ボリビア、ラパスで高山病



〜高山病〜

ボリビアの首都ラパスには朝方に到着した。

ラパスは標高4000メートル近く。世界一標高の高い首都である。普通の街が富士山よりも高い所にある。空港を降り立った瞬間にアンデス山脈の一部が見えてテンションが上がった。

ラパスの街は大きなすり鉢状になっていて、傾斜の一番上に空港がある。そこから僕はコレクティーボと呼ばれる乗り合いタクシーにのった。なだらかな傾斜を下り、すり鉢の底にある市内へと進んでいく。

ラパスの中心部にたどり着き、僕は宿へむかった。
宿は欧米人の旅行客がほとんどで、どこか欧米のユースホステルと同じような雰囲気がした。とりあえず友達にラパスに着いたとメールを送り、宿にいた日本人と10分程度会話をして僕はベッドに向かった。意識があまりなかった。午後12時を周っており、お昼ごはんを食べなければと思ったが、とりあえず休もうと思った。

ベッドに入ると強烈な眠気と頭痛が襲った。
やっぱり、、、、、わかってはいたけど、、、、、これは、、、、、、高山病だ。

僕はベッドに倒れこんだ。



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気づいたのは次の日の午後14時だった。約24時間眠っていた。ほとんど記憶がない。起きてご飯を食べにフラフラになりながら安食堂を探した記憶、夜、宿の中のクラブがうるさかった記憶だけはある。うるさかったけれどもイライラはしなかった。ただ、ただ、眠り続けた。

起きても何も出来なかった。動けない。体がだるく頭が痛い。息がすぐに上がる。歩くのが辛い。何とか食料だけは確保して水を大量に飲んだ。とりあえず高度に順応しなければならない。今、無理して動くわけには行かない。

メキシコシティに到着したときも軽い高山病になった。だが、メキシコシティは標高約2000メートル、ラパスは標高約4000メートル。単純計算で2倍空気が薄くなり、体の負担も重くなる。メキシコシティでの高山病など軽いものだった。あの時は辛いと思ったが、あんなものを高山病と言っていたことが恥ずかしいと思えるほどの激しいだるさと頭痛が襲ってくる。

僕はコスタリカで買った高山病の薬を飲み、ドミトリーのベッドに横たわった。高山病のときに横たわると呼吸数が減るのでなるべく起きているようにと何かに書いてあったが構わず寝転んだ。時々屋上にあるコカ茶を飲み、ラパスの素晴らしい景色を見ながら座っていたが意識があるかないかギリギリの状態だったためすぐにベッドに戻った。

おかしいくらいに尿がでる。大量に水を飲んでいるからなのか、これも高山病の症状なのか分からなかったが、何回も何回もトイレに行った。水分がなくなるのが怖くて、その度に大量に水を飲んだ。

完全にやられた。分かってはいたけれど、これが高山病か・・・

薬のおかげなのかは分からないが、こんな状態になっても不思議と「こんなものか」」と思っていた。しばらく安静にしていれば治る。とネットにも本にも書いてある。理由は分からないけれど何とかなる気がしていた。これで眠れば明日の朝には回復しているはず。

・・・今度は夜眠れなくなった。前日、前々日に寝すぎたからか、もう、いつが前日でいつが前々日なのかも分からなくなった。

いつもと同じようにこの宿は夜うるさくなる。欧米人が併設されているクラブで大音量の音楽をかけて踊って騒いでいる。このうるささがさらに眠れなさを助長させた。前日は眠れたからどうでもよかったが眠れないときの大音量の音楽は人をイライラさせる。

もうどうしようもない。眠れない中で耳栓をしながら、トイレに何回も行きながら、宿で買った2Lの水と屋上に用意されているコカ茶を飲みながら、横になって朝を待った。



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いつ朝になったかはわからない。寝たのか寝てないのかも分からない。

前日に比べて体は軽くなった。なんとか動ける。
僕はまず宿を出た。毎晩このうるさい夜は耐えられない。新しい宿に移動し、僕はラパスを歩き回った。

ラパスはすり鉢状に作られている。

すり鉢の底には高所得者が住み、近代的な高層ビルが並ぶ。
その上にはスペイン植民地時代のコロニアルな教会やカテドラルが並ぶ。
その上には赤レンガの民家が無数に並んでいる。

セントロと呼ばれる旅行者が多く集まる所はすり鉢の底の部分であり、ここからどこを見渡しても赤レンガの民家が無数に並んでいるのが見える。自分がすり鉢の底にいて無数の赤レンガの民家に囲まれていることを実感できる。

僕はラパス市街を一望できるライカコタの丘に登った。
現地人の家族がピクニックに来ていて平和だった。ここから見る赤レンガの民家は表現できないほど綺麗だった。遠くに雲に隠れたアンデス山脈も見える。

何もかもがどうでもよくなるほど素晴らしかった。この景色を見ずして死んでいたらと思うと怖くなるくらいに素晴らしかった。僕の頭の中はバキバキに決まった。アンデスの景色はネパールのポカラで見たヒマラヤの景色を一瞬にして超えた。

僕は旅をしていてどこが一番良かったと人に聞かれたときにいつも困っていたが、ボリビアのラパスの風景が、僕が今まで旅をした40数カ国と100数個の街の中で一番良いと断言できることで、これからこの質問に困ることはなくなる。

僕は何回も何回も携帯のカメラで写真を撮った。でも、取った写真を見るとたいしたことがない。写真ではこの良さはわからないと思うと悔しくなった。ラパスの素晴らしさを理解するにはラパスに来るしかない。



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宿は静かだった。欧米人がマリファナを吸っていたり、泥棒宿という噂があったりとあまりいい宿ではなかったが静かに眠れれば何でもよかった。僕はテンションが上がった状態で宿に戻り眠った。すると、急に激しい頭痛が襲い、トイレで胃の中のものをすべて吐いた。頭が痛い。全身がだるい。胃がキリキリとして正露丸を飲んでも効かない。無理をして歩き回ったせいなのかはわからないが、まだ高山病は治っていなかった。寝るしかないがこういうときに眠れなくなる。

僕は怖くなった。頭や体が痛いことそのものよりも、このまま動けなくなるのが怖かった。日本にちょっとだけ帰りたくなった。ボリビアの現地の食事をして吐いたことで日本食が食べたくなった。松屋や吉野家のお新香とご飯と味噌汁が食べたくなった。明日も同じ症状だったらちょっと高級なホテルに泊まって日本食レストランに行こうと決めた。明後日も同じ症状だったら病院に行こうと決めた。次の日も同じ症状だったら標高の低い所に行こうと決めた。でも、それは絶対にしたくなかった。理由は特にない。

でも、超えなければならない。これを超えることでまた強くなると確信しながらベッドの上で朝が来るのを待った。

ラパスは多くの国で多くの景色や建物を見て旅慣れてしまった僕に素晴らしい景色と高山病という天国と地獄を同時に味合わせてくれた。

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