ボリビア旅行記/ラパス

ボリビア旅行記/ラパス

〜再開〜

昨日に比べて多少体調は良くなった。

僕はある人と再会するためにラパスのセントロにあるサンフランシスコ寺院へ向かった。
この教会の中で10分ほど待っていると、そのある人はやってきた。

「何やってんの?」僕はぶっきらぼうでありながら笑顔でそう言うと、よくわからないが彼女は爆笑していた。

僕は2ヶ月半ぶりに日本人の旅人との再会を果たした。

めぐ・・ハバナでキューバ人と共に一緒に行動し、ケレタロでメキシコ人のフィエスタで暗黒の年末年始を共に戦った旅人である。キューバでいきなり話しかけられ、はじめはそんなに仲良くなかったが、ケレタロで仲良くなり、その後、フェイスブックでチャットを何回もすることで、仲良くなった。

アメリカに1年留学、ドイツに1年留学、英語もドイツ語も話せる才女、でも、時々話している日本語の意味がわからない。そして27歳なのに時々ギャル語を話す。中国から旅を始めて10ヶ月以上経過しているのにまだ旅を続けようとしている格好いい旅人。でも、お金がなくて旅を続けれるか微妙。27歳女子なのに格好が汚い。オシャレ感ゼロ。緑のジャンパーと汚いジーンズをはいて、最強に意味がわからないグラサンをしている。でもたまにかわいい格好をする・・・のがちょっとむかつく。完全に自由人。自由人過ぎる自由人。

僕らの旅の感覚が似ていて、常に対する意見や持論が一致しているため、僕は多少むかつきながらも、彼女が大好きで、彼女への評価はかなり高かった。。特に男女として仲がいいというわけではないが僕は彼女と彼女の旅に対するスタンスを僕は評価していた。



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僕らは日本人バックパッカーに嫌気がさしていた。海外に来て現地人とも関わらず日本人宿に泊まり、観光をしているのか沈没をしているのかよくわからず、なおかつ何故か無駄にプライドが高い日本人バックパッカーをどこか馬鹿にしていた。

「旅行者ではなく、常に現地人と関わりたい」これが僕らの合言葉だった。
ただ、旅行をするわけではなく、バックパッカー同士だけで交流を図るのではなく、あくまで現地人と同じように食事をして、現地人と同じバスに乗り、現地人の家で現地人と共に暮らす。これを旅のスタンスとしているところが僕と彼女は完全に一致しており、その通りに旅を進めていた。僕はライブモカを使い、語学という観点から現地人の家に泊まり、彼女はカウチサーフィンを使い、生活という観点から現地人と関わることを旅の楽しみとしていた。

彼女とはケレタロにいた時によく中米の話をしていた。
中米は危険、中米は治安が悪い、中米は面白くない、中米は強盗が出る。中米は行く意味がない。なのに中米の中でグァテマラだけはいい所。なぜならば日本人が沢山いるから・・・・これは日本人バックパッカーの間で噂となって広まり、みんなが中米を避けるようになっている。

だったら確かめよう。本当に中米は面白くないのか?本当に中米には強盗がでるのか?本当に中米は行く意味がないのか?これも僕らの意見だった。

「っていうかうちらバックパッカーじゃなくてよくね!?世界一周とかどうもよくね!?持ってるのバックパックじゃないし。リュックサック持ってるからリュックサッカーでいいんじゃね!?」と彼女が言うと僕は爆笑した。



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僕らはセントロにあるアレキサンダーカフェでチーズケーキとレモンパイを食べ、無駄にぐちゃぐちゃとおしゃべりをしながら爆笑していた。こんな風に爆笑したのは久しぶりだった。高山病で心細かった僕にとって日本人の信頼できる友達と会えたことは本当に嬉しかった。

そして無駄に普通旅行者が絶対に行かないビルに行き、ビルの踊り場からテンション高めで写真を撮った。ここは明らか内オフィスビルでボリビア人のビジネスマンが働いている、ビルだった。ここに意味のわからない二人のハポネスとハポネサがちょっとテンション高めでうろうろしている。ボリビア人ビジネスマンは明らかに白い目で僕らを見ていたが、気にせずに行動していた。完全に日本の恥をさらしていた。

ラパス

「うーん、なんか、景色がよく見えない」・・と僕は言ってエルミラドールという展望台へ向かった。泥棒市と呼ばれる旅行者に有名な市場から車で数分上に上ったところにエルミラドールはある。なぜかゲバラ像があり、もうちょっと行った所に、キリスト像があった。この展望台からの景色だと手前側にある家に邪魔されて上手く見えない。僕は妥協したくなかった。僕はめぐにもっとよく見える所を探そうといい、二人でもっと景色が良く見える所を探した。展望台をちょっと下った所で絶好の場所を見つけた。

ラパス

ここに来るとラパスはすり鉢状に作られているのがよくわかる。僕はすり鉢の上部にいて下部を見渡している。遠くにはアンデス山脈のイリマニ山とワイナポトシが良く見える。

ラパス

ここで、めぐとどうでもいい話とちょっといい話をしながら2時間ほどたたずんでいた。信頼できる日本人バックパッカーと二人でこれだけいい景色をみながらただ、しゃべっていた。この普通のことが僕には幸せだった。めぐはラパスはそんなに景色に感動していなかったが、僕にとってこの景色は最高だった。僕は昨日見たライカコタの丘からの風景が今までの旅で一番良かったが、その一番良かった景色はたった1日で塗り替えられた。僕の頭はバッキバキに決まった。



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その日の夜、僕は宿で中島みゆきの「時代」という歌を聴いた。もう何年前になるのかもわからないが、僕が日本にいたとき、どこをどう旅するのか悩んでいたとき、当時のオークハウス大塚の主のTさんは南米のよさを教えてくれた。そして僕がお金がたまらず、ボロボロになったときにこの曲を教えてくれた。

旅を続ける人々はいつか故郷に出会う日を。
例え今夜は倒れてもきっと信じてドアを出る。
例え今日は果てしもなく冷たい雨が降っていても。
まわるまわるよ時代は巡る。
別れと出会いを繰り返し。
今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ。

僕はあのときこの曲を聴いて泣いた。本当に何をやればいいのかわからずにただ盲目的にお金を貯めていたとき、何がどうなるのかわからずに不安で、本当に南米に行くべきなのか迷っていて、この曲を聴いて泣いた。

そして日本の裏側のボリビアのラパスで、またこの曲を聴いて、南米に来てよかったと本気で思い、この旅で初めて泣いた。

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