ルーマニアでカウチサーフィン(ティミショアラ)





~最後のカウチサーフィン~

セルビアの国境からルーマニアのティミショアラまでは列車が出ているとベオグラードの宿で聞いた。僕はそのとおりに国境までバスで行き、ティミショアラ行きの列車を待った。

すでにセルビアディナールをすべて使い果たし、クレジットカードでパンとチーズと水を買った。そして列車のチケット売り場ではユーロしか持っていないと説明すると、チケット売り場のおばさんは列車の中でユーロで払えると言ってくれた。

列車が来るまでかなりの時間があったので、僕は国境の街をプラプラとした。日差しがきつくなり始めてきた。

夕方になり列車は到着し、僕は列車に乗り込み、そのまま沈んでいく夕日を見つめていた。車掌はユーロしかないということに戸惑ってはいたが、結局50ユーロ払ってルーマニアの通貨、レイでおつりをもらった。途中イミグレで降ろされパスポートを手渡した。10分ほど列車は止まり、パスポートを返された。

「ついに最後の国ルーマニアに入った」という喜びと、ティミショアラの「カウチサーフィンの家はちゃんと確保できているのだろうか?」という不安の両方を持っていた。



しばらく座って考え事をしていると、ティミショアラに着いた。セルビアとルーマニアに時差もあり、いつのまにか夜9時になっていた。僕は駅の前でクリスティーナを待った。途中誰かを探している美人がいたのだが、あれがクリスティーナかどうかわからなかったため、とりあえず知らないふりをした。

駅前の雰囲気は悪い。セルビアからルーマニアに入って、一気に雰囲気が変わった。ジプシーやホームレスが駅前にたまり、旅行者から金をせびり取ろうとしている光景は、あまりヨーロッパの他の国では見られないものだった。僕はジプシーにタバコをくれとせがまれ、タバコをあげた。ジプシーは「ジャパニーズ?ヒロシマ・ナガサキ」と言っていた。ジプシーですら原爆の存在を知っている。僕はなんだか日本人としてうれしくなった。

しばらく待ってもクリスティーナは現れなかった。僕は近くのレストランでWIFIをつなげ、スカイプから彼女に電話した。彼女は「探してもいなかったから家に帰ってしまったわ。タクシーでバーデル一番地まで来て」と言った。

・・僕は2月にウクライナ・ルーマニアを旅行する予定だったが、結局ルーマニアへはいけなかった。だが、すでにカウチサーフィンのリクエストを大量に送っており、またルーマニアもスペインと同様に多くの人たちが僕を受け入れてくれた。

僕は彼らに「5月にルーマニアに行く」と言い、フェイスブックを交換した。彼らのほとんどはクルージュナポカという街にいて、ティミショアラで会う約束をしたのはクリスティーナとアンナマリアだけだった。僕は結局時間とお金の関係でクルージュナポカには行けなかった。

クリスティーナは数日前に家に泊まってもいいといってくれた。僕はいつものように、そしてこれが最後であると思いながら、会う約束をした。

・・・タクシーにのり、バーデル1番地についた。すると先ほど駅で見た美人が立っていた。やはりあの美人がクリスティーナだった。僕は彼女と頬のキスをして挨拶をした。ルーマニアは東欧唯一のラテンの国だからこれはやるだろうと勝手に推測した。それ以上に、美人と顔を近づけたいという単純な男としての欲望もあった。

彼女は妹と暮らしていて、この日は一人だけだった。僕が「自分は大丈夫だけど危ないからあまりカウチサーフィンで男を簡単に家に泊めないほうがいいよ」と言うと「日本人だしあなたのカウチサーフィンのリファレンスやフェイスブックの写真を見て大丈夫だってわかった」と答え、「普通はカウチサーフィンで家に泊めるなんてことはしないわ。ただ、あなたは日本人で私は日本語を勉強しているから特別よ」というようなことを言った。

クリスティーナが自分がセルビア人とルーマニア人のハーフだと言うと、僕は彼女がありえないほど美人である理由が少しだけわかった気がした。コソボもモンテネグロも、そしてどこよりもセルビアの首都ベオグラードは、考えられないほど美人が多かった。モデルとしてテレビやネットでしかみることができないような美人が道端で普通に歩いている。ウクライナでも驚いたが、旧ユーゴスラビアはそれ以上だった。

数日後に彼女の友達が来るため、到着した日の夜とその次の日の2日間しか泊まることはできなかった。ヨーロッパにおけるカウチサーフィンは基本的に長期で泊まることはできない、また旅行者の手助けをするという意味合いが強く、国際交流という形においても、ヨーロッパ人の気質のせいか、中南米のように人と人の距離は縮まらない。これはどこに行っても同じだった。むしろ、中南米には遠く及ばないにしても彼女とは西欧の諸国の人に比べて比較的仲良くはなった。

僕は彼女が作ったピラフを食べて一緒にタバコを吸いながら話をした。また次の日には彼女は仕事がない時間に街を案内してくれ一緒にティミショアラの街を歩いた。だが、外は夏真っ盛りのように暑く、結局カフェで一服していた。

彼女は日本語を勉強していた。大学や日本語学校に言っているわけではないがある程度の単語や挨拶は知っていた。日本人と話してみたかったというだけで僕を家に泊めてくれた。僕はクリスティーナの初めての日本人の友達になった。

僕は日本語教師の課程をすべて終えたものとして、ある意味では日本語教師として、彼女に日本語を教えた。クラスのように文法を教えたわけではないが時には先生として振舞った。単語を覚えてもらうために工夫をしたり、外来語を日本語発音で教えたりした。英語が日本語発音になるのは外国人にとってとても面白いらしく彼女は笑った。

