![]() 〜NHKによる郷愁の念と旅の不満〜僕はめぐと再開し部屋をシェアすることにした。 僕らが泊まったバスターミナルの近くの宿はめちゃくちゃ汚かった。天井の表面ははがれ、トイレはきちんと掃除されてなく、部屋の壁は黒ずんでいる。天井についているファンはちゃんと動かなかった。が、これくらいの汚さは中米でも見てきた。今までも東南アジアやインドで見てきた。何よりも問題なのはこの汚さ、このクオリティーで10ドル位することだった。このクオリティーなら3ドルくらいにして欲しかった。 ![]() パラグアイはいい所も悪い所も中米と似ている。人がフレンドリーで親切な所、街並みが田舎っぽい所、街が発展してなく、近代的なビルがあまり近代的でない所、食事が肉とコーラ中心な所、そして発展途上国なのに物価が安くない所。最後が一番問題だった。アスンシオンもそうだったが、何故かレストランと宿の物価が高い。宿は12ドルくらいしてレストランでおなか一杯食べると4〜5ドル位する。ラテンアメリカの先進国であるはずのメキシコよりも高く、同じような経済状態のボリビアの方が圧倒的に物価が安いのにクオリティーが高い。僕はパラグアイの人々はどこの国の人々よりもフレンドリーで親切で大好きだが、宿のクオリティーと値段だけは大嫌いだった。 最後の夜にレストランでビールを飲み、肉を食べた。パラグアイのレストランには肉しか置いていない。リアルに肉と芋とコーラと酒しか置いていない。これはどこに行っても同じだった。 僕はビール2杯ですぐに酔っ払った。そして酔っ払っているにもかかわらずビールを飲み続けた。何を話したのかあんまり覚えていないが、めぐの将来の話を聞き、長期旅行をするということについて話し合った。旅とは何なのか?旅って何でするのかという明らかに答えが出ず、そして明らかに無駄なことをべらべらべらべらと話をした。 宿に帰って、めぐはラーメンを作ってくれた。自称「冒険家見習い」である彼女は自前のガスコンロを持っていた。ありがたくラーメンをいただき、僕らは部屋にあったテレビでNHKを見た。シウダーデルエステは日系移民の街、イグアス居住区が近くにあるためか、テレビにNHKが入る。 NHKでニュースを見て、連続テレビ小説を見た。何かの番組で童謡が聞こえてきた。僕は本気で日本に帰りたくなった。この旅行が始まってから6ヶ月。今までラテンアメリカのいい人たちに恵まれてきた。色んなことをしてもらい色々なものをもらった。僕はラテンアメリカが大好きになった。その気持ちは変わらない。でも、ちょっと疲れが出てきた。肉体的な疲れと共に、海外にいる、そして移動しているという常にある緊張感、それも治安が悪いとされるラテンアメリカ。 シャワーの温度調節が出来ずどんなに暑くても寒くてもエアコンがない、ゴキブリや得体の知れない虫やイモリがごく普通に出る、食事が常に肉・卵・パン。米の味も日本と違う。そして常にスペイン語、何をするにもスペイン語で話をしなければならない。教会もカテドラルも見飽きた。どこに行っても教会があってカテドラルがあってアルファベットが並んでいる。ラテンアメリカはどこの街も大して見た目が変わらない。好奇心を失いかけている、悪く言えば、飽きてきている。 NHKの番組によって日本の懐かしい感覚がよみがえる。郷愁の念のような子供の頃を思い出させるような上手く表現できないけれど物悲しいような切ないような感覚。日本に帰りたい。
・・・僕の旅の不満は爆発した。酔っ払っていることもあり、めぐに旅の不満をすべてぶちまけた。半分冗談でうるさいくらいに大きな声で話した。 スペイン語も英語も話したくない
会話中アッハーン?っていうリアクション取りたくない ・・・・めぐは笑って話を聞いてくれた。旅中に会うのはこれが最後なのにこんなんで本気で申し訳ないと思って謝りたくなった。でも、もう話を止められなかった。 今日だけ、今日だけは爆発したかった。今まで不満があっても出来るだけポジティブに考えてきた。ちょっとくらい本音で弱音を吐きたかった。何でもかんでもポジティブに考えて溜め込むよりはどこかのタイミングで今まで溜まった不満を爆発させたかった。 数日経てばまた元に戻る。また旅が大好きになる。僕は自分が気まぐれだと言うことを自分でわかっていた。めぐもブログで同じようなことを書いていたが本当にその通りだと思った。こんなことを言いながらも僕はラテンアメリカが大好きだ。フォローでも言い訳でもなく、僕はラテンアメリカが大好きだ。 旅行が始まって半年を迎えた。僕は本気で貧乏旅行が大好きだ。今、こうやって旅が出来ていることに本気で喜びを感じている。が、この旅が終わってもう一回長期で貧乏旅行をやれと言われたら全力で拒否するだろう。
次の日、僕はパトリシアと約束した恵まれない子供たちにあげるノートと鉛筆を買い、イタグアに戻るためにバスターミナルに向かった。彼女はブラジルとパラグアイの国境・フォスドイグアス行きののバスに乗ろうとしていた。バスターミナルで少しだけ時間があったので恐らく日系人向けだと思われる辛ラーメンを食べながら、僕らは少しだけ話をしていた。 旅中最後の別れになるにもかかわらず、あっさりと別れた。この人はこういう人だからしょうがない、まぁいいかと思った。今まで話を聞いてもらってありがとうございました。あと、色んな物資ありがとうございました。 ・・・僕はバスに乗り込んでイタグアに帰った。 TOP NEXT |