セビーリャ





~セビリアの理髪師~

セビーリャは雨が降っていた。スペイン南部アンダルシア地方はどちらかというと熱帯気候だと思っていたため、僕は若干期待はずれな気持ちを隠せないまま、バスターミナルの外に座って雨がやむのを待っていた。

カウチサーフィンの旅が今までのどこよりも成功したマドリッドでの2週間を終えて、多少疲れが出てきていた。夜行バスでうまく眠れなかったということもあった。だが、一応、ここでもカウチサーフィンのリクエストは送っていた。たいして期待もしていなかった。僕は疲れがたまっていた自分に嘘はつけなかった。少しだけ一人になりたかった。

そんな中、宿に向かった。久しぶりの宿、とりあえず一人になろうと思い雨の中ホステルブッカーズで予約した宿に向かった。意外と迷わずに宿にたどり着いた、だが、チェックインの時間まで数時間あった。僕は疲れ果て、泥のようにソファで眠った。3時間ほどで起きてチェックインの時間になり、僕はアンヘラにメールを送って夜6時にセビーリャ市庁舎の前で待ち合わせをすることにした。僕は仕事を終えた気になり今度は部屋のベッドで眠った。

・・気がついたら夜6時になっていた。僕はアンヘラにスカイプから電話をして遅れると言い、急いで市庁舎に向かった。雨はまだ降っていた。

アンヘラは日本語を勉強しているスペイン人でカウチサーフィンで知り合った。彼女は家にとめることはできないが日本人と話したいと言い、僕らは会うことになった。

アンヘラと友達のマリアは笑顔で僕を迎えてくれ、手作りのお菓子をくれた。あいにくの雨の中、僕らはバーでビールを飲んだ後、セビーリャの中心部を歩き回った。雨は降ったりやんだりしていた。スペインの春は天気が常に不安定、これはサラゴサもマドリッドも同じだった。何日連続でビールやワインを飲んでいるかわからない。若干体力に限界が来ていた。

酔っ払って帰ってきた僕は、泥のように眠った。久しぶりに引きこもろうと思った。

・・いつの間にか次の日の昼12時、どれだけ眠るんだと自分自身を笑いながら、昼食を食べさらに眠った。体力的な疲れなのか、人付き合いの精神的な疲れなのか、ただ単に毎日毎日酒を飲みすぎている疲れなのかわからないが、とりあえずは多少回復した。僕はそのまま一日中引きこもっていた。セビーリャは夜9時ごろまで明るいため夜でも外を歩き回れた、僕はほんの30分ほど外を散歩しスーパーで買い物をした。

宿は10ユーロで、そんなに高くはなかった。パリやアントウェルペンに比べれば格段に安い。なおかつそんなに居心地が悪いわけでもない、サラゴサ、マドリッドとカウチサーフィンの付き合いは長く続いた、それを太陽だとすれば宿で誰とも話さず引きこもるのは月だと思えた。どちらも僕にとっては必要だった。外国人と外国語で明るく話す自分がいれば、誰とも話さず宿に引きこもる自分もいると、旅の中でこの二つのハンドリングをするようになった。だが、いまだにバランスがとれずにいる、その結果が一日中眠っている結果になっているのだろうと、僕は自分自身への皮肉をこめて心の中で笑った。



次の日、僕はまたスペイン人と会った。スペイン人とスペイン語が話したいという理由から、カウチサーフィンではできるだけ多くのスペイン人に声をかけるようにしていた。そのおかげで、幸か不幸か毎日のように忙しかった。お金はどんどんとなくなっていった。

僕らはまた市庁舎の前で待ち合わせをした。僕は時間より早く着き、市庁舎の前のベンチに座りタバコを吸いながらアンブラを待っていた。彼女は大体時間通りにやってきた。

イタリア人とアルゼンチン人のハーフである彼女は、セビーリャ大学に留学をしている大学生だった。彼女は自分の国籍がわからないと笑いながら言った。

僕は段々とスペイン人、というよりもヨーロッパ人に対しての話し方がわかってきた。同じスペイン語を話すにしても中南米とはまったく勝手が違っていた。あまり近づきすぎず離れすぎず、程よい距離感でコミュニケーションをとらなければならない。ヨーロッパの人は個が自立している。家族や恋人や仲のいい友達には心を開くが、出会ったばかりの人にはすぐには心を開かない。そこは決定的に中南米の人と違い、どちらかというと日本人とかかわるような感覚にならなければならなかった。

ヨーロッパに長くいることで、ヨーロッパの人々とのかかわり方に慣れてきた。僕はアンブラにも同様に、あまり近づきすぎず離れすぎず、日本人と話すような感覚で話をした。

彼女はセビーリャの街を案内してくれた。市庁舎からカテドラル方面に歩き、セビーリャ大学へ行った。僕はセビーリャの歴史ある建物の雰囲気を感じた。セビーリャの建物は所謂ヨーロッパ的な建物だが、アラブの要素が絡まっていた。街にはヤシの木が茂り、観光用の馬車が走り、噴水の周りには花が咲いている。人々は昼間からバーのテラスでビールを飲んでいたり公園で日向ぼっこをしている。所謂人々がイメージしているスペインそのものだった。

僕は彼女と世間話をしながら、黄金の塔へ向かいそのまま川のほとりを歩いた。不安定な天気が続く中、この日は天気が格段によくなった。太陽が照っているがそれほど暑くはない。むしろ肌寒いくらいの春の気候でのどかな街、だんだんと清新な気分になってきた。

セビーリャ

セビーリャ

セビーリャ

セビーリャ

セビーリャ

セビーリャ

スペイン広場は息をのむような美しさだった。僕は彼女と一緒に広場の写真を取ったり、歩き回ったり、宮殿の中にはいり広場を眺めたりした。この天気のよさと、宮殿の美しさは本物だった。トレド・セゴビア・セビーリャと、スペインがヨーロッパの中で、むしろ建築と言う観点では世界で一番、素晴らしいと確信した。

セビーリャのスペイン広場

セビーリャのスペイン広場

彼女はどうやら学校の勉強で疲れているようだった。僕は彼女に悪いと思い、ありがとうと言って別れようとしたが、彼女は「あと1時間くらいなら大丈夫」と言い、バーでアンダルシアの伝統料理を食べてビールを飲んだ。僕は彼女に気を使いながら、あまり疲れさせないように話をした。彼女は笑っていた。

スペインは中南米は、同じ言語でもまったく違う。スペインは結局はヨーロッパの一つの国でありそこに住んでいる人はたとえラテンの国スペインだとしても、ヨーロッパであった。僕は日本人と違うようで似ていて、似ているようでまったく違うヨーロッパの人々との絡み方が少しだけわかった。この似て非なる厳然とした違いは興味深かったが、それ以上に疲れは溜まっていた。

次の日にはもう一つの約束があった。疲れがたまり、ちょっとだけカウチサーフィンのリクエストを送りすぎたなと後悔をした。

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