キューバの社会主義/スペイン語留学inキューバ



〜カルメン夫人との談笑〜

トリニダーのバスターミナルでは、多くの客引きが自分のカーサに連れて行こうと必死だった。5〜6人ほどの客引きが自分のカーサに連れて行こうと僕を引き止めたが、僕は落ち着いて交渉を始めた。需要が少なく供給が多いほどこちらが優勢になり、交渉しやすくなる。

結局10CUCでダマリスという女性の家に泊まることになった。ダマリスは元気のいいおばさんだったが実年齢は見た目より若く、30代であった。

家に到着すると突然、彼女は朝食・夕食つきで15CUCと言い出したがこの街はハバナと違って安いピザやカヒータを売る店が少なさそうであり、これ以上交渉するのも面倒だったので彼女の提案を承諾した。

トリニダーはハバナと違って静かな田舎街だった。街は古い石畳で昔のヨーロッパをそのまま遺跡にしたようなつくりになっているようだった。そして街中の移動に未だに馬車を使っている。観光客向けのパフォーマンスではなく実際に、実用的に馬を移動に使っている。大航海時代のヨーロッパの植民地そのままである。

トリニダーの馬車

街の人は純粋で観光客に対して他愛もなく声をかけてくる。ハバナとは違うと安心していたら、やはりここも観光地だった。純粋に話しかけてくる人もいるが、歩いていると「タクシー?レスタウランテ?コイーバ??」とどんどんと話しかけてくる。入国当初は戸惑っていたが、段々とこの物売りたちも気にならなくなってきていた。

それでもハバナに比べて家は綺麗で街は静かだった。こんな静かな街に滞在してスペイン語を習いたいと思った。そもそもハバナではスペイン語を習うことが出来るかも微妙な状況である。

「スペイン語を習うことが出来る学校はあるか?」とダマリスに尋ねると街にはスペイン語学校はないが、大学教授に知り合いがいるので紹介してくれることになった。彼女に連れられ大学教授のカルメン婦人と知り合った。彼女は60歳近くの初老の女性であった。彼女と交渉し、1時間5CUCで1日3時間、週5日のスペイン語のプライベートレッスンを受けることになった。

カルメン婦人のスペイン語レッスンはまず会話をすること。そして基礎的な文法を習得すると言うことだった。僕は必死に辞書を引きながら自分のもてるすべての単語力、文法力を使い彼女と話をした。彼女は僕のスキルを見極めながら、徐々に会話のレベルを上げていった。大学で外国人にスペイン語を教えているからか、外国語の教え方が上手い。

彼女との談笑は楽しかった。彼女は物事に対して柔軟な考え方ができる知的レベルが高い人だった。キューバという自由がないと言われる国でこんなにも自由に考えを語り、他国の考え方を理解することができるということに驚いた。むしろ自由な国であるはずの日本に住んでいる日本人の方が、自由に考えることができていない人が多いのではないかと感じた。

彼女はこの国ではテレビと新聞でしか情報を得ることができないという話をした。他国ではインターネットが使えることも知っている。民を統制するのに便利なテレビや新聞といった既存のメディアでは得られない世界のリアルな情報が、インターネットというメディアによって簡単に手に入れることができるという、日本でも多くの人がわかっていない事を彼女は理解していた。



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ダマリスの家は見た目綺麗であったが実際はものすごく汚かった。見た目はヨーロッパテイストでお洒落だが、シャワーのお湯が出なかったり、トイレが流れない時があったり、トイレの鍵が壊れていたりする。ハエや蚊が家中を飛んでいる、蚊取り線香のようなものはない。ただ、ホワキナの家もライサの家も、キューバの家はどこも同じだった。

不衛生な環境のせいか、レッスンを受けて数日後、僕はまた熱を出した。
これは・・デングか?デング熱なのか?

頭が痛く、常に強烈な眠気が襲ってくる。咳がまた止まらなくなった。メキシコに到着したときも体調を壊していたが、約1ヶ月でまた体調を壊してしまっていることが悔しかったが、ちょっと考えると今までもそうだったということに気づいた。
僕はいつも旅の初めに体調を壊し、色んなことを考えすぎて混乱する。それが旅を続けていくうちに、段々と慣れてきて強くなっていく。

そう考えるとたいして焦らなかった。安静にし、薬を飲んで寝る。ただ、それだけだった。ダマリスは薬を買ってきてくれ、カルメン婦人も心配してくれていた。

薬を飲んで夜も昼も眠る日々を2〜3日繰り返すと瞬く間に体調は元に戻った。デング熱ではなかった。

体調が元に戻るとダマリスはチップを要求してきた。このお金に対してのシビアさに一瞬悲しくなったが、考えてみればお金に対してシビアなのは当たり前のことだった。むしろ分かりやすくていい。古い日本の家庭のように、表面上ではニコニコしながら影で文句をいったり、お金はいらないと言っておきながら、「心遣い」と言う名のお金を要求してくる面倒くさいやりとりが僕は嫌いだった。

ただ、一日15CUCはキューバ人にとっては破格の値段である。外食のピザが20人民ペソ、ジュースが2ペソくらいである。15CUCは換算すると375人民ペソである。何もしなくても家に外国人を泊めるだけで一日ごとに375人民ペソはいってくるのである。家族で自炊すれば儲けは相当なものになるはずなのに、なぜ彼女はここまでお金に対してシビアになるのか不思議だったのでそれとなく尋ねてみた。すると政府公認のカーサは政府に対して多額のCUCを月ごとに払わなければいけないということだった。



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スペイン語レッスンを受けていく中で、カルメン婦人は次々にキューバ社会の話をしてくれた。

この国では国民が紙や鉛筆を手に入れるのが難しい。
この国では貯金が認められていないため定年まで働かなければならない。
この国ではテレビや新聞でしか情報を得ることが出来ない。

・・・彼女の話はリアルだった。僕は考え続けた。

今まで20日ほどキューバにいて感じたこととカルメン婦人の話を照らし合わせると、少しだけキューバのことが分かった気がした。

なぜ、通貨が二つに分けられているのか?
なぜ、ダマリスはこんなにお金に対してシビアなのか?
なぜ、インターネットがこんなにも高いのか?
なぜ、原価は一円もかかっていないのに、ここまでカーサの人間は旅行者を家に呼び込みたがるのか?


社会主義国であるからだ。

社会主義国であるがゆえに外国人には人民にはない良いサービスを高値で提供し、国のイメージを良くする、そして外貨を稼ぐ。
社会主義国であるがゆえに人民にお金が回らず、外国人からしかお金を得るチャンスがない。
社会主義国であるがゆえに国民に外国の情報を知るチャンスを与えない。
社会主義国であるがゆえに外貨を得る仕事をする人間は政府に対して外国人から得たお金を何パーセントから払わなければならない。

キューバは一見、フィリピンやインドと変わらない普通の国に見える。でも、実際は違う。多分、違う。キューバは決してユートピアではない。

だが、ダマリスもカルメン婦人も町の人々もみんな、楽しそうであった。ラテンの気質が生きていてどの人も明るい。難しいことを考えずにストレートに毎日を生きている。少なくとも日本よりは。

僕はこの考えをカルメン婦人には言わなかった。言う必要性を感じなかった。でも、なんとなく彼女は僕が考えていることを分かっている気がした。

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