![]() 〜強盗〜トゥンベスというペルーエクアドル国境の街に着いたときは夜だった。 乗り合いバスを降りると、一人の若者が話しかけてきた。どうやらバイクタクシーの客引きのようだった。いつものように値段交渉をして、3ソルで国境に向かった。 だが、彼は一向に国境に向かう様子はなかった。明らかにスラム街といわんばかりのところをぐるぐると回っている様子だった。僕は怖くなり、お金は払うから一度セントロに戻ってほしいといった。彼は「わかったわかった」といった様子で、そのまま走り続けた。 どう考えても、国境にいく様子はない。あきらかにぐるぐると同じところを回っている。僕はこの運転手の若者を信じるしかなかった。 バイクタクシーは誰もいない原っぱについた。 すると、、、5人か6人、数を数えている余裕はなかった。実際に何人いたのかも覚えていなかった。だが、明らかに数人の若者は、僕を襲った。 ・・強盗だ。 僕はそれだけを思った。それしか思わなかった。 彼らは僕を地面に押し付け、荷物を奪い取った。途中で何か言っているようだったが、僕は何も答えずにただ、冷静に冷静に彼らが走り去っていくのを待った。強盗は焦っていた。警察に見つからないように、早く逃げたい様子だった。だが、そんなことはどうでもよかった。僕は一切の抵抗をせずにただ時が過ぎるのを待った。 気がついたとき、僕は何も持っていなかった。すべてを奪われた。パスポートも、現金も、クレジットカードも、パソコンも、カメラも。 僕は暗闇の原っぱの中で着ている服以外何もない状況になった。だが、不思議と、混乱しなかった。冷静にどうすればいいかを考えた。 少し歩くとスラム街が見える。もう、僕から取るものは何もない。僕は冷静にスラム街の住人に警察署に行きたいと告げた。スラム街の住人は僕を警察署まで連れて行ってくれた。
警察署に行き、事情を説明した。警察の人間は多くのラテンアメリカの人たちと同じように日本語はおろか、英語も理解できない人間達だった。このときほど自分がスペイン語を勉強していてよかったと思ったことはなかった。 強盗にあったこと、現金一円も持っていないということ、パスポートも取られたということ、僕は状況を詳しく話した。署長だと思われる人間はある程度僕の言っていることを理解し、僕に協力的な姿勢を見せてくれた。 幸いにも警察署ではインターネットが使えた。僕はフェイスブックに自分が強盗にあったこと、今は警察に保護されているということを伝えた。そして親にメールを送り、すべてのクレジットカードを止めた。クレジットカードが使われている形跡はなかった。 これで被害は最小限に食い止められた。 後はリマに戻ってパスポートを再発行して、カード会社に連絡してクレジットカードを再発行して・・・・僕は異常なまでに冷静だった。悲しいとか悔しいとか辛いとか、、、そういったことはどうでもよかった。ここで頭が混乱しては何もできない。冷静に次に何をやってその後何をやって・・・ということを考えていた。今、僕は何も持っていない。人生最大の苦難だった。だが、苦難であればあるほど悩んでいる余裕はなかった。如何に物事を対処して、元の状態に戻るかを頭の中にフローチャートを描きながら考えていた。 その後、パソコンを使って何をしたかは覚えていなかった。だが、フェイスブックというコンピュータ上の中に、僕を心配してくれる人たちは確かにいた。ラテンアメリカの友人たちはショックを受けているようだった。日本人の友人も僕に冷静にアドバイスをくれた。そして僕の一番大切な人はあきらかに誰よりも僕を心配してくれていた。申し訳なかった。すべての友人関係に申し訳なく思い、フェイスブックのチャットで話しかけてくれたすべての人に心のそこから謝った。 段々とわけがわからなくなってきた。自分で自分の感情を言葉では表現できなくなった。警察署に泊まった。警察署のベッドは蚊がたくさん飛んでいてダニもいた。毛布も枕もなかった。起きて部屋から出ようとすると警察官はなぜか怒っていた。自分が囚人のようになった気分になった。 バスタオルをベッドにしきたかった。歯を磨きたかった。髪の毛を洗いたかった。だが、そんな当たり前のことは夢のように遠かった。 眠れなかった。体がかゆかったのもあるが、それ以上に、徐々にこみ上げてくる絶望感のためだった TOP NEXT |