旅と自由



〜皿を洗う〜

マルデルプラタでのヒモ生活は続いた。

旅行とステイは全く違う。旅行をしているときは毎日毎日外に出る。体調が悪いときを除いて基本的に街を歩く。面倒くさくて外に出たくない日もあるが、海外に来ている以上、どんなに何もなくても、どんなにつまらなくても、観光をする。

「観光は旅人の義務である」と桜つよしの「中国初恋」という旅行記サイトに書いてあったのを思い出した。

だが、ステイとなると話は変わってくる。毎日毎日同じ場所を歩くのは観光ではなく散歩になる。散歩は義務ではなくなる。そうすると外で食事をすることがない場合、ずっと家にいる時がある。

土日はラウラさんの友達の家と家でワインを飲み、バーに行き、楽しく過ごした。現地人同士で話している事は相変わらず全然分からないけれど、雰囲気だけでも楽しいものだった。今までの国とは全然違う、ヨーロッパの光景は僕にとって逆に新鮮だった。

ここの人たちはあまり、出来合いのものを買わない。日本のようにコンビニはなく、スーパーにも調理済みのものがほとんど売っていない。生の肉や野菜がほとんどで自分で調理をするのが当たり前になっていた。昔ヨーロッパに行ったときも同じような印象を持った。

以前に読んだ本に書いてあった「ヨーロッパにはコンビニがない」というフレーズを今でも覚えている。ヨーロッパの人は日本やアメリカに比べて効率性を重視しない。仕事のために食事の時間を削るような事は絶対にせず食事はゆっくりと楽しむ。そして食事を作ったり家事をしたりすることをゆっくりと楽しみながらやる。アルゼンチンでも同じような雰囲気を感じた。

各自がワインや食料を持ち込んで、調理して、だらだらとお喋りをしながら食事を楽しむ。この光景は日本の雰囲気とはちょっと違う気がした。

そして、ラテンアメリカは普段の食事の時間が日本と違う。全体的に日本より遅めで、なおかつメリエンダというおやつの時間がある。一日4食〜5食くらい食べる。
僕はこの習慣に合わせるのが嫌になりながらも、だらしなさもあって食事時間だけは無駄に遅くなっていた。そして彼女の仕事が不規則な時間帯なのもあって無駄にサイクルが夜型になっていた。

普段の生活の中で、僕はのんびりと、悪く言えばだらだらと、日本語を教えたり、スペイン語を勉強したりしていた。ネットをする時間も多い。だが、初めはだらしない毎日が続いたが、段々と、運動したりヨガをやったり、外を走ったりした。とりあえず何もなくても外に出るようにした。

僕のこの家での唯一の義務は、皿を洗うことだった。ラウラさんは別にやらなくてもいいといってくれているが、それでも毎日皿だけは洗った。何かをしていないと落ち着かなかった。今までも同じだった。義務がないことで時間をもてあましてしまうのがなんか嫌だった。

旅は自由なものだ。僕らは子供の頃から管理されて生きている。親・学校・会社。気まぐれに生きることを拒否されている。例えば、学校に行く途中に急に海が見たくなったとしても途中下車をして海に行くことはできない。

僕の大切な人が送ってくれたあるサイトの文章に書いてあった。

僕の人生の中で途中下車して海を見に行く時間、つまり自由な時間を作ることが出来るチャンスはこれが最後になる。

僕は長期旅行が好きだ。管理されずに自分の気まぐれで行動できるということの喜びを今十二分に感じている。

だが、時々、僕は見事に自由のよさを捨てている時がある。義務が欲しくなるときがある。自由すぎることで何をすればいいかが分からなくなるときがある。だから自分で義務を作る。この家で皿を洗うように。

自由であればあるほど、人は本性が出る。僕は自由な時間が好きでありながらも、何かをしていないと落ち着かない人間で、ちょっとした義務と刺激が欲しい人なのだと知った。何か義務がないとどんどんと駄目になっていって、それが怖くなる。だから出来ないながらも必死にセルフマネジメントをする。

でも、これは人として当たり前のことだということも知っていた。僕は絶対にヒッピーにはなれなかった。

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