ポルトガル・ファロ旅行記





~自己満足~

ポルトガルの街ファロはセビーリャから3時間ほどのところにあった。バスの中で眠っていたらすぐにたどり着いた。当然のように国境もなく通貨も変わらない。僕は国境審査も何もない、国内旅行のような感覚でスペインからポルトガルに移動した。

何の情報もないままやってきた。この感覚は久しぶりだった。とりあえず予約した宿に向かうために僕は人に道を聞きながら、駅の近くの宿にたどり着いた。

セビーリャやマドリッドのような観光地でもないファロでは宿代が若干高かった。だが、人がいない分居心地はよかった。ほとんど人がいない宿の中で僕はのんびりとして、外を散歩し始めた。

リスボンなどの大都市に行けばまた変わるかもしれないが、このファロという聞いたこともない街は小さく、人がほとんどいなく、静かだった。今までマドリッドやセビーリャと言う大都市で常に人と一緒にいて、ビールやワインを飲んで、騒いでいた自分にとってこの静けさは最高だった。僕は一人で静かに街を歩くことで完全に癒された。

この静かなポルトガルという国は、スペインという騒がしい国に疲れたときには最高の場所だった。それはインドとネパール、タイとラオスのような間柄に似ていた。僕はスペインという騒がしい国で騒がしく過ごした疲れを癒した。

・・「ようやくポルトガルにやってきた。」僕は一人で街をぶらぶらとしながら、自分の一つの目標を達成し、自己満足に浸っていた。

台湾を中国とするならば、今まで自分が旅行した場所をつなぎ合わせると、日本、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルと、ユーラシア大陸横断を成し遂げたことになった。

こんなことはくだらないと常に思っていた。別にユーラシア大陸横断したからといって何が起こるわけでもない、深夜特急のように一気にユーラシア大陸横断したわけでもない、ただの自己満足であることはわかっていた。そのためポルトガルにいこうかどうかも迷った。移動費もかさむ中いちいち、スペインから行く必要があるのかという疑問もないわけでもなかった。だが、あえて行こうと決めた。

この旅はずっと天邪鬼でやってきた。天邪鬼的にかたくなに日本人バックパッカーと絡むのを避けてきた。むしろ世界一周という言葉自体を馬鹿にしてやってきた。「何カ国に行った」とか「何を成し遂げた」というネームバリューよりも「何を感じてきたのか」、とか「何をやってきたのか」という本質的なものを求めてきた。

でも、旅を続ける上で、ネームバリューは嫌いだと思う天邪鬼な自分に対して、もっと素直になってもいいのかなと自分の心境に変化があったのも事実だった。ネームバリューはネームバリューでいいところがある。それは自分の自信になり、自分で自分を満足させることができる。

問題なのはそれを過信したり人に自慢したり、ということだった。僕はそういう人間が大嫌いだった。そして世界一周しているバックパッカーの中にその種の人間が多数いることも事実だった。それは今でも変わっていなかった。だからこそ自分自身がそういう自慢げになるのはやめようとは思っていた。だが、それと自己満足は何も関係がない。

旅を始めたころは流れるように動いていた僕は徐々にかたくなな天邪鬼に変わり、そしてまた変わっていった。僕は、このささやかな既成事実を素直に喜べるようになった。

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街を歩いていると一軒のレストランにたどり着いた。個人でやっているような小さい店だった。僕はおなかも減り、宿にキッチンもなく自炊もできなかったので、全然お金がないにもかかわらずこのレストランに入った。日替わり定食7ユーロを払う余裕はなかった。治験が終わってからこの2ヶ月で僕の家計簿上で、一日の生活費は想像よりもはるかに跳ね上がっていた。僕はスープとパンを頼み、椅子に座ってメニューを見ながら待っていた。

パンはすぐにやってきたが、スープが来るのに時間がかかった。僕は何の味もないパンをちょっとずつつまみながらスープが来るのを待った。

15分くらいで温かいスープが出てきた。野菜をすりつぶしたようなスープは、中々野菜を食べるチャンスがないヨーロッパ旅行の中ではうれしいものだった。僕はパンをスープに浸しながらゆっくりと食べた。僕はなぜか無駄にビールとオリーブを頼み、オリーブをつまみにビールを飲んだ。普段一人でビールを飲むことなどないのに、なぜかビールが飲みたくなった。

