スペインの歴史と南米でスペイン語が話されている理由





~元祖~

サラゴサに着いたとき、青い空が広がっていた。

僕はスペイン一泊目は空港に泊まろうと思い、空港内をうろちょろしていたが、どうやら空港は夜には閉まってしまうようだった。また、サラゴサの宿は意外にも高かった。

僕は結局バスに乗りサラゴサの中心部に移動し、WIFIの繋がるカフェを見つけ、スカイプでリカードに連絡をした。彼とは事前にカウチサーフィンでリクエストを送り、数日なら泊まってもいいといわれていたが具体的な日程は決めていなかった。

「突然だけど今日泊まれる?」と言うと彼は「Vale」と言った。「Vale」とはスペイン語で「OK」の意味だが、ラテンアメリカでは一切使われない。僕はスペインに来たことを実感した。カフェでWIFIはあるか?と聞いたり、コーヒーを頼んだりするときもスペイン語を使っていた。

スペインの公用語はスペイン語、ユーラシア大陸で唯一当たり前のようにスペイン語を話す国、、、懐かしかった。

リカードから住所を教えてもらい、彼のアパートに向かった。パソコンのグーグルマップで大体の位置を把握しながら、そして人に道を聞きながら、四苦八苦しながら、なんとか彼の家にたどり着いた。

道を聞いたり、どの番号のバスがどこの辺を通るのかと聞いたり、グラシアス、オラ、ブエナスノーチェス、、、、といった普通の挨拶すら、、、、スペインという国で当たり前に話されているこのスペイン語に、初めてスペインに来たにもかかわらず、僕はノスタルジーすら感じた。この言語、ヨーロッパに来るまでずっと当たり前のように使っていた言語、なぜか泣きそうになった。

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スペインというヨーロッパでは経済的・軍事的にも一流とはいえないこの国は、ポルトガルとともに大帝国を築いた歴史がある。

大航海時代と呼ばれる香辛料の獲得を目的とした海を渡った時代。それまでヨーロッパ諸国はシルクロードや紅海・地中海経由でしかアジアとの貿易はできず、ジェノバとヴェネチアに香辛料貿易は独占されていた。また、キリスト教圏である東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルはイスラム勢力に占領され、オスマン帝国の首都イスタンブールとなり、そのオスマン帝国は東西の貿易に高い関税をかけたためヨーロッパ諸国は経済体系を変えざるを得なかった。

そして、アジアとの直接貿易による経済的優位性を確保するためにスペインとポルトガルは海に出た。

ポルトガルはアフリカ、アラビア半島、インドと経由しアジアとの貿易を行う所謂東回り、スペインは逆に、トスカネリの地球球体説を信じ、ずっと西に行けば必ずインドにたどり着くという目算で西へ西へと向かった。

だが、コロンブス率いるスペインがようやくたどり着いたインドはサンサルバドル島、今のバハマであり、その後キューバ島、イスパニョーラ島と次々に発見し、そして新大陸に上陸する。ずっと後になるまでコロンブスはそこがインドであると信じていた。後にこの大陸に渡ったアメリゴヴェスプッチはこの大陸は新大陸であると宣言、その大陸の名前は彼の名前から「アメリカ」と名づけられた。

スペインはこのアメリカにヌエバエスパーニャ、グァテマラ総督府、ヌエバグラナダ、ペルー副王領、ラプラタ副王領と次々と新大陸の領有を宣言し、インディヘナを虐殺する。また、ポルトガルとのトルデシリャス条約によりアメリカ大陸南部に境界線を引き、ポルトガル領は染料が取れる場所と言う意味で「ブラジル」と名づけられた。

その後、スペインはオランダに、フランスに、イギリスに制海権を譲ることとなり、また、それに乗じてアメリカ大陸のスペインの領地は独立、メキシコ、キューバ、中米連邦、大ペルー、グランコロンビア、アルゼンチン、チリ、と次々に新たな国ができていった。

かつての大帝国はありえないほどのスピードで没落していった。

だが、当然、これらの国でも宗主国スペインの言葉は引き続き話されていた。その後イギリスに支配され、現在でも英語を話すアメリカ合衆国・カナダなどの北アメリカをアングロアメリカと呼ぶのに対し、このスペイン・ポルトガルを宗主国とする中央アメリカ・南アメリカの国々をラテンアメリカと呼ぶ。この広大なラテンアメリカにおいて、ブラジルとギアナ三国とかつてのイギリス領ベリーズ以外、現在に至るまですべての国でスペイン語が話されている。

