コロンビア国境
 



~ラストラン~

グアヤキルからコロンビアに向かうバスは、リマからのバスとは違い、設備が悪かった。シートは倒れず、乗客同士の間隔も狭い。疲れもあってか気持ち悪くなったが、これがラストランと思い我慢して眠った。

早朝、コロンビア国境に到着した。約5ヶ月ぶりに北半球に入った。ようやくこれで夏を迎えることができる。僕は不眠とバス酔いで気持ち悪くなっていたが、なんとかイミグレを通過し、コロンビアに入国した。

国境で、インフレが激しく1ドルが1800ペソというわけわからない状態になりながらも米ドルをコロンビアペソに両替し、ボゴタ行きのバスを探した。あと一息、このままバスに乗れば夜にはボゴタに到着できると疲れ果てながらも希望を持っていた。

だが、「ここからボゴタまでは20時間から22時間かかる」という言葉に僕は心折れ、パストという小さな街まで1時間ほどバスに乗り、一泊することにした。

パストは寒かった。なぜ北半球に入ったのにカーディガンとフリースを脱ぐことができないくらい寒いのか分からなかったが、おそらく高地なのだろうと推測した。

宿を探し、部屋のベッドに横たわった。疲れ果てて何も出来なかった。部屋は汚かったが、別にどうでも良かった。体の下に柔らかい物があり、体を180度にできることが喜びだった。僕は一切の気力をなくした。

パストという街は今まで聞いたことがなかった。当然ガイドブックはもうない。だが、ガイドブックを無くしたことで逆に、何の情報もなく街を歩きたくなっていた。ガイドブックは便利だが、その情報を鵜呑みにしやすく、その情報が基準になってしまうという欠点がある。僕はもうそういう旅の仕方はやめる時が来たと思うようになった。これまでの人生で何回も海外にでて、そろそろガイドブックなしで物事を見れるようにしたいと、この不運な境遇で気づいた。



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そんなことを考えていたらいつの間にか眠っていた。気づいたら2時間が経過していた。体力はそれなりに回復したので外に出た。今までの旅行の中で初、一人でガイドブックもカメラも背景知識も現地の友達もなく、街を歩く。ただ歩く。どういう街なのか、なにか観光名所はあるのかも全くわからない。むしろこういうことが旅なのではないかと思いながら歩いた。なんとなく見えている景色は変わった気がした。

パストは僕が予想した通り、何もないのどかな街だった。道は汚く、商店街しかない。商店街は埃だらけで中南米特有の赤レンガの街だった。だが、街を囲む山だけは綺麗だった。中米を思い出した。そういえばここは中米に近い。ニカラグアもコスタリカもエルサルバドルも近い。あの頃をちょっとだけ思い出した。

僕は今までにないくらいフラフラと歩いた。歩いて座って歩いて座ってを繰り返した。歩き始めたのが夕方だったからか、すぐに辺りは暗くなり始めた。

夜になるとこの街は姿を変えた。のどかなで寂れた景色から一転、スラム街のような雰囲気になった。娼婦や怖そうな人たちがそのへんを普通に歩いている。コロンビアにはチリやペルーにはいなかった黒人がいた。黒人・白人・メスティーソ・ムラート、混血なのか純血なのかもよくわからない。ありとあらゆる人種がいる感じがした。

僕は楽しくなり、夜の街を歩いた。治安が悪そうな感じはしたが、別にカードと多額の現金とパスポートを持って外に出なければスリや強盗にあっても問題なかった。中南米の犯罪は日本と違い、目的がはっきりしている。「金」それだけ。それを持っていない人間に対して無駄に危害は加えない。もちろん何があるかわからないが、僕はこの事実を勉強したわけではなくこの旅の中で体で覚えた。

汚いネオンが輝き、スラム街に音楽がなり、ヤンキーと娼婦がたむろしている。どこからともなくマリファナの匂いがする。誰もが想像する腐敗したラテンアメリカ。ガイドブックにはない地のラテンアメリカ。

僕は怖そうな人たちと話をした。意外にも怖そうな人たちは怖くなかった。気さくで人懐っこかった。変な物売りもいない。心身ボロボロだったが、僕は数十分くらい話をした。楽しかった。

近くのネットカフェでパソコンを開き、カリに住んでいる友達、ロレーナと話すと、家に泊めてくれるということになった。だが、家族の事情で2、3日待たなければいけなかった。僕にはもう時間がなかった。ボゴタでブラジルビザを申請して、すぐにブラジルに行かなければならない。申請から受領までの期間もわからなく、その分も余裕をみなければならない。

カリにもメデジンにもカルタヘナにも行きたかった。ロレーナにもダニエラにもディアナにも会いたかった。だが、これだけはもう、どうしようもなかった。

僕は悔しさ半分、諦め半分の気持ちで宿に帰って寝た。朝までぐっすり眠るはずだったが夜中に起きた。咳が止まらない。喘息だ。寒い地域に来ると夜中に出たりする。これまで薬を使って凌いできたが、もう薬も持っていない。どうしようもないまま眠った。



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ラストラン。朝からボゴタに向かうバスに乗った。ボゴタに着けば、もう、中南米でバスに乗ることはない。気合を入れてバスに乗った。今まで何十回と何十時間のバスに乗ってきた。たかだか20時間。そんなには苦にならない・・・はずだった。

バスは揺れた。今までいろんなバスに乗ってきたがここまで揺れたことはなかった。縦にも横にも揺れた。標高の高い山道をくねくねと曲がり、整備されていない道をガタンガタンといいながらずっと走っていく。眠れるはずもなかった。だが、どうしようもない。ただただじっと座って待っていた。こんな中南米が嫌だったが、これがラストランと考えて、気持ち悪さを抑えながら待った。

眠ったのか眠っていないのかもよくわからない。吐きそうになるのを必死に抑える。途中嗚咽がひどくなり横にいた人はビニール袋をくれた。なぜ他のコロンビア人の乗客はこの揺れに何も感じないのか不思議でしょうがなかった。本気で死ぬかと思った。

いつの間にかボゴタについていた。数えたらリマから65時間バスに乗っていた。もう一生こんなにバスに乗ることはないだろう。

ラストランは終わった。次はラストホームステイだ。

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