メキシコ旅行記/メキシコでの年末年始



〜不思議の国の恐怖〜

クレイジーなクリスマスの後、僕はしばらく宿で休んでいた。

数日後、インディラは突然宿にやってきた。そういえば彼女はセントロに住んでいた。アヴリル・ラヴィーンに顔が似ている彼女とは、これまでそんなに付き合いは深くなかった。アリスの友達と言うことでフェイスブックのチャットでやりとりをして、前に来たときも数日間一緒に入ただけだった。なぜアリスと一緒にならないのかが疑問だったがインディラの「アリスはなぜか私のことが嫌いなの」という言葉を聞いてアリスが以前に「私はインディラよりもかわいくないし頭も良くない」と言っていたのを思い出した。僕は日本でも海外でも若い女の子のこういった類の話を聞くことがよくあり、そしてそれに対してあまり巻き込まれないようにしようとしながらも巻き込まれてしまう。もうそれは変えられない自分として諦めていた。

でも、このクレイジーなクリスマスに完全に打ちのめされていた僕にとって彼女の存在はありがたかった。彼女に交渉し、スペイン語のレッスンをしてもらうことを確約した。アリスともその約束はしているが、この状況でアリスが真面目にスペイン語のレッスンをしてくれることは考えにくかった。このままこの街をでることも考えていたが、インディラのスペイン語レッスンに期待して当初の予定通りこの街にもうすこしいようと考え直した。

そしてハバナで一緒だっためぐもやってきた。キューバにいた時に彼女にはケレタロのことを話していた。事前にフェイスブックでやりとりをして彼女はケレタロに来ることになっていた。

めぐとインディラと一緒にケレタロのセントロを歩き、ビールを飲んだ。ケレタロの夜景は相変わらずアトラクティブだった。昼は閑散としていて人もまばらだったが、夜になると街の様相は一気に変わった。石畳のヨーロッパコロニアルの街並み、街のいたるところに教会があり、すべての教会がイルミネーションで輝いている、街は中世ヨーロッパのランプのような街灯で幻想的に輝いていてまるで不思議の国に迷い込んだような感覚になる。教会の前の広場ではメロディアスな音楽が流れ屋台がひしめきあい、人々はみんな笑いあい、クリスマス、年末年始を祝っているようだった。このディズニーランドのようなアトラクティブな街は年末年始のシーズンに最高潮を迎えていた。

ケレタロの街並み

この異常なまでのアトラクティブさを含んだこの街で僕は2011年の最後を迎えようとしていた。

が、その前に今年最後の大仕事をしなければならなかった。



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12月31日・・やってきた。あのクレイジーなフィエスタにまた行かなければならない。僕はアリスの家族とクリスマス・そして新年を一緒に迎える約束をしていた。まず、体調が悪い。そしてこの体調の悪さは確実にあの「フィエスタ」が原因だった。あの寒さの中でのテキーラ、そして朝まで帰してくれないあの空気が僕の体調を壊した。

僕の思いはフィエスタに「行きたい」という欲求から「行かなければならない」という義務へと変わっていた。僕はめぐにあのクレイジーさを説明した。むしろこのクレイジーさを一緒に満喫してもらうために、めぐをここに呼んだ。一人ではあのフィエスタは耐えられない。日本人が二人いればまだ何とかなる。その思いだけでめぐを呼んだのは申し訳ないと思ったが、めぐはそういうことを一切気にしない人だということをキューバで一緒に行動していたときに僕は分かっていた。そして予想通りこの状況を説明した時、めぐは爆笑していた。

タクシーに乗りアリスの親戚の家に向かった。タクシーで50ペソ。そんなに遠くない場所だが、歩いていくにはちょっと遠い。帰りのタクシーがあるかが心配だったが、事前に連絡を取ったときに彼女は帰りのタクシーを呼ぶから心配いらないというようなことを言っていた。

アリスの親戚の家は住宅街の中にあった。まだ誰もきておらず、とりあえず家の庭に用意されたフィエスタの会場のような所で彼らが来るのを待った。寒い。ケレタロの街は昼はそれなりに暖かいが夜になると日本やヨーロッパの冬と同じくらい寒くなる。

家族が到着し、めぐを紹介してしばらく談笑をしながらフィエスタの準備をした。12個のブドウをコップに入れてサングリアを注ぎ、それを新年が明けると同時に、1年の願い事を思いながら食べる彼らは習慣を教えてくれ、コップにブドウを入れる作業を黙々とやっていた。

フィエスタの中、新年は明けた。みんなが抱き合い、ベシードをして、フェリスアニョヌエボ(ハッピーニューイヤー)を祝った。僕は20人以上いる親族全員と抱き合い、楽しい雰囲気の中でメキシコでの新年を迎えた。サングリアを飲み、彼らと話し、めぐも交えて楽しく過ごした。メキシコなのかこの家族だけなのかわからないが、かばんを持って街を散歩する、これが旅行に行けますようにという意味の神様へのお願いのようなものだった。が、僕とめぐはこのお願いがすでにかなっているという矛盾は当然ながら黙っていた。いずれにしても意外と楽しかった。クリスマスのフィエスタはクレイジーすぎて、かなり疲れたがこのフィエスタは楽しい。めぐがいることで僕だけに話が集中せず、僕も日本語が話せることでなんとかなっていた。もともと彼らは僕に対してものすごいいい人である。旅行者に対してここまでしてくれ、僕に気を使ってくれ、ここまで楽しい思いをさせてくれているのである。彼らに感謝した。

