メキシコでのスペイン語勉強方



〜生活〜

ケレタロに来て3週間が経過しようとしていた。クレイジーなクリスマス・ワンダーランドな年末を過ごし平穏な誕生日を迎えた。

最初は毎日毎日同じような店でタコスを食べていたが、いつの間にかこの宿のおばちゃんに一食30ペソ払ってお昼と夕ご飯を作ってもらうようになった。完全に下宿状態である。ただ、宿のおばちゃんはいい人であったがそれ以外はあまり話しができなさそうな人ばかりだった。若干、この街に長くいすぎであることを反省したが、宿代を1か月分一括で払う代わりに割引してもらっているのでその期間はここにいなければならない。

インディラとの勉強は単純に会話をするということだった。会話をしながら自分の話していることが間違えていれば指摘をしてもらい相手が言っている事が分からなければ書いてもらい辞書を引く。これを繰り返していた。

話す内容はほとんどインディラの彼氏のことだった。彼女もまた、若い女性であった。リアルの彼氏と付き合っていて、彼氏からメールがこないことが悲しいということや彼氏が自分を大切にくれていない・・などの愚痴を聞いいた。

彼女は常に彼氏に振り回されていた。中国人の彼氏についていって中国に行きたいがお父さんが反対していると言う話をした。そして若干20歳にも関わらず結婚して赤ちゃんが欲しいといっていた。僕は「まだ早いよ」と笑いながらアドバイスした。ずっとこんなかんじで男と女の関係について2時間話をし続けていた。

・・これがケレタロでの僕のスペイン語の練習だった。

インディラは遅れてくる日もあった。彼女は今テスト期間中でバイトもしている。かなり大変な状況なのだ。僕に時間を使っている場合ではないということは分かっているが連絡なしに遅れてくるのは嫌だった。宿のおばちゃん「こんなのメキシコでは当たり前だよ」と笑いながら言った。メキシコ人は確かにすべてにおいてルーズだった。

そしてインディラが来ない残り日が自分の独学の時間になる。僕はインターネットの誘惑に駆られながらもインターネットを使って少しずつ勉強していた。インディラから借りたアンデルセン童話やフェイスブックのつぶやきを辞書を引いて約したり、ディクテーションサイトを使ってスペイン語のディクテーションをしたり、NHKワールドニュースのスペイン語版やメキシコのヤフービデオニュースを聞き流したりしていた。

・・・僕は完全に語学の壁を感じていた。

語学は「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つの要素からできている。キューバで習ったことで基本的な文法は分かる。ある程度辞書を引けばなんとか文章は読める。相手がゆっくりと自分に向かって話をしてくれればなんとか理解はできる。基本的な会話はゆっくりだができる。チャット文章を書くことはできる。

が、現地人同士の会話やテレビの内容は理解できない。そしてちょっと込み入った話になると表現方法が分からない。ちょっと難しい文章は読めない。

チャットをしているときはいつもグーグル翻訳を使う。「話す」「聞く」に関しては相手が友達でない場合、突然できなくなる。それは友達はあえて自分にとって分かりやすいように話してくれているからである。

そして、独学の最大の欠点はつまらないこと。コミュニケーションができないとつまらなくなる。そして週2回しかリアルのコミュニケーションがとれないことが完全に生活をつまらなくしている。だからネットの誘惑に負ける。

メキシコはキューバと違って突然知らない人に話しかけられることはない。どこかアメリカのような先進国の要素が入っていて突然その日に仲良くなると言うことはない。宿でもそれは同じだった。宿のおばちゃんと仲がいというのは一定の壁があってのことだった。宿の住人やスタッフは優しいが、フレンドリーではない。そして宿では常にアメリカの番組を見ていてメキシコの番組はほとんど見れなかった。これはキューバとメキシコの最大の違いであり現状の最大の欠点であった。僕は週2回しかちゃんとした会話ができないということになる。

こうして
つまらない→やらない→できない→つまらない・・・の悪循環が生まれる。



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「楽しむこと忘れてない?」

セントロの中世ヨーロッパのような街並みを散歩しているときに、昔何かで読んだ本に書いてあったこの言葉を思い出した。いつもこれを忘れる。いつも勉強しなければならないと肩に力が入り、楽しむことを忘れる。

勉強は一朝一夕にやるものではない。何かができるようになるためにやることでもない。語学にしても知識にしてもそれは何かの目的のためにやるべきではない。それは自分自身の教養を高めて自分自身がいい人間になるためにやっていることなのだ。そして何よりも僕は語学が好きなのだ。コミュニケーションが取れない机上の勉強はつまらないけれど、好きなのだ。つまらないけど楽しいのだ。

何かに順番をつけて勉強すべきではないと思い直した。ケレタロでストイックに集中して勉強して、スペイン語ができるようになるという考えを捨てた。この考えは僕の旅と相反する考え方であった。スペイン語の勉強はこの旅の中で、特に中南米とスペインにいるうちは、不断の努力でデフォルトでやること。僕はテスト勉強をしているわけではない。教養を高めているのだ。そこには目的などなくただ流れるようにやるだけ。それが楽しいのだ。

それは机上の勉強だけではなく、人との会話、街を見て歩くこと。すべてに当てはまる。旅とはそういうものなのだということを思い出した。この街での生活を楽しむこと。そして毎日毎日焦らずにじっくりじっくりと勉強していく。勉強するのが疲れたらしなければいい。でも、僕は勉強し続けるだろう、なぜならば僕は勉強することが好きだからだ。

考え方が変わったことで行動が変わった。楽に、だけどじっくりと時間を取って勉強し始めた。ほとんんど週2回しか話す機会はないのでとりあえず他の日は自分の好きなようにやろうと思った。メキシコの空気を吸ってメキシコでご飯を食べてメキシコの街を歩いてメキシコ人と一緒に生活をしている。それだけでも十分なことだと思った。

そんなケレタロでの生活はもうすぐ終わろうとしていた。

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