カウチサーフィンヨーロッパ格安旅行記・完結





~グランドフィナーレ~

ヨーロッパに入国したのはちょうど10月上旬だった。今は5月上旬。あれから約7ヵ月が経過し、僕は最後の街でであるルーマニアの首都、ブカレストにたどり着いた。

ロレダーナはやってきた。ヨーロッパにおいては最初で最後のカウチサーフィンでもライブモカでもない、メキシコで出会った日本語教師からの紹介での現地人の友達だった。

彼女は日本に留学経験もあり、日本語がペラペラだった。どこか性格も日本人のようだった。僕は日本語で彼女と会話をして、彼女の家に泊めてもらうことになった。夜、彼女は彼氏の家に行くため、完全に一人で広いアパートを使わせもらうことができた。

僕は一度ブカレストに来たことがあったが、もう一度チャウシェスクの軌跡を見てみたかった。以前来たときに国民の館は見たが革命広場は見なかった。少なくとも記憶は一切なかった。僕はルーマニア革命と言う自分が6歳の時に起こった社会主義革命のドキュメントを見て、もう一度ルーマニア革命と革命前の社会主義の雰囲気を味わいたかった。

ロレダーナはガイドの仕事をしているため、僕にブカレストの街を案内してくれた。僕は日本語で彼女の解説を聞きながら国民の館と旧市街と革命広場に行った。革命広場は僕が小学校一年生のころにテレビで見たことがあるドキュメンタリーに登場した場所そのものだった。あまり記憶はないが、むしろ大人になってからチャウシェスクのドキュメンタリーを見たこともあり本当に小学生のころにテレビで見たかすらも定かではないけれど、チャウシェスクが演説をした後にヘリコプターで逃げたあの革命広場の前の共産党本部を見て、僕は以前本やテレビでみたことのある東ヨーロッパにおける近・現代史をリアルに見た。

ロレダーナとは色々な話をした。彼女と話すことで、また天気のいいブカレストを歩くことで、ルーマニアの雰囲気は7年前よりも格段によくなっていたのを肌で感じた。治安が悪そうに見えても実際そんなに悪くはない。中南米と比べれば何てことはない。ルーマニアはEUにも加盟し、旧ユーゴスラビアと同じように確実にユナイテッドヨーロッパの一部になりつつあるようだった。この7ヵ月の間で、シェンゲン協定にも如実にあらわれているように、僕は一つのヨーロッパをずっと感じてきた。ヨーロッパは徐々に確実に統一化されつつあり、ポーランドやウクライナや旧ユーゴスラビア、ルーマニアなどの西欧から遠く離れた国ですら、人々が自由にヨーロッパ内を移動できる。

一つのヨーロッパはどこの国にも見られるEUの国旗に象徴されていた。

・・・彼女に何かしてあげようと思い、僕は日本食を作ろうとしたが、あまり上手くいかなかった。むしろ彼女は自分の彼氏と一緒にいたがっていたようなので、僕は気を使って自分にあまりかまわなくていいと言うようなことを言った。

ヨーロッパでのホームステイはいつもこういう感じだった。今までのカウチサーフィンをはじめとするホームステイの中で、中南米とは違い僕は最後までヨーロッパで自分の愛を伝えることはできなかった。中南米では簡単にできたことなのに、ヨーロッパでは全くといっていいほどできなかった。中南米とヨーロッパの違いが最後になって少しだけわかった。ヨーロッパにも当然家に泊めてくれる人がいて食べ物やお酒をおごってくれる人がいて、いい人はたくさんいる。だが、何かが違った。

彼らが仲良くしたいのは経済的に独立した人間であり、日本人であり、僕個人ではなかった。それに冷たいという表現をするのは申し訳ないが、少なくとも僕にとっては、中南米と比較して彼らは冷たかった。僕は長い間、バックパッカーの中で有名な人々の冷たさとあまりの物価の高さに心がさびれる「ヨーロッパ病」にかかっていた。

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バスと飛行機のチケットの値段が変わらなかったため、僕はLCCのチケットを取った。もうヨーロッパで飛行機に乗るということはないと思っていたが、2013年、ヨーロッパにはLCC・ローコストキャリアと呼ばれる格安航空会社が次々にあらわれ、バスと飛行機の値段が変わらないという時代の流れをヨーロッパの最後にもう一度感じてみようと思った。

ルーマニア最後の夜、つまりは長かったヨーロッパ旅行最後の夜、僕はロレダーナの友人のダニエラの家に食事に招かれた。ルーマニアの社会主義に象徴されるような趣のある家で、僕はルーマニアの伝統料理を堪能した。ダニエラは英語とスペイン語を話してくれたため、コミュニケーションは容易だった。彼女らは当然ルーマニア語で話をしたが、ルーマニア語はスペイン語やイタリア語と同様、ラテン語を起源としているためかどこか響きも似ていた。

