コロンビア・ボゴタ
 



~ボゴタ~

僕はボゴタのセントロにむかっていた。パオラの家に出国日までいたかったが、彼女もお母さんも仕事があり、何日も見知らぬ外国人を泊めている余裕はなさそうだった。アンヘラも突然仕事がはいり、ホームステイは厳しくなった。

家を出る時、彼女らは「来てくれてありがとう」と言ってくれた。これまで何十回とラテンアメリカの優しさを受け取ったが、こういう人たちの優しさに対して、申し訳なさと感謝の気持を忘れることは最後までなかった。

パオラが書いてくれた地図を頼りに、トランスミレーニオという路面電車に乗り、セントロの駅でおりた。降りた瞬間に教会が見え、一気に街の風景は滅びた中世ヨーロッパの街ようになった。

宿を探しまわり、ホステルを見つけた。体調がよくなかったので、ここのドミトリーで休んだ。ビザの発給を待つまでの期間、ボゴタでゆっくり休もうと決めた。

ボゴタは寒い上に雨がよく降った。雨はしとしとと降り続く日もあれば、スコールのように勢いよく降る日もあった。街全体が暗い雰囲気ではあったが、僕はこの街が好きになった。

ボゴタのセントロには教会があり、カテドラルがある。しかもそれが廃墟のようなボロボロで汚い。スペイン植民地時代そのものの街の造りは好ましいものだった。すくなくとも無駄に都会になっているリマよりは。

そして、コロンビア人は多種多様だった。本当に同じ街かと思うほどに、面白いくらいにいろんな人間がいた。白人・黒人・メスティーソ。ホームレス、ストリートチルドレンと対照的にスーツを来たビジネスマン、現代の若者風な人。

どこか昔のアメリカのような、でももっと汚くて雰囲気が悪くて、昼間はコロニアルな街並みが夜になるとスラム街に変化したりする。綺麗な教会のすぐ側にアメリカのスラムのような汚い落書きがある。そこからちょっと歩けば近代的なビルがある。大道芸も多く、道端は常にうるさい。アジアのような汚くてうるさい街並みに、ヨーロッパやアメリカの一流ビジネスマンが普通にあるいていたりする。とにかく混沌としていた。

特に、今までほとんど南米でみることがなかった黒人が多く、それがさらに異国感を助長させた。黒人はこの旅の中でキューバでしか出会ってなく、黒人文化は僕にとって興味を引くものだった。やはりアフリカに行くのかなと思いながら街をあるいた。ほとんど同じようなところしか歩いていないが、楽しかった。人を見ることが楽しかった。僕はメスティーソやインディヘナの文化よりも、ヨーロッパ・アフリカの文化のほうが好きなのかもしれない。

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僕はボゴタで買い物をしなければならなかった。必要最小限のものはリマで買ったが、まだ足りないものも多かった。

まずはカメラを買いに行った。宿で聞いた、サンフランシスコ教会の近くのFOTO JAPONというカメラやUSBを売っている店でカメラを買った。ようやくカメラを手にして写真を取ることができる。写真をとれることは僕にとって喜びだった。当たり前のように写真をとっていたが、カメラを失ってはじめて自分は写真を取ることが好きだと思うようになった。

数日かけて買い物をした。今まで旅行中に買い物をしたことはほとんどなかった。荷物になるだけだし、必要な物以外は買っても意味が無いと思っていた。だが、今は必要な物を買っている。意味が無いではなく本当に旅する上で必要な物を買っている。

路上に沢山の出店が出て、いろんな種類の服を売っていた。だが、そんなに安くはなく普通の店で買っても同じような値段だった。他の中南米の国と同じように、値段交渉してもそこまで値段は下がらない。

僕は路上や服屋を歩きまわり、マフラーを買い、ロングTシャツを買い、セーターを買い、ジャケットを買い、装備を万全にした。これから暑い国に行くが、いつ寒いところに行くかわからなかったので常に装備は持っていたかった。

買い物は楽しいようで楽しくなく、楽しくないようで楽しかった。買い物をしていると、日本にいた時のことを思い出した、また旅をはじめるようなわくわく感が出てきた。だが、当然のように出費はかさんだ。当たり前だが日本で買ったすべてのものをもう一度買うわけだから出費がかさまないわけがない。これは細かいところでかなりの痛手だった。だが、お金のことはあまり考えないようにした。考えれば考えるほど何も動けなくなるのが嫌だった。

だが、段々と装備が充実し、元の状態に戻るにつれて、元気は出てきた。カメラ・音楽プレイヤー・鞄・長袖・セーター・ジャケット・パソコンにつなぐマイク。旅に必要な物が揃ってきた。これでエジプトでクレジットカードとパソコンが揃えば完全復活できる。後少し頑張れば、元に戻れるという期待感があった。

ボゴタのセントロではほとんど一人で、買い物をして、歩きまわって、ご飯を食べて、過ごした。ガイドブックなしで歩きまわり、自分で街を知っていくことがなんとなく楽しかった。ボゴタは天気は良くなかったが、雰囲気はよかった。良かったと言うよりは僕に合っていた。僕はボゴタを好きになった。

ブラジルビザは無事に発給された。

そして、いつものようにこの街とも別れる時が来た。ボゴタと別れることは、今まで10ヶ月以上いたスペイン語圏と別れることと同じだった。

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