パンをスープに浸して食べていると、徐々にスープがなくなってきた。僕はスープをもういっぱい注文しようかを真剣に考えた。ここでスープを頼んでしまうと結局定食を頼むのと同じくらの値段になってしまう。

考えながら残り少ないスープにパンを浸していると、レストランのおばさんは、スープを持ってきてくれた。ポルトガル語とスペイン語と英語が混ざったような言葉で「2杯目はお金を払わなくてもいい」というようなことを言った。

僕は中学生のころに国語の教科書で読んだ「温かいスープ」という話を思い出した。1950年代のパリ、貧乏な大学の講師が小さなレストランで、作者がお金がないためにオムレツだけを注文すると、レストランのお母さんが、「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいました。よろしかったら召し上がってくださいませんか。」 といい、温かいスープをサービスしてくれる話である。

中学生のころにこの話を読んでもまったくなんの感慨も沸かなかった。だが、僕は旅をしているときにこの話を思い出し、「温かいスープ」で検索するとこの話はそのまま出ていた。改めて、今、こうやって国際交流のようなものを自己流でやっているなか、この話は身にしみた。

そして、僕はポルトガルでこの話をリアルに体験した。この話のようにそこまで貧乏と言うわけでもない。事実、僕はビールとオリーブを頼んでいた。

だが、僕はお金の問題ではなく、このおばさんのホスピタリティーに感激した。ここまで色々な人とかかわって、いろいろな人にお世話になって、飽きるほどに僕は外国人とかかわってきた。

フェイスブックやスカイプでつながり、バーでビールを飲んで騒ぐ国際交流も素敵である。だが、僕は二度と会うこともないであろう名前も知らないこのおばさんの何気ない優しさに心を打たれた。

ファロ

ポルトガルで僕はカウチサーフィンを使うこともなく一人でいた。街を歩き、だらだらとネットをして、スーパーに買い物に行き、パンとサラミを買ったり、ぼろぼろになったジャージの代わりに新しいジャージを買ったりと、のんびりとすごした。ここまでスペインでずっと人とかかわり、アムステルダムやパリという大都市の喧騒のなかを旅行してきて、疲れが溜まってきた中で、このポルトガルの静けさと何もない街は僕にとって必要なものだった。

誰もいない旧市街の石畳を歩き、夕日を眺めた。一人旅と言う感覚に浸った。

「このまま日本に帰ってしまおうか?」と考えた。深夜特急でも作者がポルトガルにいたときに「日本に帰りたい」という思いがつづられていたことを思い出した。あの気持ちがよくわかった。1年半も日本を離れて、だんだんと日本に帰りたくなってきている。

誰に会いたいとかではなく、日本と言う国に浸りたい。日本と言う国が自分にとっていい国であろうと悪い国であろうとかまわない。自分の生まれた国に帰りたい。日本で家族と一緒に話をしたい。家族と一時的にでもいいから一緒に暮らしたい。こういう当たり前の感覚が徐々に徐々に現れ始めてきた。

また、次にやりたいこともある程度固まってきていた。今日本に帰ったほうが準備は早く進むだろうということもわかっていた。旅前に会いたいと思っていた友達は全員会った。ユーラシア大陸・アメリカ大陸でほとんどの国を訪れた。自己満足には浸れた。

「次のステップに行くべきではないだろうか?」自分自身に問いかけた。日本に帰りたいという思いはポルトガルの静寂の中で強くなった。寂しいわけでも海外が嫌いになったわけでもなくただ、一度日本に帰りたい。この長期旅行を終わらせたいと思うようになった。

もういつ終わってもいい。いつ帰ってもいい。やり遂げたという感覚は確かにあった。明日終わっても後悔がないという感覚は確かにあった。

僕はオランダで今年の8月には帰ると決心していた。後は、軽い気持ちで、何にもこだわることなく、もう一生やることはないであろうこの長期旅行と言うものを楽しもう。

ポルトガルの静かな空気の中で僕は久しぶりに数日間一人でいて、一人で考えた。だんだんと旅が終盤に差しかかっている感覚を感じてきていた。

ファロ

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