僕は最後まで現地人と一緒に過ごし、ルーマニアと言うエキゾチックな国でルーマニア語の響きを聞きながら、ヨーロッパの最後の夜を望ましい形で終えることができた。

長かったヨーロッパ旅行はついにグランドフィナーレを迎えた。僕はもう、お金を持たない限りは、そしてお金を持つ可能性はかなり低いが、ヨーロッパには来ないだろう。

ローコストキャリアで時代の流れを感じる以外は、僕は敢えて相当お金を節約した。当たり前のように自炊をして、外食はほとんどマクドナルドかケバブで、水は水道水を飲み、できる限りカウチサーフィンを使い、ネットを駆使してできるだけ安い宿を探し、野宿すらもした。人との付き合い以外に、自分のためにお金を使うことはほとんどなかった。

ヨーロッパでお金がないということは相当にさびしい思いをすることと一緒だった。ヨーロッパの人々はそれぞれの生活で忙しく、個人が自立していた。家族や恋人・友人の間の絆は強いがよそ者に対しての人当たりはかなりきつい部分もあった。また物価が日本以上に高く、本来1ヶ月程度で抜けなければいけない地域に7ヶ月もいることなど不可能であった。経済的に自立していない人に対して、たとえ友人であったとしても、ヨーロッパの人々はさらにきつかった。

お金がないために、「自分の家がない」ために、ヨーロッパの人との交流は中南米とは比べ物にならないほどきつかった。北アイルランドとポーランドだけは比較心を通わせることができたが、ほかの国ではどんなに頑張っても彼らと本気で心を通わすことはできなかった。

僕の心はどんどんと寂れていった。それを覆い隠すかのように、自分の心にポジティブに話しかけていた。

それでも、僕はあえてヨーロッパに長くいようと決めた。それには、大切な理由があった。

僕は、あえて単純に弱い立場の人間になってみたかった。自分が生きていく上で、社会的に弱い立場の人の気持ちを体に染み込ませたかった。

人間、いつどこで何があるかわからない。東日本大震災が起こったとき、多くの人は財産も家も無くした。家族を失った人もいる。僕は日本にいたとき、そういった人たちに対して何もできなかった。ボランティアにいくことを考えたが、旅がしたいという、夢と言う名前の欲望を満たすために、当時僕は自分の仕事を休むことをしなかった。突然すべてを無くした人たちをどこか他人事のように見ていた。

当然宿に泊まったりもしたけれど、確実に僕はヨーロッパでホームレス寸前の状態になり、人の優しさも、そしてそれ以上の冷たさも味わった。物価の高いヨーロッパではアジアや中南米と違い、宿に泊まることを意識して避けた。僕はカウチサーフィンで人の家に泊まり続け、何度か野宿をした。それは物理的にも精神的にも、自分に「家がない。」という感覚を鮮明に植えつけることになった。僕はヨーロッパという先進国の中で社会的に弱い立場に自分の身を置くことに、必要以上に、成功した。

そんな中でも僕は長期間ヨーロッパにいることができて本当に幸せだった。ある意味ではただ単純にヨーロッパが好きだから長期間ヨーロッパにいようとしたのかもしれない。僕は本気でヨーロッパが気持ち悪いほどに好きだった。幼いころからずっとヨーロッパにあこがれていた。ギリシャ・ローマにはじまり、フランク王国、イングランド、神聖ローマ、レコンキスタ、大航海時代、宗教改革、産業革命、フランス革命、植民地支配、二つの大きな大戦、東西の冷戦、社会主義と資本主義、カトリック、正教会、プロテスタント、古代から近現代にいたるまで僕はヨーロッパのすべてが好きだった。一つのモニュメントから教会・現代的なヨーロッパにいたるまで僕はありとあらゆる形でヨーロッパの街並みを堪能した。ヨーロッパを飽きるほど、嫌いになるほど肌で感じ続けてきた。これは短期旅行では絶対に味わえない。

僕にとってヨーロッパは幼いころから想い焦がれていた夢の世界であった。何年もその想いを持ち続け、僕はそれなりにヨーロッパ史とヨーロッパ言語とヨーロッパ文化を勉強してきた。そのヨーロッパに、辛く寂しい思いをしながらも長期間滞在して、飽きるほどヨーロッパ建築を見続けた日々は一生忘れない。

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最後の日、彼女の仕事のためにロレダーナと会うことはできなかったが、ダニエラは家の鍵を受け取るために家に来てくれた。僕らは空港行きのバス停に行き、ヨーロッパの最後も中南米と同じように現地人に見送られる形で終えた。

僕は夢を見ていたようだ。

僕は幼いころから見ていたヨーロッパ全土を旅行するという夢を叶えたのだ。

以前ヨーロッパに来たとき、僕はあえてイタリアとドイツより西に行かなかった。それは「もう一度来る」という意思表示だった。僕は7年前にヨーロッパに忘れてきたものを取り戻しに来た。それも、インターネットという技術を使ってお金を節約し、そして何倍もヨーロッパの生活に入り込む形で。

ヨーロッパにきてよかった。若いうちにヨーロッパという歴史上長きに渡り世界史の中心であった地を肌で感じることができたのは、たとえ「家がなかった」としても、本当に幸せだった。

ただ、幸せだった。

・・・・・さぁ、日本に帰ろうか。




ヨーロッパ編・完

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