スペインマドリッドでカウチサーフィン





~スペインの首都~

マドリッドについたときにはすでに暗くなっていた。ベルギーで一緒だったバックパッカーとバスの中で再開し、バスの中でグダグダと話しをしていたら5時間はすぐに過ぎた。

僕は公衆電話に行きペレに電話をした。ペレという40代の男性は僕をカウチサーフィンで見つけ、家に泊まってもいいというメッセージをくれた。僕は彼に感謝し、初日から3日間彼の家にお世話になることにした。

僕は夜7時にマドリッドに到着すると連絡していたにもかかわらず、アリシアとあっていた関係で、実際にマドリッドに到着したのは夜9時をまわっていた。電話をしたとき、彼は多少怒っているように聞こえた。僕はとりあえず彼からもらった住所を頼りに地下鉄に乗りAlvasadoという駅から彼の家に向かった。

比較的彼の家はわかりやすい場所にあった。駅から降りて写真に取ったグーグルマップをみながら、彼の家に向かった。僕は多少道に迷いながらもそれなりにスムーズに彼の家にたどり着いた。

家のベルを鳴らし彼の家に入った。彼の家はかなり大きかった。立地的に考えても彼はお金持ちなのだろうとすぐにわかった。恋人のナイリスと犬のアルマも僕を温かく迎えてくれた。彼は7時に僕をバスターミナルに迎えに来てくれていた。僕は申し訳なく思いごめんなさいと言ったが、彼は大丈夫大丈夫とさわやかな笑顔で言った。

「じゃあクラブに行こうか」と彼は言った。僕は彼らと一緒にクラブに行った。彼はそんなに若くなく、また僕も疲れていたためかそんなに騒いだりしたわけではなかったが、一緒にビールを飲みながら笑いあった。僕はマドリッドで幸先のいいスタートを切った。

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カウチサーフィンは概ね返信がない。あっても基本的には断られる。もう多くの都市でカウチサーフィンを経験してきて、ある程度のノウハウが身についてきていた。どういう風にリクエストを送ればいいのか?どういう風にアプローチを書ければいいのか?

その一つとして、なるべく多くの人にリクエストを送る。というものがあった。大体10~15人くらいにとめてほしいとお願いする。そのうち50%は返信がなく40%は断りの返信をしてくる。残りの10%が2,3日なら泊まってもいいという返事をくれる。僕は大体このパターンをつかみ、サラゴサにいたときにマドリッドに住んでいる人15人くらいにメッセージを送っていた。

また、家に泊めてもらうのとは別に普通にあって話したいということも合わせて送った。大体これは60%~70%くらいの確立でOKの返事が出る。これまでも北アイルランドやウクライナではこのパターンで、家に泊まるのは無理でも友達として一緒に飲みに行ったり、カフェに行ったりして英語の練習をしていた。

今回僕はスペイン語で話すという目的もあった。宿代を節約することはもちろんだが、スペインでスペイン人とスペイン語で話すということも僕にとってはある種の夢でもあった。そのため、家は泊められない人のなかで興味ある人には「スペイン語を勉強している日本人ですが一緒に飲みに行きませんか?」というようなリクエストも送っていた。

また、今回はさらにパワーアップさせ、日本語を勉強している人に絞ってリクエストを送った。日本語を勉強している人に限定して検索できる機能があるというのを僕はサラゴサにいたときに知った。

そのためか、今回の返信率は異常に高かった。家に泊まってもいい、もしくは家にとめることはできないが一緒に飲みに行ってもいい、という返信は僕が考えていたよりも倍くらい多かった。

僕の心の中でうれしい悲鳴が起こった。僕はサラゴサにいたときからエクセルを使って日程調整を行い、全員と会えるように努めた。僕がスペイン語を話すからなのか、ラテンのノリのよさなのか、それとも経済危機でみんな仕事がなくて暇だからなのかはわからないが、事実として数多くのスペイン人は僕を受け入れてくれた。

その結果、うれしいことに1日に2人と会わなければならない日も出てきた。

・・翌日、僕は日中ペレと一緒に行動した。カサデカンポというマドリッド最大の公園に行き、散歩を楽しんだ。犬を連れてあるくペレは本当に見た目からしてラテンのナイスガイだった。

