メキシコのクリスマス



〜クレイジーなクリスマス。〜

寒さで起きた。

僕はさらに温かい格好をしてバスが来るのを待った。バスはすぐに出発し温かい車内で3時間ほど眠ることができた。

ケレタロはメキシコシティに比べて標高が低くなるはずなのに寒さは変わらなかった。それでもバスで眠れたせいか、それなりに体力は元に戻っていた。タクシーでセントロまで行こうとしたがお金がもったいないのでバスで行った。

前に来たときと違ってセントロには活気がなかった。人がほとんどいない。メキシコのクリスマスは日本と違って街全体が活気付くわけではなく各家庭ごとに祝うものなのだと以前に誰かが行ったのを思い出した。

まずは宿を探さなければならない。前に来たときと同じ安宿に向かった。セントロの南にあるサンタロッサという教会のすぐそばにその安宿があったことを思い出し、アラメダ公園から歩いて宿に向かった。宿のスタッフは僕のことを覚えていて「また来たのか!」というような感じで温かく迎えてくれた。

アリスとフェイスブックで連絡を取り、彼女の家にタクシーで向かった。到着したときには20時を周っていた。セントロからちょっと離れたところにあるこの家で僕は家族と2ヶ月ぶりの再会を果たした。

よくよく考えれば図々しい話だった。クリスマスと言う一大イベントに見知らぬ日本人がなぜか参加する。それでもこの家族は温かく僕を迎えてくれた。嘘もお世辞もない。ストレートに僕の存在を受け入れてくれていた。

お母さんとアリスはクリスマスのために肉料理やパスタ、そしてクリスマスケーキを作っていた。僕はとりあえずできる限り手伝い一緒に話をした。こういう一般家庭、しかもメキシコという遠い国の家庭で手伝いをしている。しかも業者を通すことなく、カウチサーフィンも使わず自力で。考えれば考えるほど意味がわからなかった。

どうやらこの家族は近くの会場のようなものを借り切って親族で集まりフィエスタを開くようだった。お昼を大して食べていなかったのでおなかが減っていたが黙っていた。この家族に対してはなぜか気を使ってしまう。メキシコ人はテンションだけは日本に比べて異常に高いけれどそのほかはアメリカとほとんど変わらない。人の性格も完全に先進国と同じでキューバのようにガンガンと話せる感じでもない。僕はなぜか外国に来て空気を読みながら会話をしていた。

この家族は所謂普通の家庭。ただテンションが異常に高いだけである。バックパッカーというものも知らなければそこまで多くの外国人と関わっているわけでもない。僕がキューバでであった家族とは根本的に違う。むしろ日本の一般家庭に近かった。初めてこの家族と会ったきはすべてが驚きで何も分からなかったけれど、キューバで2ヶ月過ごしたことで冷静にその国やその人を見れるようになっていた。

家族と一緒に会場へ向かった。かなり大きめなスペースにテーブルと椅子が並べられ、その上に料理が並べられる。そばにはテキーラや各種のお酒・ジュースが並べられ彼らはお酒を飲む気満々だった。

一人ひとりと握手をし、ベシードをして挨拶をしたがもはや意味が分からなくなっていた。誰が誰かもわからない、というよりも親族総出のメキシコ人しかいないこのイベントになぜか遠く離れた島国のアジア人が一人ぽつんとまぎれている。緊張と言うか恥ずかしいと言うか申し訳ないというかどうすればいいのか分からなくなった。

それでも彼らは一切気にしていなかった。日本人だろうと誰であろうと親族の友達はすべて受け入れる様子だった。むしろそこまで考えていないかもしれない。ただ、「ここに日本人がいるけどまぁいいか」というような感じだった。彼らはとにかく大きな声で笑っている。



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食事をし、テキーラを飲み、ゲームをやって、踊っていた。僕は、相手がゆっくりと僕に向かって話してくれれば何とか聞き取れるが現地人同士の話を聞き取れるほどスペイン語ができるわけでもない。話すのも自分の意思を伝えるくらいしかできない。どうしようもない。空気を壊してでも話すべきなのか、それとも空気を読み黙っている方がいいのか?普段全然考えないことまで考えてしまっていた。そして夜中になり、眠さとテキーラによって僕の頭は完全におかしくなっていた。

・・彼らは笑っていた。常に笑い、常に話し、常に踊っている。僕はこの慣れない環境と気温の変化と不眠とテキーラによって完全に彼らについていけなくなった。彼らはそれでも飲み続けている。

結局フィエスタが終わったのは朝5時くらいだった。終わり間際に最後に「明日もあるから!」と笑顔で言われた。



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翌日になり、またフィエスタは始まった。体調がよくなかったのでこの日はテキーラを飲むのを辞めた。彼らもさすがに疲れているらしく前日よりはテンションが低かった。それでも僕にとっては相当テンションが高かった。

テキーラがないことで僕はますますどうしていいか分からなくなった。本当はもっと楽しんで行きたいのだけれどももともと大人数が苦手な上に体調が悪い。スペイン語はおろか英語すらあたまに出てこない。どうしようもないのでとりあえず笑顔で彼らの話を聞いていた。何を言っているか分からないけれどとりあえず笑顔で聞いていた。

やはりこの日は彼らも疲れているからか、早めにフィエスタは終わった。24日、25日、、クリスマスと言う一年に一回のビッグイベントに僕はクレイジーさを味わい、そして鮮やかに体調を壊した。

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