パラグアイのアスンシオンでブラジルビザ

南米旅行記/パラグアイ

〜アスンシオン〜

明らかにATMがなさそうな国境で1グアラニーも持っていなかったが、なんとなく行ける気がした。とりあえずバスに乗り込んで運転手に「後でアスンシオンに着いたらATMでお金を降ろして払うから」とだけ言った。

OKだったのかよくわからないがとりあえずそのままバスに乗っていた。これで駄目だったらどうしようもない。車でも1時間くらいかかるところに歩いていくのは嫌だった。

そのままどこかよくわからないところで降ろされた。なぜかお金も払わなかった。そのままATMを探した。

アスンシオンは暑かった。街にあった温度計を見ると30度を超えている。2日前まで氷点下の世界で生きていたのにいきなり真夏である。この温度変化は本当にやめてほしい。といっても長期で海外旅行をしているのに温度変化ごときでぐだぐだ文句を言える状況ではない。

ATMが見つからない。アーケードの中を20分ほど歩きまわってようやく一つATMを見つけたが、壊れていて動かない。何なんだこの国は?さらに探し回って見つけるがここも壊れている。結局探し回って3つ目のATMでお金を降ろすことができた。

パラグアイはインフレが進んでいる国である。1ドルが4000グアラニー。単位が多いとスペイン語がわからなくなる。とりあえずとりあえず150000グアラニー、米ドルで40ドルくらい降ろした。お札が沢山出てくる。もはや単位が多すぎて訳がわからない。

そしてそのお金でお昼ご飯を食べた。すでに午後2時を周っていた。朝から何も食べていない。10000グアラニーでエンパナーダとコーラを買った。おばちゃんは何故かお釣りを多めにくれた。僕が多すぎると言うとおばちゃんはこれで合っていると言った。

「あれ?一桁多い。これ10000グアラニー札じゃない。100000グアラニー札だ。ってことは、、、、間違えた。ATMで150000グアラニーじゃなくて1500000グアラニー降ろした。ってことは、、、、400ドルくらい降ろした。え?400ドル?」

僕は混乱した。この国で絶対に400ドルも使わない。どうしようかと一瞬考えたが多分、次に行く国の国境で両替できるだろうと思って特に気にしなかった。

とりあえず人に道を聞いてバスでセントロに向かい、宿に行った。中南米の街はどこもわかりやすい。かならずセントロがあって、セントロの中心にカテドラルがあり広場がある。アスンシオンも同様だった。バスは3000グアラニー、宿が50000グアラニーだった。どうやって1500000グアラニーを使い切るのだろう?

アスンシオンのセントロはスラム街のようになっていた。とりあえず人が少ない。何となく他の中南米の街よりも寂れている感じがする。かといって治安が悪そうにも見えない。歩いている数少ない人々は普通な感じがした。それにしても暑い。そして蚊に刺されてかゆい。ボリビアと真反対の気候だった。



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アスンシオンでブラジルビザをとる必要があった。エンカルナシオンでとるのが一般的らしいが行くのが面倒だった。また人に道を聞きながらブラジル領事館に向かった。ブラジル領事館でビザの取り方を聞くと、パスポート、写真、英文記載の銀行の残高証明書、ブラジルの往復航空券かバスのチケット、が必要と言われた。

「パスポートと写真はいいとして、ブラジルのバスチケットってどうやってパラグアイでとるんだ?そしてバスチケット取ったら日程が決まってしまうだろ。さらに英文の残高証明書なんて絶対無理だろ。うん、どっちにしても絶対無理。」僕は心の中でツッコミを入れた。

「エンカルナシオンで取ろう。エンカルナシオンで同じことを言われたら、どうにかしてネットでチケットを偽造して、日本の銀行に電話して英文の残高証明書の取り方を聞いてでも用意する。でも、そこまでしてブラジル行きたいか?」僕は疑問になった。

パラグアイでも現地人との交流が出来そうだった。メキシコのモンテレイであった日本人のこうすけさんが昔JICAで働いていたときの友達を紹介してくれることになっていた。僕はこうすけさんからもらったメールに書いてある電話番号に電話してイタグアという街に住んでいるパラグアイ人の家に行くことになった。



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この二つのやるべきことを終えた僕はアスンシオンのスラム街で自堕落な生活を送った。何も考えずに好き勝手に過ごした。いろんなことにお金を使い、肉を好きなだけ食べてコーラを好きなだけ飲んで好きなだけ寝た。パラグアイにはほとんど肉と炭水化物しか食べ物がなく、飲み物もコーラがほとんどだった。ここでバランスのいい食事をとることは不可能だった。せっかくだからこの国の食事に入り込んでみようと思った。肉・コーラの日々を4日ほど続けた。

今まで大なり小なり色んなことを気にしていた。お金のことも何かをやらなければいけないということも、生活をちゃんとしなければいけないということも。多くのことを自律してきた。それが出来たりできなかったりで色々と考えた。そんな自分をこの4日間だけ開放した。そんな中、ブレンダやディアンナという人たちにも出合った。この4日間、この旅行期間で初めての何も考えない日々だった。このスラムのような街でただただ自堕落に、好き勝手にすごした。

自堕落な生活は4日で飽きた。そしてホームステイをするためにイタグアへ向かった。

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