ペルー旅行記

ペルー旅行記

〜あの遺跡まで〜

アントファガスタから12時間ほどで、チリ最北部アリカの街へ、そしてアリカから1時間ほどでペルー国境タクナの街へやってきた。到着したときは朝方だった。

ペルーは人々の格好や顔立ちが全く違っていた。アルゼンチン、ウルグアイはほぼ白人、サンチャゴに入って若干インディヘナとの混血が濃くなり、アントファガスタでインディヘナの割合が多くなり、ペルーではほとんどインディヘナしかいないようだった。これはボリビアと同じだった。約4ヶ月にして、ようやくボリビアの近くまでやってきた、これで南米南部を一周したことになる。

チリペソからソルというペルーの通貨に両替をして、バスに乗ってクスコに向かうことにした。できればこのままクスコに行きたかったが、クスコへ行くにはさらに24時間バスに乗らなければならなかった。さすがに体力の限界を感じ、途中にあるペルー第三の都市アレキパまで行くことにした。バスの値段はチリ・アルゼンチンと比べると格段に安かった。4分の1以下の値段でかなりの距離を進むことが出来た。

クスコの近くにはあの遺跡がある。僕は日本にいたときからこの遺跡だけは死ぬまでに一度は見ておきたいと思っていた。

バスは砂漠の中を走っていた。見渡す限りの砂漠。数時間すると段々と砂漠の中から山が見えてきた。ミスティー山という山らしい。

ミスティー山

8時間ほどでアレキパに到着した。あの遺跡に入るにはどうやらネットでの予約が必要だということをボリビアにいた時に日本人旅行者が言っていたのを思い出した。僕はアントファガスタで予約を試みたが、なぜかクレジットカードでエラーが出てしまい、ペルー国内の銀行で直接支払いをするしかなかった。

僕はアレキパで支払いをしようとネットでもう一度予約をしようと思ったが、ネットで色々と調べてみると、クスコから遺跡の近くの村まで列車に乗っていかなければならず、その列車も予約が必要らしかった。ペルーレイルのサイトを見てみても、クスコから直接行く列車のチケットがあるが、高い。

そもそも、あの遺跡への行き方は複雑で分かりにくい。地球の歩き方を何度も読み、ボリビアで知り合った日本人旅行者4,5人にどうやっていくのかを聞いてみた所、どうやらオリャンタイタンボというところまでバスで行き、そこから1日数本発車しているペルーレイルという列車に乗るのが安く、一般的なようだった。旅行代理店に頼む方法もあるようだが高くなりそうなので辞めた。コレクティーボを乗り継いで3時間ほど歩いて村までいく方法もあるようだが、重いバックパックを持って3時間歩くのは体力的にきつそうなので辞めた。

結局、遺跡への入場チケットを日にち指定で予約して列車の予約が取れなかったらというリスクを考えて、ネットでの予約をやめた。クスコから予約なしで村まで行き、そこで前日に予約をすれば問題ないと考えた。まさか世界的に有名なあの遺跡に入れないと言う事はないだろうと楽観視していた。

アレキパの街はスペインのコロニアル様式で中世ヨーロッパのような綺麗な街並みだったが、僕はあまりここの印象はなく、街を歩きながらずっとあの遺跡のことを考えていた。そして微妙に体調が悪い。どうも歩いていると頭が痛くなる。どうやら高山病のようだった。もう3回目ともなると症状にも慣れが出てくる。だが、あの遺跡にはどうしても万全の体調で行きたと思うと、どうしても無理できなかった。アレキパはほどほどに観光し、チリやアルゼンチンとは比べ物にならないほど安い値段で泊まれる宿で、休んでいた。

アレキパのカテドラル

頭は痛かったけど、バスに乗っているときも、アレキパを歩いているときも、高山病で休んでいるときも、頭の中はあの曲が流れていた。



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夜行バスに乗り、クスコに向かった。クスコはさらに標高が上がるが大丈夫だろうと思っていた。バスはそれなりに快適だったが、高山病の症状がどんどんと出てきた。頭がガンガンと痛くなり、嘔吐しそうになった。バスの中でうなされ、他の人は心配そうに話しかけてくれた。正露丸を飲んで眠ったら朝方には体調は戻っていた。頭は多少痛かったけれど、なんとか行動できそうなレベルの痛みだった。

クスコのターミナルに着いたときは朝6時くらいだったが、勢いに任せて村まで行くことにした。どこからオリャンタイタンボ行きのバスが出ているか分からなかったので、バスの客引きに場所を聞くと、親切に教えてくれた。ペルー人は皆親切で、見知らぬ旅人によくしてくれる。そして愛想がいい。

僕はタクシーでオリャンタイタンボ行きのコレクティーボ乗り場まで行き、コレクティーボでそこまで向かった。途中に見える景色は朝日が輝いて、微妙に雲がたなびいて、あの遺跡を思わせるようだった。あの曲がまた頭の中を駆け巡った。

オリャンタイタンボ

オリャンタイタンボで、ペルーレイルのチケットは簡単に手に入った。当日でも何の問題もなかった。だが、ペルーの物価からすると異常に高かった。クスコからオリャンタイタンボ行きのコレクティーボが300円くらいなのにオリャンタイタンボから村へ行く列車は5000円くらいした。もしかしたらバックパッカー号ではなくてビスタドーム号のエクスペディションのチケットを取ったのかもしれない、いずれにしても世界有数の観光地だからか、ぼったくりも世界有数だった。

だが、僕は絶対にここは行きたかった。ウユニ塩湖よりも、イグアスの滝よりも、この遺跡だけは南米の中で一番思い入れが強かった。あの宮崎駿のアニメを見てから、あのアニメの舞台となった場所を一目見ておきたかった。そしてここであの曲を聴きたかった。

ペルーレイル

列車は2時間ほど山の中を走っていった。この光景を日本にいた時にネットかテレビかで見たことがあった。疲れが溜まっていたせいか列車内で眠り、気づいたら列車は村についていた。

思えばこの3日間でまず12時間夜行バスに乗り、朝到着してそのまま1時間乗り合いタクシーに乗り、そのまま8時間バスに乗り、夜到着して、一泊して次の日の夜にまた12時間夜行バスに乗り、そのまま1時間コレクティーボに乗り、そして2時間列車に乗った。これが普通になるほどこの旅で何十時間もバスや車に乗っている。この旅で一生分乗り物に乗っただろう。

村のチケット売り場で次の日のチケットを買った。人数制限があると聞いていたが、前日でも余裕だった。

やっと来た。世界一思い入れのあるあの遺跡まで、旅を始めて9ヶ月目にしてようやくたどり着いた。

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