メキシコ旅行記



〜受動と能動〜

現地での独学は全然ベストではなかった。

インディラとアリス。僕はこの二人に先生になってもらいスペイン語を勉強するという計画を立てていた。当初の予定とかなりずれている。当初はここで学校に行って時間を補うために二人に手伝ってもらう予定だった。それがなぜか学校にはいかず、ふたりのボランティアを頼りスペイン語の修行をする。お金をかけずにスペイン語を学ぶという意地のようなものが芽生えていた。

キューバで習ったスペイン語を使い、メキシコでスペイン語をある程度マスターする。という当初の計画はクレイジーなクリスマスと年末年始により鮮やかに消え去った。

アリスとその家族からは一旦引いたことにより先生は一人だけになった。インディラとの週二回、2時間のスペイン語レッスン。彼女はスペイン語の専門家でもなければ先生でもない。ただの女子大生である。彼女から教えてもらうと言うよりは自分で何を教えてもらうかを計画しそれを実行に移す必要があった。

僕は計画を練った。どうすればスペイン語ができるようになるか?そしてどうすればここの生活を楽しいものにできるか?まず、キューバでやり残したことをやり、日本で作ったスペイン語必勝ノートを改めた。単語・文法・表現・会話に分けられた今まで習ったすべてを書きとめたノートである。

会話をする。レッスンの中でやることはこれだけだった。

会話をして聞き取れないときにゆっくり言ってもらう。自分が何を言いたかが分からないときは辞書を引く。相手が分からない単語を言った時は紙に書いてもらいはスペイン語必勝ノートに書き留める。そして後で辞書を引いて意味を書き留める。

このスペイン語必勝ノートは僕にとって救世主になる。これを使って単語を覚える。

インディラがいないときは、本を読む。ディクテーションをする。テレビを見る。宿の人と会話をする。するといつのまにかスペイン語ができるようになっている・・・・・



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・・・という完璧な計画は完璧に計画倒れし始めていた。

あれだけお世話になってきたフェイスブックとライブモカは完全に僕のスペイン語の修行の妨げになっていた。キューバでネットが使えなかった分、ネットにはまっている。レッスンは週二回しかない。そのほかの時間の使い方はネットによって完全に崩れ去っている。

幸いなことにフェイスブックにて話をしてくれるラテンアメリカ人、スペイン人が沢山いる。彼らとスペイン語でチャットをすることで文字としてのスペイン語は覚えることができ、ライティングとリーディングは練習になる。

が、こんなことは日本でもできる。

仮想空間ではなくリアルのその場を楽しく過ごすこと。今、自分の周りにいる人たちと楽しい瞬間を過ごすこと。ストイックに勉強すること。わからないことを覚えること。勉強+コミュニケーションで語学力を伸ばす。

が、こんな単純なことができない。ネットをやってしまって友達と話してしまう。リアルよりもウェブを優先させてしまっている。そもそも独学が正しいのか疑問になってくる。そして勉強しなくなる。

一旦話せばその単語はすぐに覚える。そして忘れない。単語帳で覚えた単語はなかなか覚えないくせにすぐに忘れる。言語は机上の知識ではなく実践、実際に話し、聞いて、経験しながら覚えていくものだと言うことを痛いほど感じた。これは独学にたいして致命的な事実であった。

頭の中が混乱してきた。

「何したらいいんだろう?」
「何をすればいいかはわかってる。」
「ただ、やる気が出ないだけ、なんでこんなにやる気が出ないんだろう?」
「これは環境のせいなのか?」
「メキシコは微妙に先進国でキューバよりも人に話しかけにくいからなのか?」
「メキシコにはインターネットがあるから勉強できないのか?」

・ ・・どんどんと色んなことが頭に浮かんでくる。

ある程度まで話せるようになると壁ができる。
「そもそもスペイン語にこだわりすぎている」
「何のために勉強しているのか?」
「今やっていることは正しいのか?」
「自分で納得しているのか?」
「今、何をやっているのか?」
「今、何がしたいのか?」

考えはまとまらず、実行に移せない。

人や環境のせいにしながら毎日毎日が盲目的に過ぎていく。が、そんな馬鹿げた考えをするほど自分が馬鹿にはなれないということはわかっていた。いつものようにすぐに考えはポジティブな方へ変わる。

「すべては自分のせい。」
「自分がやる気がないだけ。」
「やる気がないならやらなければいい。」
「でもやりたいからやろう」

「そうだ、やろう」

やるべきことは分かっている。周りの人と話し、必勝ノートに書いたことを覚えるだけ。一度決めたらやろう。

いまさら普通に学校には行きたくなかった。学校に行けば楽だろう。先生がプログラムを組んでくれ、先生の言うとおりにやればいいだけ。受動的な勉強。でも、それは楽しいのだろうか?

・・・キューバであれだけ刺激的なスペイン語留学をしていた自分にとっていまさら普通の学校にいったところでという思いが強くなっていた。訳の分からない意地だと言うことを認識しながらも絶対に学校には行きたくなかった。自分で創りたかった。受動的な勉強ではなく能動的な学習。これが僕にとって一つの意地になっていた。

ディズニーランドのような街で、日本人が皆無の状態の中考え続けた。

そして自分のペースでゆっくりと動き始めた。

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