スペインでカウチサーフィン





~日程調整~

スペイン広場のモニュメントの前で座って待っていると初老の男性が現れた。彼は自分がホセだと言い、僕は驚きを隠しながらも彼と握手をして会話をした。

カウチサーフィンのプロフィールでは彼は38歳となっていたが、どうみても38歳には見えなかった。白髪が多くしわも多い。おそらく50代後半なのではないかと思われたので、本当に38歳なのかとたずねると、彼は「心はもっと若い」というようなことをいった。意味がわからなかったのでスルーして、彼の家に向かった。

バックパックを背負いながら彼と一緒にバスに乗り家に向かった。彼の家はリカードの家から近い、マドリッド通り沿いにあった。リカードの家からわざわざスペイン広場まで向かい、そこからわざわざ戻るのだったらはじめから住所を聞いていけばよかったと思ったが、いまさらどうしようもないと思いあきらめた。

家に着き、彼は僕に家の鍵をくれ、家の説明をした。トイレの使い方やテレビのコンセントの入れ方など、僕は一通り彼の説明を聞いた後、いつの間にか僕は眠ってしまっていた。

目が覚めると彼はいなかった。彼の家にはWIFIがなく、僕はマクドナルドに移動した。どうやら彼は僕に家を貸してくれているようだった。カウチサーフィンで貸家を貸してくれるというのは初めてで戸惑った。もしかしたらお金を請求されるのかもしれないと思い始め、メールで確認したが、彼は「グラティス(無料)」と返信した。

彼はそのほかにも色々と長い文章を書いてくるが、あまり理解はできなかった。どこか古語のような年配の人が使う独特の言葉のようだった。とりあえずGoogle翻訳を使いながらなんとか彼のメッセージを毎回毎回読み取り、返信をした。

彼はどうやら環境保護の仕事をしているようで僕に自然食品をご馳走したいといっているようだったが、僕は携帯を持っていないため、彼とその場で連絡を取ることができずすれ違いになり、結局彼とあうことはできなかった。旅をする前は携帯なんか必要ないと思っていたが、これだけ現地人とやりとりする機会が多い旅のスタイルだと携帯も必要だと思うようになってきた。それは稀にあるネットのつながらない宿泊場所だとなおさらだった。

・・・僕は次の日に、カフェに行った。この日の夜はカロリーナと約束があった。カロリーナは僕がナポリであったガラドゥリエルの妹で、会う約束をしていた。さらにガラドゥリエルの友達のアリシアもナポリからサラゴサに帰ってきているので一緒に会おうといっていて、二人とはダブルブッキングになってしまっていた。さらにカウチサーフィンで知り合ったハビエルという男性とも会うかもしれないといようなあいまいな返事をしていてむしろトリプルブッキングになっていた。彼は住所と電話番号だけは送ってくれていた。

彼らと時間をずらして会うか、それとも3人で一緒に会うか考えようと思っていた。

パソコンを開くと、カロリーナからフェイスブックのメッセージが来ていた。「もうすぐスペイン広場に行くけどこれる?」「来ないみたいだからもういくね。また今度ね」というような内容だった。

僕はてんぱりながらメッセージの履歴を読み返すと、約束はこの日ではなく前の日だった。僕はカロリーナに謝り、別の日に会おうと約束をした。携帯電話があれば、家にネットがつながっていれば、こんなことにはならなかったと思い、この運の悪さを嘆いたが、結局ただ自分が日にちを間違えただけだと思うと、このフラストレーションをどこにぶつけていいかわからなかった。待ってくれた相手に感謝と申し訳なさを感じることしかできなかった。

これだけでもすでに3人と約束していて、さらに次にいくマドリッドでもカウチサーフィンを使って家にとめてもらうリクエストを送ったり、会ってビールを飲もうという約束をしていた。

だんだんと誰が誰だかわからなくなり、僕はいつ、だれと、どこで会うかをエクセルでまとめ始めた。日程調整は僕の一つの仕事となり、自由気ままな旅とは無縁の、むしろ日本で仕事をしているときよりも仕事をしているような感覚に陥った。

とりあえずこの日はハビエルには会えるかどうかわからないというメッセージを送り、アリシアと夜8時半にスペイン広場で会う約束をし、僕はとりあえずスペイン広場に向かい、近くにあるピラール大聖堂のあたりをぶらぶらとしていた。

だが、突然やっぱり一人ひとり大切にしようという想いから、僕はハビエルの家に向かった。彼の家もまた、マドリッド通り、つまり僕が今泊まっているホセから借りた家の近くにあった。

僕は家からカフェに行き、スペイン広場まで40分ほど歩き、ハビエルに会うため、また家の近くのマドリッド通りまで歩いて戻った。雲行きが怪しくなり、雨が降ってきた。まったく効率性のない、うろうろちょろしている姿は滑稽でもあった。

だが、ハビエルはいなかった。「会えるかどうかわからない」といいながら突然家に言っているのだから無理もないと思い、アリシアに会うためまたスペイン広場に向かった。

約束の8時。カロリーナとの約束を自分のミスで反故にしてしまっている分、今度は失敗したくなかった。僕はスペイン広場でアリシアを待ち続けた。

だが、一向にアリシアは来なかった。僕は携帯電話がない自分が本当に嫌になった。

1時間ほど経過して僕はマクドナルドにいき、アリシアの携帯にに自分のスカイプから連絡をしたが応答はなかった。どうしていいかわからなくなり、とりあえずアリシアに「今スペイン広場にいるよ!」とメッセージを送り、マックで1ユーロのハンバーガーを食べた。全然おなかはへっていなかったが、何か食べないと元気が出ないということはわかっていたため、無理やり食べた。

