ドイツ治験の終わり





~治験の終わり~

朝、「モルゲン!」という大きな声で起こされる。そのままドイツ人に血を採られ、その後に朝ごはんを食べる。そして自由時間、この生活はずっと続いていた。僕は日本語教師要請講座の圧縮勉強があったせいか、全く暇ではなかった。むしろ時間が足りないとすら思っていた。

日本語教師要請講座の圧縮勉強を終え、僕は治験が終わる日までゆっくりとしていた。もうすぐ治験が終わる。治験が終わった2週間後、事後検診でデュッセルドルフに戻ってこなければならないが、とりあえずこれで解散になる。

ゆっくりとしながらも治験が終わった後の旅の準備は始まっていた。僕はこの後、ウクライナ・ルーマニア・ハンガリーに行くことにした。それはただ、シェンゲン協定外にでるためだった。

シェンゲン協定外にでるとなるとヨーロッパ内では旧ユーゴスラビア圏と旧ソヴィエト圏、そしてルーマニアとブルガリアだけになる。僕はヨーロッパのなかで最後に行こうと思っていたウクライナに行くことにした。

僕は旧ソヴィエト圏にもともと興味があった。7年前に東欧を旅行したとき、僕にとってウクライナはロシアや他の旧ソヴィエト圏と同じようにと同じように、ビザがなければ入国できない未知の国だった。だが、ウクライナはビザなしで入国できるということを後で知り、いつかウクライナというエキゾチックな国に行きたいとずっと思っていた。

また、僕はヨーロッパの国歌が好きだった。その中でもウクライナの国歌は格別だった。ソヴィエト、ロシア、フランス、ドイツ、イギリス、素敵な国歌はたくさんあるが、ウクライナの国歌は力強く優美なメロディで、僕は昔これを聞いて感動にも似た気持ちを覚えたことがあった。

シェンゲン協定外のどこの国に出るかをスカイスキャナーと格闘しながら考えていたとき、病院で部屋が一緒だった旅人からウクライナの話を聞き、僕はウクライナのリヴィウという街に行くことにした。僕がリヴィウにいくというと旅人は「俺が一番好きな場所だよ」と言った。だが、僕が期待しているような所謂ロシア的なロシア正教の教会ではなくカトリックの教会しかないと言われたときがっかりしないでもなかった。

それでも値段を考えるとリヴィウに行くしかなった。首都キエフはチケットの値段が高く、そのために何百ユーロを出すわけには行かなかった。リヴィウからバスでルーマニアに行き、そこからさらにバスでハンガリーに入る。あえてハンガリーに入ろうと思ったのは、陸路入国の方がシェンゲン協定の説明をしやすいと考えたからだった。僕は最初にシェンゲン協定内に入国してからすでに半年がたっている。入国から半年たっていれば再入国は可能。これを空港で説明してもし、理解されなかった時、チケットが無駄になるというリスクは絶対に回避しなければならなかった。

だが、結局、最終日にその交通費も支給されるということを知らされた。。どうやらスポンサーの製薬会社は太っ腹のようだった。僕はドクターから交通費を清算してもらい、ポーランドからドイツへの交通費、ウクライナへ行く交通費、ハンガリーからドイツに戻ってくる交通費、合計約250ユーロを受け取った。はじめから交通費が支給されると分かっていればルートは変わったかもしれないがもうチケットを取ってしまっている以上どうしようもないことだった。

デュッセルドルフに戻ってからアムステルダムに行く。僕はこの1ヶ月で仲良くなったインド好きロックバンドのドラマーのくろきくんと一緒にアムスに行こうと約束をした。アムステルダムは僕にとってもくろきくんにとってもある一種の物の関係で、とにかく特別な場所だった。僕は彼と一緒にアムスに行くのが楽しみになり、物価の高さをどうするかをあれこれ話すのが楽しくてしょうがなかった。そこからベルギーを通ってパリへ行く。あの憧れのパリへ。同じフランスのニースにいたのはもう3ヶ月も前のことになってしまっていた。

こうしてウクライナ⇒ルーマニア⇒ハンガリー⇒デュッセルドルフ⇒アムステルダム⇒ブリュッセル⇒パリ、というルートが完成した。まだまだヨーロッパの旅は終わらない。

ホステルワールドやホステルブッカーズを使い、宿を取り始めた。またカウチサーフィンをつかって現地人と何人か知り合いになった。まだ家に泊まれるかは微妙な状態だが、物価の安い東欧ではそれはたいして問題ではなかった。むしろ東欧の人と友達になりたいという想いのほうが強かった。久しぶりの自分のスタイルの旅のやりかたを黙々と進めていく中で、漫然とした期待感が生まれてきた。このなまった体を鍛えなおすには丁度いい、と気合が入り始めた。

最後の夜、僕は再びデュッセルドルフの飾り窓に行った。このエロチックで官能的な雰囲気は何度見ても衝撃的だった。僕はこの飾り窓の雰囲気を堪能し、そして最後に笑えるのか笑えないのか全く分からないような問題を起こして逃げて帰ってきた。

病院に帰り部屋の中でそんな話をしていくうちに夜はふけていった。もうくろきくんの太鼓の練習を病院の中で聞くことも無い。ビッテシェーンと言われながら食事を出されることも無い。美味しいミネラルウォーターが無料で飲み放題ということも無い。毎日血を採られることも無い。アルコールをとってもいい、タバコを吸ってもいい。大好きだったロースかつとパスタとアイスクリームを食べることも無い。

治験の終わりがやってきた。

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