エルサレム・ベツレヘムのバンクシーの風刺画





~聖地エルサレムとパレスチナ自治区~

エルサレムの近くにベツレヘムという街がある。ここはイエスキリストが生まれた場所でありながらイスラム教徒の住むパレスチナ自治区となっていて、イスラエル・パレスチナの矛盾が見える場所でもある。

日本人の旅行者の中でこのパレスチナ自治区の壁に書かれているバンクシーという人の風刺画が有名になっていて僕は一緒に見に行くことにした。

ダマスカス門から出ているバスに乗り、30分ほどで到着した。パレスチナ自治区といいながらもほとんどエルサレムと変わらないような印象だった。7年前に来たラマラはもっとアラブの感じがしたのを思い出した。

僕らはキリストが生まれた聖誕教会を見学していた。この教会でイエスキリストは今から2012年前の12月25日に生まれた。歴史の重みのある教会。中南米と違って教会自体は簡素なものだった。特にゴテゴテとした飾りはない。中南米は植民地時代のスペイン・ポルトガルが自分たちの財力を誇ったため金をふんだんに使った豪華なものが多かったが、ここは昔ながらのごく簡素で地味な教会だった。僕にとってはどちらも素敵だった。

聖誕教会

聖誕教会

ここからバンクシーの風刺画はタクシーを使えなければいけなかった。7人の日本人旅行者はタクシーと交渉し、それぞれチャーターしながら見て周った。

バンクシーというイギリス人がイスラエルの分離壁を皮肉って書いたものらしい。詳しくはわからなかった。

バンクシーの風刺画

バンクシーの風刺画

バンクシーの風刺画

バンクシーの風刺画

イスラエルとパレスチナの状況は相変わらずだった。イスラエルは分離壁をつくりパレスチナ人を隔離しようとしている。タクシーの運転手は「ここは南アフリカだ」と皮肉を言った。アパルトヘイトを意識していっているようだった。

だが、7年前に来たときよりも格段に治安もよくなり、険悪なムードがなくなっていた。前はエルサレム旧市街のあたりですでに一触即発なムードがありユダヤ・キリスト・イスラムがそれぞれいがみ合っているような雰囲気があったが、ベツレヘムでもエルサレムでもそれは感じなかった。

もちろん事実はわからないが、平和に向かっている感じがした。

バスに乗りイスラエルの検問を越えてエルサレムに戻った。ここはパレスチナ自治区のためイスラエルの入るのにもうもう一度パスポートを見せる必要があった。僕はコピーしかもっていなかったが全く問題なく戻ることができた。

僕はまた一人で数日エルサレムの街を見て周った。ようやくある程度の見所を見て周りのんびりでき始めていたが、どうしても神殿の丘には登りたかった。

神殿の丘はエルサレムのユダヤ人地区にある、嘆きの壁の上に位置する場所。イスラム教ユダヤ教にとってもキリスト教にとっても聖地になる。

ここに入るためには物々しい荷物検査を受けなければならない。三つの宗教の聖地のためテロを常に警戒している。指定された時間に並び待たされながら一人ひとり荷物検査を受けてようやくこの神殿の丘に登ることができる。

神殿の丘に上るとまず見えるのが岩のドーム。預言者ムハンマドが昇天したと言われるエルサレムのシンボル。この黄金に輝く寺院の写真を撮ることが、そしてこの寺院をくまなく見ることが、僕にとっては至上の喜びだった。 僕はこの寺院でいろんな角度から写真を撮り、この丘を一人で歩いていた。

岩のドーム

岩のドーム

神殿の丘

神殿の丘

僕は宿でイスラエルの歴史に関する日本語の本を見つけて勉強していたが、この宿には多くの日本人がいて話し込むことが多かった。あまり深くは勉強できなかった。今の季節は大学生の夏休みで若い人が多く、彼らと話をしていた。自分より若い人たちとふざけた話をし、そして自分と同じような考えを持っている人とは深い話や自分の悩みを話し込んだ僕は日本人旅行者と話すことがこの旅でほとんどなかったため、逆に新鮮だった。

特に何も考えずに、ただ観光して、日記を書いて、日本人と話して、、、と所謂バックパッカーの感じが出てきて、自分のパワーがみなぎる感じがした。現地人とかかわり続けるのとは全く違う旅のスタイルだった。

そこには幸せと安心があった。僕は愛している人のことを考えた。いろんな思いがあって愛している人がいて、遠く離れていて、寂しかったりすることもあるけれど、今は、今この瞬間を考えようと思った。僕は彼女を愛している。それは本気で誰よりも。だが旅をより愛しているというのも事実だった。これははじめて出会ったときに彼女に伝えたことだった。色々と悩み考えながらも結論ははじめて出会ったときと同じだということに気がついたとき、ふと頭の中が軽くなった。

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