3回くらい電話するとようやくアリシアは電話に出て「スペイン広場に行ったけどいなかったわよ。また明日会いましょう!」と言った。僕はイライラはしなかった。このラテン特有の意味不明な適当さを思い出し、むしろ懐かしさすら覚えた。

僕はそのままハビエルに電話し、「ごめん!やっぱり今日一緒にビール飲もうぜ」と言った。ハビエルは「Vale,Vale」とスペイン人独特の単語を使い、結局僕はハビエルとスペイン広場の前のサラゴサというバーの前で待ち合わせをした。

30分ほどでハビエルは来た。結局3人のトリプルブッキングの心配をする必要は一切なくなった。3人のうち2人とは、1人は自分のミスで、1人とはわけもわからず、会うことはできなかった。日程調整は忙しいくせになかなか会えないという本気で意味不明な状態に陥り、「あ”~~~」と心の中で叫んだ。

僕はハビエルとバーでビールを飲み、酔っ払いながら家に帰った。人と会うという簡単なことが、携帯電話がないことで、またラテン特有の意味不明な適当さで、できなかったフラストレーションは幸せの裏返しであると考え、酔っ払いながら1人で笑った。

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次の日、僕はハビエルの家に移動した。ホセとは結局一度も会わず、ただ家を貸してくれただけに終わった。僕は鍵を郵便受けにいれ、感謝のメールを送った。ほとんど絡みがないにもかかわらず、無料で一つのアパートを貸してくれた。結局最後まで何がなんだかわからなかった。

ハビエルは在宅ワークをしていて、仕事中だったが、家の説明をしてくれた。彼は日本に来たこともあり、以前は日本人の彼女もいた。僕は前日一緒にバーで飲んだときに一気に親近感が沸いていた。

アリシアもカロリーナも突然連絡が取れなくなった。僕は一応またスペイン広場に行き、アリシアを待ったが何の連絡もなかった。だんだんと疲れてきた。人との出会いを、特にスペインでは大切にしたいけれど、ラテン特有の適当さが嫌になってきた。

僕はどうでもよくなりハビエルの家に戻った。僕はハビエルと一緒に買い物をしにスーパーマーケットに行った。彼は僕にスペインの食べ物を教えてくれ、スペイン名物イベリコ豚のサラミや赤ワイン、ビールを買った。彼は今までのカウチサーフィンで出会った人の中でも特にいい人だった。

スペイン人はヨーロッパの中ではラテンアメリカに近い。もちろんほかのヨーロッパに見られるどこか洗練された大人っぽい感じはあるけれど、どこか適当でガツガツしてて、話好きで、酒好きで、男女がまっすぐで、本当によくしゃべる。彼もさわやかなヨーロッパの人だが中身はどこかラテンの感じがした。

僕らは机にサラミとチーズを並べ、スペイン産のビールと、赤ワインを飲んで話し込んだ。彼との会話は楽しかった。スペイン社会のことを直に、それも現地の言葉で聞けるということは当たり前のようでなかなかできない。ラテンアメリカとは違うスペインのスペイン語、、スペインと言う国でスペイン人と話すということだけでも僕はうれしかった。ようやく自分のフィールドに戻ってきた感じがした。

酔っ払っているときにアリシアから連絡が来た。次の日に会う約束をしたが、僕はほとんど期待をしていなかった。一応彼女は自分の家の住所を僕に送った。

それよりも僕はハビエルとのふざけあいが、この30手前の男二人の馬鹿な会話が楽しすぎて、酔っ払いすぎて何がなんだかわからなくなり、僕はとりあえず彼と一緒にテンション高めの大きな声で話し込みそのまま寝た。

晴れたり雨が降ったりと不安定な天気の下、結局僕はサラゴサに1週間以上も滞在した。サラゴサは宿が高く、基本的にすべてカウチサーフィンで宿をまかなうつもりだったが見事に成功した。

彼女の都合で、最終日にアリシアと会うことになった。もう会えないと思っていたためいまさらという感じがしないでもなかった。それでも、僕は彼女がくれた住所をたよりに雨の中歩いた。

彼女の家もまたマドリッド通りの中にあった。バスターミナルもこの辺りにあるため、スペイン広場やピラール大聖堂に行く必要はなかった。ようやく彼女の家に着いたとき、彼女の住んでいる階をメモするのを忘れ、近くのケバブ屋で携帯を借りて彼女に電話をした。

そしてようやくアリシアと出会えた。僕は彼女と頬と頬をくっつけてベシートをした。スペインのベシートは2回する。左頬をくっつけて、その後右頬。このダブルベシートはラテンアメリカの国では稀だった。僕はスペイン初日にもベシートをしていたが、仲のいい知り合いとのベシートは久しぶりだった。僕はまたラテンアメリカの感覚を思い出した。

アリシアと彼氏は何事もなかったかのように普通に僕と話し始めた。僕はストレートにどれだけ彼女と会うのが大変だったかを笑顔で話した。この感覚、この適当さ、嫌なことがあってもすぐに忘れ感覚、時間にルーズ、そして明るい。何も考えていない感じは、ラテンアメリカとはマシとはいえ、ラテンの人々そのものだった。

彼らと一緒にマカロニを食べ、僕はほどなく出発をした。

この人々の適当さに振り回される感覚は本当に久しぶりだった。僕はあのころを思い出し、若干ノスタルジックになりながら雨の中マドリッド行きのバスに乗った。

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