マドリッドは天気がよかった。3月も半ばになり春真っ盛りと言う天気だった。ペレは「昨日は天気が悪かったけれど、今日はとてもラッキーだよ」と言った。すばらしい天気の中僕らは散歩を楽しみ一緒にアフリカ料理を食べ、ドライブを楽しんだ。ペレは日本に興味があり、僕らは日本人の挨拶とスペイン人の挨拶の違いや社会問題などについて話しをした。スペイン語で話しをすることにも少しだけ慣れ、僕はなんとかスペイン語で彼とコミュニケーションがとれていた。

マドリッドのカサデカンポ

ペレに車で送ってもらい、僕はプエルタデルソルに向かった。地球の歩き方には「プエルタデルソルはマドリッド観光の起点」と書かれていた。この広場に集まる観光客の多さと、明るい雰囲気は確かに観光の起点だと思い僕はこの観光の起点の爽やかな空気を満喫した。

「プエルタデルソルの熊のモニュメントの前で」僕はエステルから数日前にメールをもらっていた。彼女は僕の家に泊めてほしいというリクエストに答えてくれた1人だった。僕はペレの家の後に彼女の家にお世話になることになっていた。むしろ初日から彼女の家にお世話になるつもりだったがペレの家と日程調整をしなければならないという贅沢な状態になっていた。

僕らはとりあえず家に行く前に一度お互い会って楽しもうという話しをしていた。、そのため僕は「熊のモニュメントの前」でタバコを吸って彼女を待っていた。

しばらくするとメガネをかけたちょっとアジア人っぽい女性が現れた。向こうは僕の顔を写真で見て知っていたせいかお互いなんとなく相手を認識し、僕らはハグとベシートをした。また、彼女はほかのカウチサーフィンの知り合いとも約束をしていて、この「熊のモニュメント」に彼女の友達の欧米人の女性があらわれた。

ベルギーからボランティア活動でスペインに来ているレナとエステルと僕はマドリッド観光を楽しんだ。プエルタデルソルから王宮に向かって歩き、カテドラルを見学し、スペイン広場に向かい歩いた。エステルは一生懸命に僕らにマドリッドの解説をしてくれた。レナはあまりスペイン語に慣れていないにもかかわらず非常に感じのいい女性で好奇心を持ってエステルの話を聞いていた。僕は時々その輪に入り、会話を楽しんでいた。

段々と僕らは仲がよくなりグランビアのバーでビールを飲んだ。僕らはスペインのことや日本のこと、ヨーロッパのことを次々と話し合い、笑った。それはまさにヨーロッパとの国際交流そのものだった。

僕は夜にもペレと約束があったため、帰らなければならなかった。本当はもっと話をしていたかったが約束を破るわけにも行かなかったので、解散の流れになった。エステルは家に帰り、レナと一緒にラバピエス駅に向かった。レナは本当に純粋ないい子だった。若い大学生で好奇心が旺盛で、話しているだけで爽やかな気分になれた。また、彼女は来週だったら家に泊まってもいいと言ってくれた。僕はマドリッドの滞在を延長し、エステルの家のあとは彼女の家に行こうと決めた。

僕らはまた会おうと約束しベシートをして別れた。

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次の日にも約束があった。ローズは家には泊められないが僕を国際交流パーティーに招いた。バーでヨーロッパ各国の人が集まり、スペイン語や英語を練習する。僕はアジア人ただ1人だけヨーロッパ人に混じっていた。段々とそういう状況にも慣れてきていた。僕はこの旅が始まるまでは欧米人が苦手だったが、もう旅も長い。もはや僕にとって現地人に囲まれることはそんなに苦痛ではなくなってきていた。スペイン語も英語もそんなに完璧にできるわけでもなく、自分と相手の会話しかいまだにできないけれど、とりあえず理解できなくてもびびったり、おどおどしたりしなければなんとかなるという感覚を旅の中で身に着けた。

僕は大勢の前で話すのが苦手で、また大人数で話すとベラベラ話す彼らの外国語についていけなくなるのでいつもどうしようもなくなるが、とりあえず笑顔で堂々としていた。時々タバコを吸いに外に出るとき、スペイン人何人かと話し、彼らはこのスペイン語を話そうとする日本人を面白がってくれた。

僕は酔っ払い最終的に何がなんだかわからずローズと満天の笑顔で写真を取り頬と頬をくっつけあって家に帰った。

・・この3日間で僕は10人を超えるスペイン人と会い会話を楽しんだ。スペイン語の元祖であるスペインの首都でスペイン語で会話をしている、、、、その事実だけで、僕は幸せだった。

もう何日連続でビールを飲んでいるかわからなくなってきていた。

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