ウクライナ旅行記/リヴィウ





~居心地~

リヴィウは初日のみ若干天気がよかったが、その後は毎日毎日天気が悪かった。雪や雨が降るわけではなかったが、空は毎日白かった。青々とした空を懐かしく感じた。

この間、徐々に僕はこれまでと同じように、ゆったりと、そしてダラダラとリヴィウの観光旅行というよりは滞在を楽しみ始めていた。

ウクライナは物価が安く自炊する必要はなかったが、ありえないほど安くて大きな肉が宿の近くの商店で売っていたため買うことにした。1キロほどある肉が400円前後で買える。この肉をやいてご飯を食べたかったが、残念ながら米は売っていなかった。仕方なく僕はパスタやパンを買った。

だが、その肉が生焼け過ぎたせいか、またどの商店のどのパスタソースも異常にまずかったせいか、お腹を壊した。久しぶりに食べ物にあたった。この旅では初めてかもしれない。だが、実際当たったというほどまで強烈でもなく、普通に生活は送れ、普通に食事は取れるレベルではあった。

街を歩けば歩くほど綺麗で、真っ白い空に雪が降り積もるさびしい景観にもかかわらず、むしろこういうさびしい景観だからこそ、ヨーロッパの風景を感じれた、それは教会の中も同じだった。ロシア的な豪華な内装に加えて、ポーランドのように人々のカトリックへの熱心さも特徴的だった。本来ウクライナはロシア正教であるが、リヴィウはカトリックの人々が多いという話を聞いたことがあった。この教会で祈る人々は西欧ではあまり見られない。その姿は何百年前を思い起こさせるような歴史的な情緒があった。

ここには外国人は皆無だった。街中を歩いてみても外国人旅行者と思われる人の姿は全く見えない。観光地としてまったく発展していない。ポーランドのクラクフやチェコのプラハと比べてもこういった静かさも心地よさの一つだった。

外国人がいないという事で宿以外でほぼ英語が通じない。僕は大学のときに習った、1から10までの数字とロシア語の挨拶、「こんにちは=ズドラーストヴィーチェ」「さようなら=ダスビダーニャ」「ありがとう=スパシーバ」「いいですね=ハラショー」「お願いします=パジャールスタ」「紅茶=チャイ」「コーヒー=コーフェ」「これ=エータ」だけで店やカフェで会話した。これだけでも十分に会話は成り立った。文法や難しい単語は一切知らないが、これだけの単語と笑顔があれば会話は成り立つと思えてならなかった。また少しでもロシア語を話すだけでも笑ってくれる人もいた。機械のようなソヴィエト的な顔の人も笑えば素敵な顔になった。

もしヨーロッパで沈没が許されるなら、この街に住みたい。物価も安く、女性が綺麗で、外国人がいないという居心地のいいこの街は沈没に最適だな、とバックパッカー的なことを考えた。

広場にはマクドナルドがあった。旧ソヴィエトの構成国の一つの国であるウクライナも現在は西欧にシフトしロシアから離れているとニュースで聞いたことがあった。また、ロシアももはやアメリカの敵ではなくなり、東西冷戦は終わったのだと、本当の意味でこのマクドナルドが象徴しているように思えてならなかった。2013年の今、ウクライナという旧ソヴィエト連邦領内にいて、冷戦はもはや過去のことなのだと肌で感じた。

それはドイツとの関係も同じだった。第二次世界大戦のとき、独ソ戦は激しさを増していた。その犠牲はポーランドでありウクライナであった。

もはやそんなことも信じられない。ヨーロッパを旅すればするほど、ヨーロッパは一つになろうとしているという印象が強くなってくる。



僕はウーシュゴロドに向かうため、宿のスタッフに事情を話し、ウクライナ語なのかロシア語なのかわからないキリル文字を書いてもらい、それを元に駅でチケットを取った。長距離列車も安い。1000円もしないで5,6時間の移動が出来る。しかも夜行列車なので宿代を一泊分浮かすことが出来た。

リヴィウ最後の日、僕はカウチサーフィンで前から会う約束をしていた友達と会った。本当は初日に会うはずだったがサーシャは直前にインフルエンザにかかり、ほぼ会うことはできなさそうだったがルーマニアに行かなくなったことで日程に余裕が出来、何とか会うことができた。

僕は彼女とオペラハウスの前で待ち合わせし、一緒にハイキャッスルと呼ばれるリヴィウ市内を一望できるこの丘に登った。雪が降り積もっていて転びそうになりながら、頂上にたどり着き、僕は若いウクライナの女の子と一緒に、そして相当年上になるにもかかわらず同じレベルでペチャクチャとおしゃべりをしていた。ウクライナという見知らぬ土地で現地人と話すことは面白かった。彼女はウクライナとロシアの違いや、リヴィウのことをたくさん教えてくれた。また、彼女は少しだけ日本語を勉強していたため片言の日本語を話した。日本から遠く離れた、ほとんど知られていないウクライナという土地もまた日本のことを知る人は一定数いるということを分からせてくれた。

また、いつも、男女の別なく、日本語を話す外国人は皆かわいく見える。彼女も例外ではなかった。彼女に限らずウクライナの女性は皆かわいく、そして綺麗だった。綺麗な女の人と話すことが嬉しいという男として普通の感覚を僕は満喫した。

リヴィウ

残念なことに僕は一緒にバーに行きたかったにもかかわらず、彼女は大学生で忙しく、また普段あまりお酒を飲まないため、それはかなわなかった。僕は彼女をトロリーバスの駅まで見送りに行き、笑顔でハグをして別れた。

時間をもてあました僕はカフェで紅茶とココアを飲み、日記を書きながら、ウージュホロド行きの夜行列車の出発時間である夜中の1時を待っていた。

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