夜になり、クリスティーナの友達数人とバーに飲みにいった。ヨーロッパにおいて何回も経験してきたためにこういう知らない外国人とバーでビールやワインを飲むという経験は当たり前になった。そしていつものように話がわからないときは笑顔でいて、何かたずねられたら笑顔で答えて、この楽しそうな雰囲気を満喫した。僕は酔っ払い彼女の友達数人と笑いあいながらビールを飲んだ。ルーマニア人は東欧のラテン民族らしく、明るく無邪気だった。

友達と握手をしてハグをして、僕は笑顔で別れクリスティーナと一緒に歩いて帰った。帰る途中、僕は酔っ払っていたこともあり、クリスティーナに自分の本音を言った。今までヨーロッパでカウチサーフィンを使って多くの人と知り合ってきたこと、その前にもインドやネパールや南米でよい出会いも悪い出会いもあったこと。これがヨーロッパでは最後のカウチサーフィンになるということ。自分でもよくわかっていないままベラベラと話をした。

もっと日本のことを教えたかったし、日本のことを紹介したかった。でも、やはりヨーロッパは南米と違い、どうしても日数も限られなおかつ人の性格も違うせいか、消化不良で終わった。それは今までのヨーロッパにおけるカウチサーフィンとまったく同じ構図だった。



次の日、クリスティーナは宿を探してくれ、タクシーで宿まで送ってくれた。僕らはティミショアラを出る日にもう一度会おうという約束をした。

この日から僕は激しい歯痛に襲われた。歯茎がはれている。口内炎とも違う。よくわからない口の中の痛みを我慢しながら歯磨きを何度もして、口内炎の薬を使いながら痛みを抑えた。そんな痛みを我慢しながら最近ライブモカで知り合ったアンナマリアとカテドラルの前で会うことになっていた。

アンナマリアとは入れ違いになり結局広場のマクドナルドで待ち合わせをすることになった。僕はシングルにとまりたかったため、別の宿を予約していた。アンナマリアがマクドナルドにくると、僕は彼女と一緒に宿に移動した。

宿は遠かった。1時間ほど重いバックパックを背負い、日差しの強いルーマニアの街を歩いた。歯痛も激しくなり、僕は彼女とちゃんと話す余裕すらなくなっていた。

宿に着きチェックインをした。アンナマリアは僕のサブバックを運んでくれていたため一緒に部屋に入った。僕は彼女といままでチャットをしてきて、彼女のクレイジーさに惚れ込んでいた。彼女は今までに見たことがないタイプの女性で、僕のクレイジーさも、ある意味では誰よりも理解をしてくれていた。アンナマリアは僕がどうしてもやりたかったことをわかってくれ、部屋の中で僕のある種の、悪夢とも呼べる夢を叶えてくれた。アンナマリアの表情には、すべてのものを憎むような感情があった。僕はその感情を嫌いではなかった。

・・部屋から出てホテルのロビーで話をしているとき、アンナマリアはホテルのオーナーと奥さんに僕の歯痛の話しをした。すると奥さんはルーマニアの度数の異常に強いお酒をくれ「これで口の中を消毒しなさい」と言った。

このお酒はあまりにも強すぎたため、口の中が痺れた。強いを超えて痛い。口の中が痛い。歯痛の痛みに加えて強すぎるアルコールのせいで、口の中はどんどんと痛くなった。そしてあまりにも強い度数のお酒を飲んだせいか、思いっきり酔っ払った。

実際、僕はほとんど覚えていなかった。アンナマリアと一緒に近くのフードコートに行き、寿司を食べて中華料理を食べて、歯がとにかく痛いことしか覚えていなかった。強いお酒のせいで僕は記憶があいまいになるほど酔っ払い、歯の痛みを抑えた。

部屋に戻り、アンナマリアは家に帰る前に、僕はもう一度悪夢のような夢を叶えるべくアンナマリアと一緒に部屋に入った。男女の関係を持つわけでもなく僕は彼女と一緒に部屋にいた。記憶は飛んでいた。

アンナマリアは家に帰り僕はホテルで眠ったが、歯痛のために夜中に起きてしまった。どうしようもなく歯磨きをしてさらに眠ると、結局昼間まで眠ってしまっていた。ブカレスト行きの列車は夜10時。歯痛のせいか体調も悪くなり、部屋をチェックアウトしたあとも僕はロビーで眠っていた。

ホテルのオーナーは僕を駅まで送ってくれた。ホテルのオーナーと奥さんにはお世話になった。オーナーは英語が話せなかったため、僕は笑顔でルーマニア語で「ムルツメスク(ありがとう)」と言って自分の感情を伝えた。

最後に僕はクリスティーナと会った。バス停で待ち合わせをして頬と頬をくっつけた。最後のカウチサーフィンは終わった。僕はルーマニア美人の家で最後のカウチサーフィンをすごし、そして最後の最後にルーマニア美人と頬をくっつけて別れた。

歯が痛い。夜行列車の中でもあまりよく眠れなかった。ガムを失くし、気分を紛らわせることすらできなくなった僕は、地獄のような夜行列車の中でとにかくブカレストにつくことだけを願っていた。

・・・朝7時に列車はブカレストに到着した。バックパックの中のシャンプーがこぼれてバックパックの中を片付けながら僕は旅をやめたいと思うほどにショックを受けた。歯が痛いのというのも確実に気分を悪くさせた。

だが、これが最後。ルーマニアがヨーロッパ旅行最後の国であり、僕は最後のカウチサーフィンを終えた。ルーマニアの首都ブカレストで数日過ごしイスタンブールに戻る。

駅の中のマクドナルドで、ヨーロッパ最後の現地人の友達、ロレダーナを待った。最後までヨーロッパを肌で感じようと意気込んだ。

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