南米旅行記

バックパッカーの南米旅行記。パラグアイにて今後のルーティングを考えました。ブラジルビザをどこで取るのか、ブラジルへは行くのか、ウルグアイへは行くのか、アルゼンチンにどうやっていくのか、でも
イグアスの滝だけは絶対みたい。ベネズエラ経由でブラジルに入るか、コロンビアとベネズエラの国境は開いているのか、南米大陸は広いです。

~テレレとマテ茶とルーティング~

シウダーデルエステから帰る途中、雨が降ってきた。雨は段々と大降りになっていった。僕はバスの中で段々と物悲しくなってきた。NHKを見て郷愁の念に駆られているのを雨が助長させた。僕の中に上手く表現できない寂しい気持ちがあった。

ホームステイ先に帰ったときにはすでに夜になっていた。この日はセサルの誕生日だった。僕はこのためにどうしてもこの日に帰ろうとしていた。友達が来ているらしく子供たちが家の中で遊んでいる。僕は日本から持ってきた折り紙を渡した。子供たちは喜びはしゃいでいる。

誕生日パーティーはすでにお昼に終わっていたらしく夜は簡単な食事会のような感じだった。親族が集まり外で大きな肉を焼いていた。パラグアイ人は本当に肉が好きだ。僕はパラグアイで肉を食べ続けていて、少しだけ野菜中心の食生活がしたかったが、それは当然黙っていた。肉を食べる分には問題ない、ただ、それが何日も何十日も続くと体がきつくなる。ベジタリアンになりたかったが、この国で、この大陸でベジタリアンになるのはかなり難しかった。

ここでの生活は本当に何もしなかった。ゆったりゆったりとしている生活。そして今までと違うのはここの家族はそこまで僕を気にかけていなかった。パトリシアは風邪をこじらせほとんど話が出来ない状態になっていた。

だが、気にかけていないような感じがしながらも、僕はこの家族の優しさは身にしみてわかっていた。お母さんは当たり前のように昼食と夕食を用意してくれ、色々と話をしてくれた。僕は細かい所で自分を気遣ってくれていることに気づいていた。何かしたいと思って自分に出来る限りの手伝いをしたが、あまり役に立っていないようだった。

何もすることがない場所で僕は久しぶりにのんびりと過ごした。特に何もせずテレビを見たり、お母さんと世間話をしたり、散歩したり、久しぶりにスペイン語の勉強をしたり、地球の歩き方を読んだり、主だったことは何もしていない。僕はパラグアイ名物のテレレという冷えたマテ茶を飲みながらゆったりしたと毎日を過ごした。アスンシオンのように荒れていた生活とは違った意味の、というよりも真逆の、のほほんとした田舎町の生活だった。

僕は子供が苦手だったが、セサルとここの近所の子供たちは僕と遊びたいようだった。僕は柄にもなく子供たちとサッカーをして遊んだ。日本にいたとき、自分が持っているパラグアイのイメージはサッカーしかなかった。田舎の村で子供が裸足でサッカーボールを蹴って叫びながらはしゃいでいる姿はまさに自分がイメージしていたパラグアイの光景そのものだった。そしてまさか自分がそれに参加して一緒になって子供とサッカーをするとは思いもよらなかった。昔思い描いていた国際ボランティアのイメージそのものだった。昔、発展途上国の田舎で子供と遊ぶようなボランティアを夢見ていたことがあった。それは結局失敗に終わったが、今ここでその夢を果たした。人間、いつどこで何があるかわからない。

この田舎町で、僕は子供の笑顔とお母さんの見えない優しさというプライスレスな物を受け取った。



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何もない場所で、僕は今後のルーティングを考えた。僕はアルゼンチンのマル・デル・プラタという街を目指していた。ブエノスアイレスからバスで5時間ほど南へ行ったところにあるほとんど旅行者に知られていない街。ここが、僕にとって南米旅行の前半を締めくくる場所となる。