・・・僕はこのラテンアメリカにずっと滞在をしていた。メキシコから始まり数々のラテンアメリカの人たちと交流をしてきた。僕にとってスペイン語は第二言語であり、英語を話すよりもコミュニケーションがうまくとれ、そして何よりもこの言語に対して僕はずっと真摯に、そして真剣に向き合ってきた。

そのスペイン語をユーラシア大陸に来てまた話せるということ、しかもそれが、この言語の元祖であるスペインという国であることは、僕にとってある種の夢でもあった。



この日は僕を迎えてくれたリカードの誕生日だった。僕はもう一人のカウチサーファーのアンナと、リカードの友達とピザやパスタを食べ、ワインとコーラを混ぜたアルコールを飲んだ。スペインでは赤ワインとコーラを混ぜたお酒が各地で飲まれているとイタリアで出会ったスペイン人が教えてくれたのを思い出した。

僕は空港でホームレス状態でパンとチョコクリームを食べる予定だったにもかかわらず一気に贅沢な食事になった。

一通り食べて飲んで、僕らはクラブに行った。この旅で何回もバーやクラブに連れて行ってもらっている。いつの間にか僕はクラブに行くのが嫌ではなくなった。むしろ酔っ払っているときのクラブほど楽しいものはないと思うようになった。

次の日になり、リカードは観光案内をしてくれた。アルハフェリア宮殿はスペインを代表する建築だった。スペインは西ヨーロッパの中では珍しく、イスラム王朝に支配された歴史を持つ。大航海時代の到来の前、カトリックであるアラゴン王国とカスティーリャ王国が連合し、誕生したスペイン王国は1492年にイベリア半島からイスラム王朝を追い出し、レコンキスタを完成させる。その後モスクは次々と教会へと建て替えられるが、イスラム王朝時代の形跡はその後の教会や宮殿などの建築に影響を与えている。

このキリストとイスラムがミックスした風景はイスタンブールで見られるが、あちらは現イスラム教国にキリストの軌跡が見られ、逆にスペインは現キリスト教国にイスラムの軌跡が見られる。僕は北部に位置するアラゴンにここまでイスラムの雰囲気があるとは思っていなかった。

このエキゾチックな風景と、スペイン国旗と、明るい日差しと、青い空は僕の気分を高揚させた。

また、彼は中心部にあるピラール大聖堂に連れて行ってくれ色々と解説をしてくれた。彼のスペイン語は聞き取りづらく、何を言っているかわからないことも多かったが、僕は一生懸命に彼の話を聞き、一緒に街中を歩いた。

サラゴサ

ピラール大聖堂

ピラール大聖堂

家でも彼とはそれなりに話をした。彼は現在失業中で失業保険で暮らしているという話をしてくれた。スペインの経済危機を思い出した。彼はスペインには仕事がないと言った。昔見た報道は本当だった。にもかかわらず彼は僕に部屋を貸してくれ、なおかつ食事まで作ってくれた。

僕はスペイン語圏をずっと離れ、久しぶりにスペイン語圏に入ったことでスペイン語でやりとりをするありがたみがわかった。そして英語で話している自分とスペイン語で話している自分の性格が全然違うことに気がついた。うまく表現できないが、英語を話しているときの自分はどこか壁を作っていて、どこか保守的で、馬鹿になりきれないが、スペイン語を話しているときの自分は誰がどこから見ても情熱的である意味で本当の馬鹿になれていた。確かにスペインはラテンアメリカに比べてどこか格好いいというか洗練されているが、やはりイギリスやフランスやドイツに比べると情熱的で、僕はスペインの雰囲気が一番好きだった。

・・リカードの家は2,3日と言う約束だった。

彼は最後に「ブエンビアッヘ」と言った。この言葉も懐かしかった。僕はスペイン語圏にいる自分を再認識し、このスペインというスペイン語の元祖である国を絶対に楽しもうと決めた。

僕は次のカウチサーフィンの相手であるホセと会うために、サラゴサの中心であるスペイン広場に向かった。

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