フランス/パリでカウチサーフィン





~ヨーロッパの中心~

ゲルマン人の大移動により西ローマ帝国が滅びた後、フランク族によるフランク王国が興った。その後フランク王国はヴェルダン条約により分裂し、西フランク王国・東フランク王国・中部フランク王国と3つの国ができた。

中部フランク王国は諸王国に分裂、近代になり統一イタリアの一部となる。東フランク王国は神聖ローマ帝国となり現在のドイツの母体となる。そして西フランク王国は現在のフランスの母体となる。

フランスは歴史上スペインイスラム王朝と、イギリスと、ロシアと、オーストリアと、ドイツと、戦い続け、西ヨーロッパの大国として今日まで至る。また、カロリング朝、メロヴィング朝、カペー朝、ヴァロア朝、ブルボン朝、、とフランス革命が起きるまで華やかな宮廷文化が花開いた国でもある。

そのフランスの首都がパリであり、パリはずっとフランスの中心であり続け、またヨーロッパの中心であり続けた。

・・パリに来て数日が経過した。冬のオフシーズンにも関わらず、パリには日本人をはじめとして多くの観光客がこの花の都を楽しんでいた。ある人はエッフェル塔や凱旋門の写真をとり、ある人はカフェで優雅なひと時を過ごし、ある人は買い物を楽しんでいた。

僕は一泊15ユーロのドミトリーの宿に泊まっていた。一泊15ユーロという数字が、一般的な日本人にとって如何に安い数字であり、自分にとって如何に高い数字であるかを知っていた。

僕は治験の後になってから若干お金の使い方が荒くなっているのを感じていた。アムステルダム・アントワープ・パリと来て今までと比べて宿に泊まっていること、アベノミクスでユーロが突然値上がりしたこと、そして物価がドイツや東欧と比べて一気に高くなったこともあるが、自分の中で余計な買い食いや交通費などに使っている現実があった。

パリは総じて物価が高い。ある意味ではロンドンを越えていた。ロンドンも異常なほど物価が高いが、何故か宿だけはそれなりに安い。最悪に不快適とはいえ、7ポンドから8ポンドくらいの宿もある。だが、パリは安い宿がない。最低でも15ユーロはする。15ユーロでネットが使えないか、中心部から相当離れているかを選ばなければならない中、僕は何とかして15ユーロで中心部でネットが仕える宿を四苦八苦して見つけた。

だが、この宿も夜になるとネットが使えないとい欠点があり僕は夜は近くのマックでネットをしていた。シャンゼリゼ大通りのマックはネット環境もよかったが電源がなかった。電源を見つけるために歩いている姿はホームレスに間違われてもおかしくはなかった。そんな欠点はあったものの、この宿は意外に居心地がよく、ロンドンに比べれば静かで虫に悩まされることなく、快適に過ごすことができた。

宿の周辺は治安も悪そうだった。パリは思ったより街が汚く、治安が悪いという話を聞いたことがあった。また、ずっと前に聞いた、「パリは黒人も多くアメリカみたいだった」という話は特に印象に残っていた。

フランスは西アフリカに多くの植民地を持っていた関係で、今もアフリカ系の移民が多い。エリアによっては黒人しかいない。お金を節約するために地下鉄を使わずに2,3時間かけて宿に帰ったりしていたが、確かに暗くなったときの雰囲気はよくなかった。アフリカ系と思われる移民が偽者のブランド物を売っていたり、物乞いがいたり、女性が道端に倒れたりもしていた。僕は若干気をつけながら人気がない場所へは行かないように気を使いながら宿に戻った。

そんな中、カウチサーフィンで1日だけフランス人の家に泊まった。

僕はピピンというフランス人の家に泊まるために地下鉄でフィリップオーギュ駅で待ち合わせをし、彼の家に行った。彼は英語ができないと何回も言っていたが、逆に英語ができない同志で意思疎通は意外なほどうまくいった。彼と一緒にシャブリを飲みながらいろんな話をした。

彼は自分よりかなり年上であったが話は面白かった。慣れない英語で会話をし、時にはフランス語を教えてもらい、日本とフランスの社会事情やお互いの境遇を話した。フランス人はプライドが高く、冷たいということは全くなかった。彼はとても温かくいい人だった。

次の日、僕は彼の家に荷物を置かせてもらい、僕はヴェルサイユ宮殿に行った。パリから30分~40分ほどでヴェルサイユについた。意外なほどヴェルサイユは近かった。

ヴェルサイユ宮殿はフランス革命により処刑されたルイ16世とマリーアントワネットが過ごした豪華な宮殿。僕は昔ヴェルサイユの薔薇を読み、絶対にいつかフランスに行きたいとずっと思っていた。フランスはある意味で僕にとって夢の場所だった。そして考えてみるとその夢の場所の中心はヴェルサイユだった。

だが、ヴェルサイユ宮殿は意外にもがっかりスポットだった。宮殿の中は鏡の間はそれなりに見ごたえがあったが、それ以外はローマのヴァチカン宮殿には遠く及ばない。そとは天気が悪く、また工事中であるためまったく趣はなかった。

期待していた分残念ではあったが、旅をしていればこんなことは普通にありうると思い、少しだけヴェルサイユの街を歩きパリに戻った。僕はヴェルサイユよりもパリのほうが断然好きになれた。パリはいい。大都会でありながら中世の趣があって、意外と治安も悪く、汚い。このフランスの貴族的なお洒落感と醜い現実の両方を兼ね備えているパリは僕にとってやはり魅力的な街の一つであることは変わりなかった。

パリでは色々とやることがあった。この旅は自由気ままな程遠い、下手したら日本で仕事をしているときよりも忙しいと思えるほど、パソコンを使ってやることは多かった。

まず、治験マネーをいくらかトラベラーズチェックに変える必要があった。本当で現金で持つのが一番レートもよく余計な手数料もかからないためベストではあるが、やはり盗難や紛失のリスクを考えると何かしらしてお金を守る必要があった。日本に送金するのもレートが悪いということでできず、シティバンクの口座に振り込むのも面倒だった。そんな時、偶然パリのオペラ座の近くでアメックスのオフィスを見つけ、30ユーロの手数料でトラベラーズチェックを買うことができたので、僕は結局トラベラーズチェックを買うことにした。

TCをもらいサインをすれば盗まれても再発行ができる。僕は番号を控えグーグルドライブに保管した。

また、家族とも話をした。オランダで頭が爆発した時に思ったことを僕は忘れてはいなかった。色々と話して、結局僕は外を向いて生きていくのだと思った。だが、家族に対する愛情は絶対に忘れない。結局、僕は今を楽しんで、今を生きて、今目の前のことに、この旅行に必死になるということだけだった。

・・・・・気がついたらパリでの日々は終わっていた。僕は最後の日の夜、スーパーでレバーと野菜の缶詰を買い、宿のキッチンでレバーを焼いた。いつものパスタに加えてレバーと野菜で自分なりに豪華な食事を楽しんだ。だが、実際はあまり美味しくはなかった。

出発の日、僕は凱旋門を背に空港行きのバス停に向かって歩いた。2日ぶりに青い空が続いていた。

MP3でラ・マルセイエーズを聞き、青い空とフランスとの別れを惜しんだ。

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