このままエンカルナシオンでブラジルビザを取り、一度アルゼンチンに出てからイグアスの滝へ行き、そのままブラジルのリオデジャネイロ、サンパウロ、ポルトアレーグレ、ウルグアイのモンテビデオ経由で、アルゼンチンのブエノスアイレスへ行く流れを考えていた。

だが、あまりにも時間がなかった。ボリビアにもパラグアイにもここまで長く滞在する予定はなかった。さくっとラパスを見てウユニを見てちょろっとアスンシオンに行ってすぐにブラジルに抜ける予定だった。当初の予定よりもかなりおしている。出来るだけ早くマル・デル・プラタに行きたい。でも、イグアスの滝だけは絶対に見たい。

如何に安く、そして楽しいルートで旅行できるかが、長期旅行者にとって大事な点であるが、僕はこのルーティングという作業がものすごく下手で、変に高い航空券を取ったり、無駄に遠回りをしたりしてしまっていた。そしてそのため出費もかさんでいた。なぜこうなるのかよくわからないが、普通の旅行者とちょっと違う現地人目線での旅をしているからなのかもしれない。そしてなぜ自由旅行でこんなにも日程を考えて、時間がおすのか不思議だったがこうやってルーティングを考えているのは下手なりに楽しいものだった。

そんな中、この家を紹介してくれたこうすけさんから家に電話が来た。こうすけさんはカルガタウという田舎町の日系一世のおじいさんを紹介してくれた。というよりも以前から紹介してくれていたが、行くつもりがなかった所に行くことにした。時間がないと言っているが、現地人目線で色々な所へ行き、色々な経験が出来るのは喜ばしいことだった。

ただ、ここに行くとエンカルナシオンへはかなり遠回りになる。エンカルナシオンへ行かなければブラジルビザは取れない。アルゼンチン側のイグアスで取れなくもないだろうが、おそらく往復航空券と英文残高証明書が必要になる。時間もない、そしてブラジルは物価が高い、、、、長距離バスで1万円位するという話をどこかで聞いていた。

段々とブラジルにあまり興味がなくなってきた。本当にブラジルに行きたければどんなに時間がなくても、どんなにビザが大変でも、どんなに物価が高くても行くはず。「行けない行けない」というのは結局「行きたくない」言い訳であることに気づいた。

ここで「ブラジル行かない案」が出てきた。僕はまたルーティングを一からやり直した。

1案
プエルトイグアスで偽造航空券と自分のシティバンクの残高証明を提出してブラジルビザを取る。
1-1サンパウロの友達が家に泊めてくれる場合
イグアス→サンパウロ→ポルトアレーグレ→モンテビデオ→ブエノスアイレス→マル・デル・プラタ

1―2友達の家に泊まるのが無理な場合
イグアス→ポルトアレーグレ→モンテビデオ→ブエノスアイレス→マル・デル・プラタ

1―3友達の家に泊まるのが無理でさらにイグアスからポルトアレーグレのバス代があまりにも高い場合。
イグアス→ブエノスアイレス→マル・デル・プラタ(ブラジルはカット)

ブラジルをカットした場合
2案
ブラジルは行かない。
⇒イグアスからアルゼンチン、そのままコロンビアまで北上、
⇒コロンビアからヨーロッパ抜け。

3案
コロンビアに行ったときコロンビアからベネズエラ経由でブラジルに行く。
⇒イグアスからアルゼンチン、そのままコロンビアまで北上
ボゴタ→カラカス→サンタアレン→ボアビスタ→マナウス→ベレン
⇒まさかのブラジルからヨーロッパ抜け。

・・・考えすぎて頭が痛くなった。

段々と考えるのが面倒になってきた。とりあえずカラガタウに向かってからまた考えようと思い、一旦考えるのを辞めた。なるようになる。ここまで考えておいて矛盾するようだけど、なるようになる流れに逆らわずに、楽にやろうと思った。

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