マルタ(バレッタ/セントジュリアン)





~マルタ~

イタリアの南にマルタと言う国があるというのはこの旅の中で知った。僕はマルタという見たことも聞いたこともなかったミニ国家に興味がわき、スペインからのチケットが比較的安いこともあり行くことにした。

実際に何があるかは一切わからなかった。おそらくイタリア人がいくリゾート地なのだろうと勝手に推測していた。

北アイルランドのベルファストにいた時に、僕は偶然にもマルタ人のシャノンとベンと知り合った。ベルファストで彼らの家に泊まったとき「いつかマルタに来てね!」といっていたことを思い出し、僕はシャノンに「今度マルタに行くよ。どの街がお勧め?」とメッセージを送っていた。

彼女は「バレッタとムディーナはとても素敵なところよ」と教えてくれた。実際、彼女のこの言葉以外に情報は一切なかった。地球の歩き方を持っていたスペインとは対照的だった。

ホステルブッカーズで宿を取ったのはバレッタから2キロほどのスリーマというところだった。セントジュリアンと言うところもどうやら安宿が固まっているようだったが、なんとなくスリーマの12ユーロの宿を予約した。ヨーロッパの旅の前半はユーロも安く12ユーロ=1200円だったのが、今では1500円に上がっていた。本当にそろそろヨーロッパを出なければお金がやばいことになるとわかっていながら僕は4.5ユーロのタバコを買うようになっていた。

マルタに着いたとき、僕は前日のバレンシアの空港泊であまりよく眠れず疲れていた。バスで宿に着き、宿の親父さんはいい人で、丁寧に宿の中を説明してくれた。久しぶりに英語で会話できる。スペイン語に疲れていた自分にとって英語で話せることはむしろ喜びになっていた。

この宿は今までにないくらい居心地のいい宿だった。部屋が広い。ドミトリーが4人部屋、人も少ない。何よりも親父さんがいい人だった。最高の宿だった。

親父さんにバレッタの行き方を聞き、地図をもらった。地図を見るとマルタと言う国は小さいというのがわかる。端から端まで自転車でいけそうなほどに国とは思えない小ささだった。

海は綺麗だった。久しぶりに綺麗な海を見た。泳いでいる人も何人かいる。4月で涼しい気候だが、日本人よりもヨーロッパの人はあまり寒さを感じないのだということを思い出した。この海のほとりを歩いているだけで気分はよくなってきた。

マルタ

スリーマからバレッタへ行くフェリーが出ていた。僕はフェリーに乗りこみ、バレッタを目指した。バレッタはマルタの首都であるが地図を見る限り早足で歩けば2時間ですべて歩き回れそうなほど小さい街だった。フェリーに乗り、だんだんとバレッタが近づいてくるにつれ、この街のすごさがわかってきた。ヴェネチアにも負けないほど美しく、そしてアラブの雰囲気がしてくる。雰囲気はエジプトやシリアに近い。ヨーロッパとは思えないほど雰囲気は中東だった。

だが、いくつも教会があり完全にキリスト教ヨーロッパの世界。完全に異世界だった。こんな世界があるのかと僕は驚きを隠せず、疲れているにもかかわらず目を輝かせながらバレッタを歩き回った。バスの中もフェリーも完全に中東・アジアの匂いがした。ヨーロッパにはないこの匂いは僕に旅感を与えた。段々と中東が近くなっているのを感じさせた。

僕は一人旅の楽しさを思う存分満喫した。

マルタはただのリゾート地ではない。実際海は綺麗でビーチもある。泳いだりもした。だが、リゾート地だけでおわらすにはもったいない、街自体が遺産のようであり保存状態は完璧だった。この日本人がほとんど知らない、自分も知らなかったマルタと言う国に来て、ヨーロッパは奥が深いと感じた。幸せだった。

