コロンビア旅行記
 



~ペガサス三姉妹~

早朝、ボゴタについた。僕は65時間バスに乗っていたことでフラフラになりながらもネットカフェを探した。以前からホームステイを約束していたアンヘラに連絡を取るためだった。

だが、彼女はオンラインになっていなかった。代わりにボゴタで会う約束をしていたパオラからメッセージがきた。彼女は「どこにいるの?もしよかったら家においで。」と言ってくれた。僕はとりあえず彼女の家に泊めてもらおうと思い、彼女から送ってもらった住所をノートに書きとめ、タクシーに乗った。

パストと同じようにボゴタは寒かった。なぜ北半球で真夏にもかかわらず寒いのかわからなかったが、高地にあるからなのだろうということは予想できた。タクシーの運転手と世間話をしながら、もらった住所に向かった。

フラフラで頭はまわっていなかった。とりあえず勝手に行ってくれるだろうと思い、眠ろうとしたがタクシーの運転手はこんな住所は存在しないと言い出した。僕は運転手の携帯で以前に彼女からもらった電話番号に電話した。だが、なぜか繋がらない。運転手は数字が足りないというようなことを言った。運転手はとにかくうるさかった。

フェイスブックを見ると、以前に書き留めた電話番号に5の数字が抜けていることに気づいた。もういちど正しい電話番号に電話をすると若い女性が電話に出た。パオラだ。

彼女に運転手と話してもらい、僕はタクシーで指定された場所に向かった。ノートに書き留めた住所なのかもわからない。

10分ほどで大きなスーパーマーケットについた。しばらくすると若い女性がやってきた。フェイスブックで見た顔と一緒だ。パオラだ。彼女は友だちと一緒に来た。

運転手は割増料金を請求してきた。一度ネットカフェに行って時間がかかったというのが理由だった。パオラと彼女の友達は運転手と交渉し、それは口論に発展した。5分ほど続いた罵り合いを僕は黙ってみていた。

結局、割増料金は払わなかった。運転手は捨て台詞をはいてどこかへ消えた。そして改めて二人のコロンビア人と挨拶をし、またひとつ、ネットの友達はリアルの友だちになった。

彼らの車に乗り、国道を走った。車の中には彼女のお母さんと親戚がいた。それにしてもボゴタは広い。大都会だった。日本やアメリカと何一つ変わらない。スーパーや住宅、マンションがあり普通の街だった。セントロに行けば景色も変わるのかなと思いながら僕は彼女とお母さんと話をしていた。

彼らはピクニックに行こうとしていた。僕はすでにフラフラで、ピクニックに行く余裕はなかったが、当然のように黙っていた。ただ、疲れているということだけを伝えた。すると彼らは僕を心配してくれ、無効についたらたくさん眠れるからというようなことを言った。

2時間ほど車に乗っていた。すでに体力は限界だったが、彼らの優しさに応えたかった。むしろ話をしている時のほうが気が紛れて気持ち悪さを少しだけ忘れることができた。



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ハイキング場のような所に着き、僕は一人でたたずんでいた。どうやら他の親戚は先についてバーベキューの用意をしているようだった。とりあえず全員に挨拶をした後、体力の限界を感じて用意されたテントの中で眠った。彼らは楽しそうに遊んでいたが、僕は一切空気を読まずに眠った。

少し眠っただけで頭はすっきりした気がした。彼らは食事を作ってくれティントと呼ばれるコーヒーを振る舞ってくれた。本物のコロンビアコーヒーだ。味の違いは分からないが、本場の嗜好品は僕にとって常に喜びだった。

僕はもう一度テントでねむり、気がついたらいつの間にか帰る時間になっていた。湖も山も綺麗だったが十分に堪能できる余裕はなかった。



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気がついたらパオラの家のベッドで朝まで寝ていた。車で帰った時も半分眠っているような状態だった。3日間しっかり眠れなかった疲れが一気にやってきているようだった。

次の日、僕は疲れと寒さで喉を痛めた。だが、この日は絶対にやらなければいけないことがあった。この日にブラジルビザをとり、チケットを取らなければリアルにエジプトにいけなくなるというプレッシャーのもと、僕はパオラと一緒にブラジル大使館に行き、ビザの申請をした。大使館はものすごいわかりにくいところにあったが、彼女と一緒だったため、何とかたどりつけた。

ビザ取得には7営業日かかるといわれたが、僕は強盗にあって一度受領したビザを盗まれたという事情を話し、もっとはやくしてほしいと頼んだ。ポルファボールを連発した効果があったのかは分からないが、5営業日、次の月曜日にもらえることになった。

そのままネットでチケットをとった。ボゴタ発サルバドール行き。高かったがどうしようもない。強盗にあってすべてなくしているのに日本に帰らずに済む事自体に感謝しなければならなかった。

彼女とお母さんは本当に僕によくしてくれた。体調を壊している僕を心配してくれ、温かいお茶をだしてくれた。そして彼女らは医学関係の仕事をしているため、喘息の薬を処方箋なしで買えるところを探してくれ、なんとか僕は喘息を止めることもできた。こういう優しさには最後まで慣れなかった。僕はグラシアスを連発した。

そんな多くの優しさをもらってきた中南米も、残り少なくなってきていた。

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