・・これでこのままタクシーで帰れれば完璧だった。



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「意外と楽しい」・・そう思えたのは、夜中の1時くらいまでだった。

彼らは酔っ払いすぎて訳が分からなくなっていた。僕は体調が悪いのに加え、サングリアを飲みすぎて気持ち悪くなっていた。そして段々と彼らだけの会話になる。こっちも日本人同士の会話になる。が、彼らは日本人同士で話すのを快く思っていなかった。タクシーはない。タクシーを呼んでくれると言ってくれた記憶はアルコールと共に彼らの記憶から完全に消え去っていた。

疲れとアルコールで眠さは最高潮に達している。どうしようもないのでとりあえず待った。眠気を抑えながら必死に会話の流れについていった。「なんでメキシコまで来てこんなに気を使っているんだろうね?」とめぐと話しながら笑っていた。その笑いはある一定のテンションを超えた爆笑だった。そしてすべてがどうでも良くなった。とりあえずサングリアを飲み、無駄にテンションをあげて自分の体力の限界まで頑張ってみた。笑顔で話を聞き、日本人特有のはっきりとものごとを言わない姿勢を最後まで貫いた。普段、自分は普通の日本人と違うと思っていたのがやっぱり僕は誰がどう見ても完璧に日本人だった。とりあえず終わる気配はない。

朝4時になり、彼らは帰る準備を始めた。どうやら親戚の誰かがホテルまで送ってくれるということだった。普通の乗用車になぜか若者7人が乗り込みセントロに向かった。普通の乗用車に7人も乗るというのはインドでしか経験したことはない。そしてこれからもできることなら経験したくない。そもそもなぜ僕らを送るだけなのに僕ら以外に5人も乗っているのだろう?

もう彼らは酔っ払いすぎて意味がわからなくなっているのだろう。親戚の一人が「ライター貸して」とぶっきらぼうに言った。

7人も乗っている状態でライターを出せるほど動けるわけがない。「そのくらい理解しろ。」と心の中で毒いた。というか運転しているのにタバコを吸うな。「馬鹿かお前?」と日本語で言った。半分冗談、半分本気である。外国人にここまでイラついてツッコミをいれたくなったのはインド以来である。そして車はセントロへ向かった。



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セントロにたどり着いたが初めに思ったのは「ここどこ?」ということだった。このフレーズもインド以外の国で使ったことはない。

「セントロまで送る」というのは「宿まで送る」ということではなかった。なぜか変な施設につき、ここで休んでいけといわれた。僕の体力は限界に来ていたため一刻も早く宿に帰り寝たかった。が、ここがセントロのどこか分からない。

歩いて帰ると彼らに言うと彼らは「ここから宿は遠い、タクシーを呼ぶからそれまで休んでいけ」と言った。確かにここがどこか分からない。でもセントロの中でそんなに何時間も歩くわけがない。でもメキシコとはいえ夜中に街中を歩くのは危険かもしれない。

どうするか迷いながら数歩歩くと見覚えのある教会が見えた。

これは・・・宿まで近いぞ。

こいつら嘘ついているのか?なぜ?

というかこのシチュエーション、、どこかで経験したことがある。そうだ、インドだ。

乗用車に7人乗ること、送ると言われ送らないこと、着いた場所が「ここどこ?」という状態、そして近いのに遠いと嘘をつく彼ら・・・
何から何までインドだった。段々彼らがインド人に見えてきた。あれ?ここメキシコだよな?先進国だよな?

・・疲れとインドの奇跡が起きたこの状態で僕はハイテンションになっていた。

歩いて帰ろうとするとアリスはいきなりここならマリファナできるよ。というようなこと言った。メキシコで若者がマリファナを吸うのは普通のことだというのはなんとなく知識として知っている。彼らが親の目を盗んで吸いたくなる思春期なのだということも理解できる。それでも今までずっと一緒にいた彼らが吸うのはちょっと嫌だった。

そして、ちょっとだけ彼らが怖くなった。このまま一緒にいれば何かに巻き込まれる気がする。むしろ何か悪意があるのかもしれない。今までついてきた嘘、休んでいけという言葉、考えれば考えるほど怖くなった。僕の友達の名前はアリス、アリスインワンダーランド・ここは不思議の国なのだろうか?

体力が限界にくると考え方が意味不明になる。こういうときは寝るしかない。

僕はマリファナは嫌いだと彼らに告げ、めぐと一緒に宿に帰った。彼らは僕らを引きとめたが、ほとんど無視をした。インド人だと思えば一切気を使う必要はない。





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宿はびっくりするくらい近かった。

めぐと僕は爆笑しながら宿に帰った。

・・2012年1月1日朝5時。このケレタロというディズニーランドのような街で、僕は新年一発目から不思議の国のクレイジーさに巻き込まれた。それは最高に嫌で、最高に怖く、最高に意味の分からない、そして最高に楽いものだった。

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