バレッタ

「ヨーロッパに長くいたことはいつか大きな力になる。」グランドハーバーの風景を見ながら考えた。ヨーロッパに来てから、中南米に比べてインパクトが弱く人が冷たいと常に思ってきた。だが、僕はヨーロッパに、物価が高くて普通は1ヶ月程度で終わらせなければならないヨーロッパにもう7ヶ月近くもいる。7ヶ月近くもヨーロッパで生活をして、数々のヨーロッパの人間と話して、ヨーロッパの歴史を感じてきた。それだけで十分だった。

ヨーロッパを長期間旅行してその歴史、風土、人々を肌で感じ続けてきたこの7ヶ月間は僕にとって夢のような生活だった。この夢のような生活をしたという事実は絶対に今後の人生に影響を与えるだろうと確信していた。

「あなたは幸せよ。たとえ道端で眠ることがあっても。」と数日前にチャットで話した外国人の友達が言っていた言葉を思い出した。確かにそうかもしれない。

僕はグランドハーバーの綺麗な海と、どこの街かもわからないが明らかに歴史遺産のような街の風景を眺めながら数分ほどたたずんでいた。

バレッタ

シャノンはマルタの友達に連絡してくれ、僕はアレックスという女の子と会うことになった。アレックスは19歳のミュージシャンだった。彼女と僕はフェイスブックでやり取りをして、彼女のライブを見に行くことになった。

僕はライブ会場であるセントジュリアンのバーについたときは夜10時をまわっていた。僕は9時に行くと約束していたにもかかわらず、昼間に4~5時間国道を歩き回っていたせいか宿で眠ってしまい、思いっきり遅刻をした。バーに入った瞬間にこのボーカルがアレックスだと直感的にわかった。彼女は僕を見ると「ウェルカムトゥマルタ」と大きな声で言い、休憩中にちょっと話した以外は、ビールを飲みながら彼女の歌声を聴いていた。ロックのようなポップのような心地いい音楽を聞きながら、ビール一杯で酔っ払っていた。

ライブが終わり帰ろうとしたとき、彼女は「明日一緒に遊ぼうと」いった。

僕は次の日の夜7時にバーリにいくチケットをすでに持っていたためあまり時間はなかったが、同じセントジュリアンのバーの前で待ち合わせをした。

僕らはアイスクリーム屋に行き、アイスクリームを一緒に食べながら海を歩いた。この年になって若い女の子とデートできるのがうれしいと思うこと自体、自分が若くなくなったのだなと笑えて来た。

彼女は19歳、いくらバンドで活躍をしていても、ギターを引いている姿がクールだとしても、話せば普通のかわいらしい思春期の女の子だった。彼女は音楽活動のためにマルタを出たいという話しをしてくれた。マルタは小さい。おそらく山手線の内側くらいの面積が一つの国になっている。バスを使えば一日で一つの国を見てまわることができる。それはこの3日間でよくわかっていた。

もうマルタでやれることは限られているから、ヨーロッパのほかの国で音楽活動をしたいと彼女が話しているとき、彼女の目は輝いているように見えた。こういう希望にあふれた未来と言うのはすばらしいものだと、自分が旅に出る前のことを思い出した。

「こういう人を応援していきたい。」と心の中で思った。口には出さなかった。

時間はすぐに過ぎた。僕は1時間半後には空港行きのバスに乗らなければならなかった。

僕は別れ際に頬と頬をくっつけ、思いっきりハグをした。アレックスも思いっきりハグをした。彼女とは二度と会うことはないのかもしれないけれど、アレックスは完全に僕の友達になった。



マルタは渋滞がひどいと宿の親父さんが言っていたとおりにバスは渋滞でたった10キロしか離れていない空港に行くのに1時間ほどかかった。僕は間に合わないかかもしれないと焦り、バスの中でライアンエアーのチケットとパスポートを用意していた。

なんとかギリギリ間に合った。即刻チェックインをして荷物検査をして僕はイタリアのバーリに向かった。ヨーロッパで飛行機に乗るのはこれが最後になるだろう。少なくとももう、LCCで荷物が15キロを超えて超過料金を取られるのではないかとびくびくすることはないだろう。

ヨーロッパ最後の飛行機での移動とはいえ特に感慨もなかった。眠っていたらいつの間にかイタリアのバーリにたどり着いていた。

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