メキシコの日本語教師



〜日本語教師〜

マリソルにはモニカという姉がいる。二人とも僕よりも年齢は高いからか、落ち着いていて、それでも本当によく笑う感じのいい姉妹だった。マリソルもモニカもお父さんもおばさんも、多くは語らないがはるばる日本から来た旅人を歓迎してくれているようだった。

モニカは語学学校で日本語を習っていた。まだ初級なので挨拶くらいしかできないが、外国人が日本語を習っていると言うこと自体が僕にとっては嬉しいことだった。



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ある日、マリソルとモニカは僕に日本人を紹介すると言った。こんな日本人旅行者が誰もこなさそうな街に日本人がいると言うことに驚いた。話を聞くと、モンテレイで日本語を教えている人のようだった。名前はこうすけさんという。

日本語教師と言う職業に僕は以前から興味を持っていた。ただ、海外で日本語を教えている人とは今までであったことがなく話は新鮮だった。僕は将来どういう職業に就くかは全然分からないけれど、彼の話を聞いて考えた。僕は日本語教師になりたくなった。

もちろん、日本語教師に簡単になれるわけではない。専門学校に行き、資格を取り、募集を見つけて面接をして現地採用・もしくは日本での採用になる。今、旅を続けていて何かができるわけではない。

そして何よりも、こんなミーハーな気分で、今日会った人の話を聞いていきなり将来の職を決めてしまうようなことはしたくなかった。でも考えすぎて行動に起こせないのも同じくらい嫌だった。

僕は2時間ほど考えた。「このまま旅を終えて一度日本に帰ってしまおうか。まだ経済的に余裕のあるうちに日本に帰って学校に行けば、またメキシコに、今度は仕事でこれるかもしれない。今日本に帰ればすぐに学校に行ける。でも旅は続けたい。経済的に裕福でなくてもいい、好きな仕事を安定させたい。でも旅は続けたい。でも好きな職に就きたい。でも旅は続けたい。」

僕は旅を続けることにした。僕はまだメキシコとキューバしか行っていない。まだ見たいものも沢山あるし話したい人も沢山いる。僕は将来に対するストーリーを決めてそれに向かって行動するということは現段階で絶対にしたくなかった。今、この場を、この旅を楽しむこと。それはたとえ目に見えなくても未来につながっているということを確信していた。

だけど、僕は自分の未来に対して一つの可能性を手に入れた。例えそれが実現できないとしてもその可能性に対して行動することによってほかの道が開けたりすることも良くある。

僕はこの可能性を常に自分の胸に秘めておくことにした。



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こうすけさんと僕とマリソルとモニカは2日間の間ずっと一緒にいた。一日目は市内観光をし、ショッピングモールでコーヒーを飲み、夕食を食べた。二日目は、こうすけさんの同僚のフィエスタに招かれて中国人の家にお邪魔した。

中国人の彼女は中華料理を作ってくれ、みんなで食事を楽しみ、ゲームをした。こうすけさんは色々とゲームを考えてくれ、みんなを盛り上げようとしていた。こういうホスピタリティーは僕ももっと見習いたかった。外国人と話をするうえで言語以上に大事なことはこういうホスピタリティーにあるのだと改めて気づいた。

外国人と一緒に、みんなで料理を盛り、みんなで食事をして、みんなで後片付けをして、みんなでゲームをして、みんなで談笑する。こういう当たり前のことが僕にとっては最高に楽しく、旅をしているという感覚になる。旅というのは僕にとって旅行ではなく外国人との交流なのだと言うことを確信した。

こういうことは旅をしていてできるようでなかなかできない。特に現地人とは難しい。バックパッカーは旅をしている時、通常、ユースホステルか安宿に泊まる。ユースホステルや安宿の主人はあくまで僕たちを「客」として扱う。「客」と「宿の主人」は当然お金のやり取りにおいての関係であり、人間としての交流という意味においてはどんなに仲がよいとしてもどうしても壁ができてしまう。そして宿以外に現地人と絡む機会はほとんどない。そうすると結局は旅人だけの交流になってしまい、現地には入れなくなる。

僕は旅人との交流のすべては否定しないし、これからも旅人との交流は続けていくが、それよりも、現地人との交流に楽しみを見出していた。そしてそのために現地語をもっと深く追求しようとしていた。そしてこの旅を続けていくにつれて、その思いは強くなっていった。

僕はもうバックパッカーや旅人ではないのかもしれないと思ったが、旅人であろうとなかろうと自分のやりたいことをやっていく姿勢に変わりはなかった。そんなどうでもいい肩書きは捨ててしまおうと思った。

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