界史の教科書は持ってきていたが、結局使うことはないままペルーで強盗に強奪された。それからも日本人宿にほとんど行っていないので、日本語の本を手にすることはこれまでなかった。

結局僕はネットに載っているヨーロッパ史のサイトやYoutubeやWikipediaなどを中心にノートにまとめた。何回も読んだり動画を見たりしているが、こうやって体系的にヨーロッパ史を勉強したのは人生で初めてだった。

必ずヨーロッパ史は古代ギリシャから始まる、そして長い長いローマ帝国に続き、ゲルマン人の大移動からフランク王国、神聖ローマ帝国、イングランド王国へと続く。とりあえず僕は古代ギリシャから中世の十字軍やレコンキスタのあたりまでをノートにまとめた。僕はダラダラと何かを勉強するよりは体系的に勉強する方が好きだった。体系的に勉強すればするほど、今後目にする動画や、映画や、本が背景知識の中で分かってくるということも分かっていた。そして何よりもヨーロッパ史は楽しかった。ただ文章の羅列を自分なりにまとめるだけのつまらない作業でしかないが、年代を確認しながら各国の流れを理解するのは楽しかった。つまらないけど楽しかった。

こういう楽しさはヨーロッパにいるからこそ味わえるものだった。自分が勉強したことがそのまま目の前に現れるというこの感覚は旅の醍醐味の一つであると思えた。

そんな中、夜中にはまた喘息が出るようになった。病院の夜は寒かった。他の日本人たちは病院の中ではみんな半袖でいるくらい暑いといっていたので、僕だけが感覚がおかしいのかなと不思議に思った。いずれにしてもこの喘息は苦しかった。

発作は夜中にしか出なかった。昼は全く何の問題もなく過ごすことが出来た。だが、Tシャツの上にロングTシャツを着てその上にカーディガンを羽織り、その上からセーターを着るというイギリスにいるときから2ヶ月ほど続けているこの格好は周りの日本人に笑われ、奇異な感じを与えているように感じた。

事前検診が終わった事で油断をした。もう検査はしないだろうと思っていた。僕は夜中喘息が苦しくなり、眠れなくなると3日連続でコロンビアで買ったシュっと気体が出る喘息薬を使った。すると今までの苦しさが嘘のように消え、痰が切れ、ぐっすりと眠れるようになった。

ポーランドにいたとき、デュッセルドルフの年末とこの発作に悩まされあまり深く眠れていなかったため、僕はこのぐっすりと眠れる感覚をかみ締めた。

だが、次の日に僕は絶望を味わった。

「投薬前日にも再検査をします。治験を行うにあたり禁止されている薬を事前検診後服用していないか調べるため尿検査もします」と初日に渡された治験概要に書いてあった。

・・・え?まだ、検査あるんだ・・・・やばい・・・・・どうしよう?

僕は混乱した。

どうしようか考えた結果、まずこの喘息薬が治験で禁止されていないことを祈るしかなかった。そして、もし禁止されている薬だとしてもその薬を再検査の前に体から抜いてしまえば大丈夫だと楽観的に考えた。楽観的に考えながらも、ここまで来て治験を受けることが出来ないとなると不安が頭をよぎった。

僕に出来ることは体から薬を抜くことだけだった。そのため尋常ではないくらいに水を飲んだ。この施設ではミネラルウォーターが飲み放題だった。あと3日・・・・必死に水を飲んだ。

さらに喘息薬を使わずに夜中を乗り切るために、僕はデュッセルドルフのホテルにいたときのように、熱いくらいのシャワーを浴び、ヨガをやり、病院から毛布を貰い、体を温めた。その結果なんとか喘息は出なくなった。

次の日も、検査当日も、必死に水を飲んだ。1.5リットルのミネラルウォーターを2本。1リットルのミネラルウォーターを1本。その上、食事中にコーヒーやスープを飲んだ。合計5リットル以上・・・人生でこんなに水を飲んだことはなかった。

僕は何回も何回もトイレに行き、尿をとにかく排出した。あの喘息薬が排出されますようにと毎回毎回祈っていた。

検査は始まった。事前検診よりは簡略化され、心電図を測り、体重を量り、尿検査をするだけだった。僕は祈るような気持ちでトイレで尿を取り、看護師に渡した。このときはどうにでもなれとも思え、少しだけ投げやりにもなっていた。



何語もなかったかのように、朝9時ごろに投薬は始まった。水を大量に飲んだ事で喘息薬が排出されたのか、もともと治験の際に禁止されている薬ではなかったのか、ドクターが見てみぬ振りをしたのかは最後までわからなかった。

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