南米旅行記



〜教養〜

ラウラさんと話しているとき、よく喋るのは僕の方だった。ラウラさんは明るいがあまりベラベラ話す性格ではなく、逆に僕はベラベラ話してしまう性格なので、二人の息はぴったり合っていた。この構図は日本人と話しているときと全く変わらないことだった。

話をしているうちに、僕は自分の日記を即興でスペイン語に訳して、それをラウラさんに直してもらうということをやるようになった。いまさらなのに基本的な文法の間違いが多い。動詞の活用、男性名詞・女性名詞。こんな基本的なこともいまさら出来ていなかった。キューバでスペイン語を勉強していたときを思い出した。僕は久しぶりに単語をノートにうつし、自分で作ったスペイン語文法を見直した。

別に文法的にできていなくても何の問題もない。現段階で、とりあえず自分の意思は伝えられる。それだけは自信を持って言えるようになった。旅行する上でも、現地人の家に泊まる上でも、何一つ困ることはなくなった。これからの人生でスペイン語の文法を知っていることのメリットは何もないだろう。

でも、こうやってスペイン語の文法を久しぶりに見直すことは楽しかった。スペイン語を話せることなんて日本社会においてほとんど意味がないことは分かっている。スペイン語を使った仕事などほとんど日本にない。しかも、文法を間違えまくっていて、そこまで完璧に話せるわけではない。

時々、不安になる。これが英語だったら?と思うことがある。もしこのくらい英語が出来るのなら、僕は日本市場で働く上で、もっと仕事の選択肢は広がるだろう。いいお金がもらえる仕事ができる可能性も増えるだろう。

でも、あえてスペイン語にこだわり続けた。特に理由もなく。でも、それでよかった。スペイン語のおかげで、僕はいままでも、今も、そしてこれからも、多くの好きな人たちと感情をシェアできるからだ。

何かを勉強するということをあまり目的を持ってやりたくない。何かの資格を取って何かの職業についてこういうメリットがあってこれだけお金をもうけられるから。という考えが旅行を長く続ければ続けるほど嫌いになっていく。

語学を勉強する事は、あるいは本を読んで物事を知る事は、ネットで情報を得る事は、僕にとって教養でしかない。昔、バングラデシュであった日本人の旅行者に言われたことがある「勉強なんて何かのためにするわけじゃなくて、ただ自分の教養を高めるためだけにするものだよ。」今、この言葉が胸にしみる。何の意味もなく、ただ勉強することが楽しいと感じる。楽しくないけれど、やりたくないけど、楽しいし、やりたいこと。

それは長期旅行も同じなのかもしれない。もしくは生きること自体同じなのかもしれない。

僕はよく自分の未来を考える。そして未来に対して過度に期待することがよくある。時に現実は過度の期待を裏切るときがある。現実が過度の期待を裏切ったとき、現実がつまらなく感じることがある。

僕は過度に未来に期待することをやめた。未来に対しての計画は必要だ。だが、未来に対して過度に期待し、努力してそれを現実化したとき、その過度な期待は次の過度な期待へと変化する。そして次の過度な期待を現実化したとき、次の過度な期待を求める。その繰り返しでいつの間にか常に次を次を見て現状に満足できないという状況に陥る。

それは「夢」や「目標」という言葉で日本社会に溢れている。
ひどい言い方をすればブラックな会社が社畜を育てるのに便利な言葉になっているのかもしれない。あるいはマルチ商法やねずみ講が売り手を育てるのに便利な言葉になっているのかもしれない。

だが、現実に満足できないことほどつまらない人生はない。それだけは確信している。

ふと、思い出した。僕の大切な人が言っていた。

「私達の唯一の目的は死ぬこと」

・・僕たちは皆いつか死ぬ。金持ちも貧乏人も日本人も外国人も男も女も皆死ぬ。

そうだ、死ぬこと。死ぬまで生きること。今この瞬間を生きること。一日一日を楽しく素敵に生きること。

そのためには、何もやり残さないこと。どんな結果になってもいいからやりたいと思ったことをやること。人に感謝しながら生きること。ゆっくりとでもいいから好きな勉強をしつづけること。それを死ぬまで続けること。

それが僕にとっての旅であり現実だ。それ以外にない。

僕は未来に対して夢を持っていない。
夢という言葉には達成するか達成しないかの2択を迫られる。そう考えると僕が今やっている事とこれからやる事は、夢でもなんでもない。ここに達成するという概念はない以上、これはただの僕のやりたいことなのだ。

旅行をしていても時々つまらなくなることがある。昔に比べて海外旅行をすることのインパクトは落ちた。でも、考えてみれば当たり前だった。ウユニ塩湖やイグアスの滝などの大観光地を除けば、普通の街を長期間にわたって観光することが楽しいわけがない。旅を続ければ続けるほど、飽きが来る。何か義務があるわけでもない状態で生活する事は僕にとってそこまで楽しいものではない。

長期旅行と短期旅行の違いはここにある。短期旅行は楽しい。楽しい状態のまま、現実の生活とは違う非現実を見たまま興奮状態で帰国することが出来る。だが、長期旅行は違う。現実と同じように楽しいときもあれば楽しくないときもある、そして非現実であるはずの海外旅行が現実の生活と一体化する。

これが僕にとってやりたかったことであり、今やりたいことをやっている。

これで少なくとも後悔せずに死ねるだろう。

「こうすればああ言われるだろう・・・こんなくだらない感情のせいでどれだけの人間がやりたいこともできずに死んでいくのだろう?」とジョンレノンは言った。

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