ペルー・エクアドル国境
 



〜エクアドルまでの道のり〜

チャリダーとの楽しい会話の翌日、僕はリマに向かった。先生は見送りに来なかった。そして僕はトミともあっさりと別れた。写真を撮ったときのこのアホなチャリダーの顔は面白かった。

お互いに「死ぬなよ」「俺は死なねーよ」と冗談めかして言いあった。そして最後に僕が以前から頼んでおいたヒップホップの代表的なアーティストを紙に書いて渡してくれた。彼とはキューバで「地球のどこかで会いましょう!」と言って別れたが、実際に地球のどこかで再開した。また地球のどこかで再会するだろうということをなんとなく思っていた。

ナスカからリマへのバスは夜しかなく、イカで乗り換える必要があった。ナスカからイカまで2時間ほど、イカからリマまで6時間ほどバスに乗った。リマに着いたときは夜になっていた。

リマにきたかったわけではない、リマは僕にとって特に見るものもないつまらない街だと思っていた。むしろ僕は早くコロンビアに行きたかった。コロンビアには友達がいる。それはこの中南米の旅最後の現地人のホームステイ先だった。リマからエクアドルの首都キトに向かい、そこからコロンビアの首都ボゴタに入る予定だった。

リマからはキト行きのダイレクトバスがある、、、はずだった。リマのバスターミナルはバス会社ごとに別れており、イカから乗ってきた会社では、キト方面のバスはなかった。僕はタクシーでキト方面に行くバス会社に向かったが、ここでもダイレクトバスはなく、どうやってエクアドルまで行けばいいかをその辺にいる現地人に尋ねた。ペルー人はリマからチクラーヨに行き、そこからピウラまで行き、さらにそこからエクアドル国境の街トゥンベスに行けると言った。それは途方もなく長い道のりだった。だが、行かなければならない。

僕は焦りとも取れる感情に襲われた。これまで28年間生きてきて、何かに焦ってよい結果が生まれたことなど一度もなかった。それは経験として僕の体に刻み込まれていた、だが、その体に刻みこまれたものを消すことはできなかった。僕は多くの仏教徒のように、自分自身の心を乱さずに行動することがまだまだ出来ない未熟者だった。

事実、僕には物理的に時間がなかった。あと1ヶ月以内に僕はブラジルのサルバドールに行かなければならなかった。この1ヶ月でエクアドル・コロンビア・ベネズエラを渡り、ブラジルに入国、そこから船でアマゾン川を渡る必要があった。これは1か月でやるにしてはかなりタイトに進んでいかなけばならないルートだった。クスコやナスカにいる時間をもっと短くすれば当然余裕を持って進めたはずだったが、クスコもナスカも楽しすぎた。10日間で出ると考えていたペルーはすでに2週間を経過している。早くでなければならない。

リマからチクラーヨ行きのバスで一泊し、翌日、チクラーヨ、ピウラ、トゥンベスとバスに乗り続けた。ピウラのバスターミナルでは夜発のものしかなかった。どうしようか考えていると、乗り合いバスの客引きが来て若干割高で乗り合いバス、というよりもそれは乗り合いのワゴンだった。いずれにしても幾種類ものバスに乗り、とにかく北をめざした。

ナスカからバスに乗り続けて35時間が経過していた。

疲れていた。だが、ようやくたどり着いた安堵感が疲れを消してくれた。ようやく、ようやく長い道のりを経てエクアドルに入国する、、、、、、、はずだった。

僕はこのペルー・エクアドル国境の街トゥンベスで人生最大の地獄を味わうことになった。

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